ルールを破ってよいとき

  • 2017.12.04 Monday
  • 18:28

熊本市議がルールを破って赤ちゃんを議場に連れてきたニュース、

ルールを決める場でいきなりルール破りとかヤバイでしょ、と思ったのだけど、

ネットではルール破りを正当化する意見でいっぱい。(もちろん反対の意見もいっぱい)

 

その中で、唯一納得できた意見は、

『緒方議員は一人会派なので、議会のルールを変更する場に出ることができない立場であり、事前に相談などしたが個人的な問題として取り合ってもらえなかったので今回のような手段で訴えた』

 

ホントにこれだけ、これだけだよ、私がそれなりに納得できる意見だと思えたのは。

その他の海外がどうだとか、それをいうのは卑怯だとか、次元の違う話だとかはルール破りを正当化する理由にはならないじゃん?

 

なるほど、ルール変更できる手段がない場合はルール破りもOKか。

確かにね、緒方議員はそれまでにいろいろと交渉してきたようで、詳しく経緯を知れば、いきなりルール破りというわけでもなかったようだし。

議論するために存在するはずの議員が、議会のルール変更の議論ができないなんて、もうパフォーマンスだろうがやるしかなかったんですね。

 

何事にも例外というのはありますからね。

本当に別のやり方はなかったのかな?という疑問は残りますが…。

社会的に許容できる範囲であり(人によるけど)、目的の方向性は大いに認められるものなので、こうも支持者が多いのだと思います。

 

私の意見はこうです。

 

まず、民主的な方法で決められたルールは守るべきである。

そして、ルールを変更するルールもまた民主的に、だれもが主張しやすく、議論されやすくなるよう整備するべきである。

 

そしてもちろん、子連れ会議OK派ではあります。

これは何もみんな子連れで仕事しようよと言ってるわけではないですよ、危険な職場だってあるし、子連れだと支障のある場合だってたくさんありますもんね。ま、いちいち言わなくてもわかることだろうけど、言っておかないと、そういうところつっこんでくる人いるから。

 

選択肢はたくさんあったほうがよい、ということです。

子連れ会議OKなだけでなく、託児所や保育園をだれもが気軽に利用できるようにすることが大事だと考えます。

 

今回の件は、単に「ルールに不備があった」ために起こったことではないでしょうか。

なのに、「ルールは守るべき」派と「子連れで仕事できるような社会を」派とで対立しているのは非常におかしなことで残念に感じました。どちらも間違っていなく、対立するようなことではないのでは?だからだろうね、「どちらも理解できる」とか「モヤモヤする」って感想や意見をけっこうみかけたのは。

 

赤ちゃん連れに厳しいのではなく、ルールを守ることに厳しい。

赤ちゃん連れを排除しようとしているのではなく、ルールを守ることの大切さを訴えている。

その違いを理解していないと危険なのではないかという気がしました。

 

まぁ私はルールを守ることに厳しいタイプなのかもしれませんね。

普段、PTAに対してルールを守れよと言ってるのに、どうしてこの件だけルール破りOKと簡単に言えましょうか。

 

私はルール破り正当化の理由をすごく考えて、一番最初に述べたような理由ならOKなのでは、という結論に達しましたが、どういうわけか、いわゆる著名人とか発言力のある方々がこぞって「海外は〜」とかその他納得いかない理由をガンガン発信してるんですよね。

 

なんかもう、赤ちゃん連れママの破壊力すごい、としか言えないような。

子連れ時代キターーー今だ〜突撃〜!的な。

 

ネット上では普段は憲法守れだのルールを守れだのという主張があれだけ多いのに、赤ちゃん連れ市議がルール破ったら途端にルール破りOK・・・どうなってるんですかね。←個人的に受けた印象ですけど。

 

おらおらどけどけ赤ちゃん連れが通るぞこらぁ〜的なのは誰も望んでませんよね?

そんなのは、ただの「弱者の横暴」ですから。

子育てしながらでも働きやすく、生きやすく、そんな社会を望んでいるんですよね。

多くの人が望むところは同じなのに、不要な対立が起きているようで、また言うけどホント残念。

 

ここぞとばかりにあの場にいた男性議員を汚い言葉で罵っていた人もいて不快に思いました。

緒方議員がおっしゃってましたが、通りがかった議員さんで、赤ちゃんににこっと微笑んでいかれた方もいらしたそうですし。

応援したいという気持ちを持っていた議員さんもいたんじゃないでしょうか。

 

あと、『ルールを破った人を全員許容するのか、というのは極論、0か1かではなく、0.1とか0.2とかを目指して議論するきっかけになればよい』という意見も、まったくそうだな、と感じました。

そうそう、これだよこれ、今回のことが議論するきっかけになって、早く赤ちゃん連れ会議OKになることが大事なわけですよね。

別にルール破りすべてOKだよって話じゃない。

 

 

ってことなんだけど、今回のルール破り正当化についての考えは少し整理しておきたいです。

 

ルール破りOKを正当化する理屈として納得いかなかったものを、なぜ納得いかないのか整理してみました。

まず、「ルールが悪いかどうか」と「ルール破りは正しい行為か」は分けて考えるべきと思う。一見、ルール悪けりゃ破ってもいいじゃんと思えるんだけど、じゃあその悪いって誰がどう決めるのよってちょっとややこしくなるんで。

 

◆海外では子連れ会議OKである〜の類。

だって海外はもう子連れOKのルールになってるんだよね。

で、それは時間かけて話し合ってそう決まったことなんでしょ。見習うならそこじゃない?

 

「海外で良さそうなことやってるよ、日本でもできそうじゃない?」ってのなら共感できるけど。

PTA問題でもこれくらい「海外では強制なんてないよ」とガンガン主張してもらいたいものですね。

 

◆「やり方が〜と言う人は卑怯だ」とかなんとかの類。

私にはまったく意味不明でした。

主張内容の正しさと、それを表明するための手段の適切さは別問題なのだから、後者の部分だけを批判しても何もおかしなことではないのでは?

やり方がまずいと指摘する人の中には、主張そのものは支持している人がたくさんいた。

卑怯と言う人がそこで思考停止させている点において卑怯であると思うのだけど、私は。

そんな人格攻撃的なこと言われてもね。

 

それとも、正しい主張を押し通すためには手段を選ばなくて良いということでしょうか?

PTAは本来は素晴らしいボランティア組織であるはずなのに、ズバリやり方が非常にまずいと私は常々思っています。

 

◆他人の生命の安全や財産を脅かすことがないなら、主張する手段がルール破りであっても良い。

これは、相模原事件のような場合を例として、ルールを破っての主張はダメだとする意見に対する反論。

程度の問題なんですかね?

迷惑レベルが低ければルール破りは正当化される?わけないじゃん。

 

でもまぁ、今回のは「この程度」だったから世間に受け入れられたってのがありますよね。

これが「私の主張を受け入れないから反対意見の議員を皆ぶっ殺した」という話だったら、世間はまったく違った反応でしょう。

なので、この意見はルール破りの正当化にはならないけど、ルール破りが世間に受け入れられた(大目に見てもらえた)理由としてはありだな、という感じです。

 

◆議会が40分遅れることより働く母親の立場が何十年も停滞していることの方が大変。

わたしは常々、他人の時間を無駄に使うことに鈍感であってはならない、と思っている人間です。

なぜって、自分の限られた時間をとても大切にしているから、他人の時間も大切にしたいと思うからです。

 

議会が遅れることも、ワーキングマザーの立場が停滞していることも、どちらも大変なことだよね。私はそう思う。

議会では、女性子育て問題だけを話し合うわけではないですよね。他にも長年停滞している問題はあるかもしれない。

議会の時間と、取り上げる問題の重要さ、って同列に比較できるものなんですかね?

問題の大小と、時間の長短を理由にしてのルール破り正当化はできないですよね。

 

「私の問題のほうが重要なんだから、私のために議会の時間をつぶしてもいいんです!」とならないでしょ。

 

でも、今回の件により議会が遅れたことで、ワーキングマザーの立場が少しでも良くなるのなら、無駄な時間にはならないことでしょうね。

「議会が40分も遅れるなんてとても大変なこととさも正しい事のように言っていたが・・・」という意見があった。

正しいでしょう。大切な議会の時間ですから。

 

自分だけの時間ではない、多くの人のための、大切な時間なのだから。

 

◆女性不可、黒人不可のルールがあった時代を持ち出す人。

なぜに女性排除、黒人排除を目的とした差別ルールと同列に語れるんですかね。

「議場に議員以外の者は入れない」というルールは特段おかしなルールとは思いません。赤ちゃん排除目的で作られたルールではありません。単に想定してなかっただけでしょう。

 

また、過去に正しい主張のためにルール破りをして社会を変えることに成功した事例があるからといって、じゃあ僕もやって大丈夫だよね、となるわけではないですよね。

 

差別された人たちが差別ルールと闘う、議会で話し合う権利を有する議員が議会のルールを破る、次元が違うというのはこういうことを言うのでは?

 

◆議論してルールを変えるべきという奴は、それにどれだけの労力と時間がかかるかわかってない。

ここまでくると、もはや緒方議員を本当に応援してるのかどうかわからなくなっちゃう。

「話し合いなんか時間かかるだけだから、強行突破だ!」え、乱暴ですね。

 

なんかもう、議会って何だろう?的な次元に突入しちゃってますよね。

議会において、時間と労力かかるって理由で話し合いすっ飛ばしていいわけないでしょうが。

日常的にそういう場面はあるかもしれないけれど。

 

それに緒方議員だって話し合いすっ飛ばそうっていう気はないですよね。妊娠中から相談し、いろいろ話をしたけど取り合ってもらえなかったっていう経緯があるんだし。

 

それに、「議論してルール変更」と主張は何も間違っていないし、労力と時間がかかるのもわかった上で主張しているんだと思いますけどね。

 

労力と時間を費やして、議会民主制を築いてきたのだよ。

人権とか選挙権とか民主主義だって、やっとの思いで手に入れたものじゃないんですかね。

それだけに、議会でルールを破るって、すごいことですよ。それだけの想いがあって必死に訴えたんですよね、緒方議員は。

 

『議論するのが仕事である議員が、議会のルール変更を議論することすらできなかった』それだけの理由じゃないですか、今回のルール破りを正当化できるのは。

 

 

そろそろ考えるのに疲れたので、このへんで終わります。

 

緘黙症により挨拶できない子

  • 2017.11.15 Wednesday
  • 15:39

ちょっと前に話題になっていた二つの話。

 

見た目ではわからない病気を抱えた女子高生。

体調悪くバスの優先席に座っていたら、

「ここはお前ら学生が座るところと違う!」と怒鳴られた。

 

聴覚過敏の子供に防音具としてイヤマフをつけていたら、

「小さい子にヘッドフォンで音楽聴かせて!会話しなさい!」と叱られた。

 

とにかく何かしらここぞとばかりに他人を批判したい人っていますよね。

優先席に女子高生が座っていたら、体調悪い人かな?としか私は思いません。

さすがに私も聴覚過敏については気が付かなかっただろうと思います。でも、見知らぬ他人にいきなり「会話しろ」と叱るなどという発想にはならないですね。あ〜音楽聞いてるのかな〜程度にしか思わない。

 

聴覚過敏の子とイヤマフ。

ひとつ勉強になりました。

本当に、知るということは大切ですね。

 

私はこの話を聞いて、自分の子供のころを思い出しました。

以前も書いたと思いますが、私は子供の頃、場面緘黙症でした。

家では普通に話せるけど、学校などで話せなくなる情緒障害です。

 

とにかく、毎日挨拶もできないものですから、

近所のおじさんにはよく叱られました。

挨拶もしない、しつけのなっていない、非常にマナーの悪い子扱いでした。

 

当時、場面緘黙症なんて言葉を知ってる人は周囲にはまったくいなかったと思います。

今でも、知らない人がいると思います。

 

だから、また言いますね。

しつけの問題ではありません。

話したくても話せない、言葉が出てこないんです。

自分でもどうしてそうなるのかわからずに怖くて苦しんでいるんです。

 

もし、緘黙症の疑いのある子に出会ったら、適切な対応をお願いします。

 

JUGEMテーマ:場面緘黙症

JUGEMテーマ:保育士

 

トイレへ行ってもいいですか?

  • 2017.11.09 Thursday
  • 13:24

もう就職したときからの違和感、

子供たちが皆「トイレへ行っていいですか?」といちいち許可をもらいにくること。

 

トイレくらい、好きに行きなさいよ、生理現象なんだから。

 

許可をとるように先生からしつけられているのだ。

小さい子が「せんせいトイレ〜」と言えば

「先生はトイレじゃありません、トイレに行きたかったら、トイレに行ってもいいですか?でしょ」と教える。

 

さらに驚いたことがある。

ある女の子が朝の会の時間に「先生トイレへ行ってもいいですか?」と言うと、

先生は「今はトイレに行く時間じゃありません」

 

え?

本気で言ってるのそれ?

先生は本気でした。

 

まだオムツだから別にもらしたっていいと思ってるんでしょうか。

確かに保育園では決まった時間に行きますが、それはその時間にするようにしつけているわけではなく、トイレトレーニングを進めるためじゃないですか?

せっかく自分から排泄したいと言えるようになったのに、行かせないってどういうことよ。

 

ただ、先生にも言い分はあって、

その女の子はいつもトイレで遊んでしまう子で、朝の会の前にトイレへ行ったばかりなのに、また行きたいというのはただ遊びたいだけなんじゃないか、と判断したようです。

 

でも、本当に排泄したいかどうかなんてわからないじゃないの。

 

トイレなんて好きに行けばいいとは言え、

子供の居場所を把握しておく必要はありますから、

トイレに行くときは「先生トイレへ行ってきます」と言ってほしいと思います。

 

 

先日、ある小学校教師が「トイレへ行ってもいいですか?」と言う児童に「ダメです」と言い、児童の困った顔を見て楽しむということが問題になっていました。

 

そもそも、トイレへ行くのに許可とる必要ないよ。

大人の社会では、状況によっては許可の必要な場合もあるかもしれませんが、まずダメということはないでしょう。

子供にそんな許可をとるよう教えて、何の教育的効果があるんですかね?

 

とはいえ、常識的に育てば、このようなしつけをされてきた子供たちも、大人になれば普通に「ちょっとトイレ行ってきます」と自由にトイレに行ける人間になるんでしょうけど。

 

 

余談ですが・・・、

私は三人目の出産のときに、助産師さんが出かかってる赤ちゃんの頭を押さえながら「ダメダメ、まだ出さないで〜!先生まだきてないから!我慢我慢!」と言われました。

 

無理ですから!!!

 

 

JUGEMテーマ:保育園

JUGEMテーマ:保育士

 

みんな一緒教

  • 2017.10.30 Monday
  • 12:39

先日、うちの子だけ私服で集合写真を撮影したら、保護者から「なぜみんなに制服を着せないのか」といったクレームがきたという話を書きました。

 

そして、生まれつき茶髪の女子高生に学校側が黒髪を強要したというニュースが世間を騒がしております。

それをきっかけに、ネットでは似たような話がうじゃうじゃ出てきていて、私の幼稚園の制服問題なんてすごくちっぽけ過ぎる感ありますが、根っこは同じ問題ですね。

 

みんな一緒教がこんなに蔓延してるとは。

改めて驚きです。

 

このニュースに関しては、真相はよくわからないですが、

テレビに出てた教頭先生が、白髪混じりチリチリM字ハゲでノーネクタイで肌着見えてる、というお姿だったので、髪型にも服装にもかなりゆる〜い学校に見えてしまいましたね。とても生徒を不登校になるまで追い詰めた厳しい学校とは思えないような。

確かに見た目の印象って大事ではありますね。

でも最も大事なのは人権でしょう。

 

この学校では、例え金髪の外国人留学生であろうと黒に染めてもらう、そうですが、完全に狂ってる。ヤバすぎですよね。

 

髪の毛の色についての私の考えは、

地毛だろうが染めてようが、髪色はなんでもよい

です。

市役所行って受付の人の髪の毛がピンク色でも別にかまいませんね。

 

とにかく、人権感覚に乏しい社会なのだということがよくわかりました。

保育園でもクレヨンのうすだいだい色のことを「これは肌色です」と教えている先生います。

もう、肌色と言わず、うすだいだい色とかペールオレンジなどと呼ぶようになって何年も経ってると思うのですが、現場では今でもこうなんです。

 

まぁクレヨンの色などは、私もたまに肌色と言ってしまうんですが、

教える場では絶対使わないようにしています。

 

時代はどんどん変わっていきます。

子供に関わる人たちは特にですけど、時代感覚、人権感覚を磨いていかないといけないわけですよ。

私も常に勉強です。

 

今回のニュースを機に、

学校のおかしな校則や、社会のおかしなルールを見直していけたらいいですね。

 

 

↓以下雑談。

 

以前にもどこかで書いたけど、

外国の先生から「日本人はほとんど同じ肌の色、黒髪、黒い目で生まれてくるから、人間は生まれつき違うのだということが感覚的に理解しづらいのではないか」と言われたという話。

 

金髪から黒髪、目の色も肌の色も様々な人が暮らす国では、髪の色なんて何色だろうがどうでもよい話でしょうね。

全員黒髪にしろとか、実にくだらない、そして大変な人権侵害であることは明白ですよね。

 

髪の色によって、真面目そうだとか不真面目そうだとか、それってそう思う側の思い込みでしょ。

 

歯のない人は信用するな。という言葉をむかしよく言われました。

歯がない=身なりを気にせず生活習慣が乱れている=性格がだらしない=金銭にもルーズ

という連想ゲームのような感じです。

 

刺青とかでもそうなんだけど、

あの人刺青してるから怖いヤクザかしら?とか。

本人はただのファッションのつもりでも、周囲がそういう目で見てしまう。

 

私がお水業界にいたころは、化粧しろ、髪は明るくしろなどと言われましたが、

私は薄化粧に黒髪ストレートで押し通しましたね。

そしたら性風俗のスカウトマンによく声をかけられるようになり、なぜ私に声をかけるのか聞くと、

「黒髪は貴重。真面目そうに見えるので業界で人気がある」というのです。

意外な自分の商品価値に気付くwww

 

そういう目で見る人がいるから、自分はこうしよう、

または、

そういう目で見る人もいるけど、自分はこうしよう。

 

どちらでもいいけど、

自分を表現することは自由であるべきよね。

 

最後にひとこと、

学校は、髪の色なんかより、

頭ジラミの流行をどうにかしろ!

 

 

教師の厳しい叱責により

  • 2017.10.21 Saturday
  • 21:11

教師の厳しすぎる叱責により、尊い命が失われました。

お悔やみを申し上げます。

 

私はこのニュースを聞いて、自分の長女のことを思い出しました。

もしや、自殺した中学生は発達障害の疑いがあったのでは?と思っていたら、やはりそのような記述がありました。

 

私の長女も、発達障害なのでは?と疑っています。

 

携帯電話や家の鍵をなくす、かばんをバス停に置き忘れる、間違って他人のかばんを持ち帰る、大事なテストの日を間違える、買い物行って買ったものを忘れて帰る、手先の不器用さ・・・などなど。

こんなことがしょっちゅうで、警察沙汰になったことも二度あり、さすがの私もキレることしばしば。

 

そして長女が高校生のとき、彼女は部活の顧問の先生から非常に厳しい叱責を受けました。

叱責というか、ただ怒鳴り散らしているだけ、という印象でしたが。

 

大部分は忘れてしまいましたが、とにかくボロカスに言われたということは覚えてます。

「みんな迷惑しているから部活をやめろ」

「あなたは人とかかわらないような職にしか就けない」

というような内容だったんですが、人格攻撃が激しいものだったと記憶しています。

 

そのため、長女は「じゃ、やめます」と言って部活やめてきました。

好きで入部した放送部で、周囲からの推薦もあって部長を務めていたのですが、「そこまで言われて続ける気はない」とあっさりしたものでした。

 

当然、私はショックだったので、すぐさま学校へ電話するわけですが、

その顧問の先生は電話に出るなり、

「すみませんでした、まさか本当にやめるとは思わなくて、励ますつもりで・・・」

 

どこが励ましなのかさっぱりです。

将来の進路のことまでボロカスに言われて、指導でも励ましでもなんでもありませんでしたよ。

 

でも、先生を擁護する気はまったくありませんが、

発達障害なのではと疑っていた長女が何かやらかしたのだ、ということは容易に想像できました。

 

部活でのスケジュール管理のできなさがきっかけだったようです。

あ〜と思いましたね。そういうの、できないんです、彼女。

そういう人が部長なんて、そりゃ無理だわと内心思いました。

 

そして、この際はっきりさせよう!と思い立ち、

発達障害支援センターに相談し、小児精神科で検査してもらいました。

ところが、結果は「診断名をつけるほどではない、そういう性格です」

 

またこうも言われました。

「その子と親をみて、診断名をつけるかどうか決めることもある」

 

ボーダーにある場合は、その子の困り度次第で支援が必要かどうか決めるそうです。

確かに、長女本人は困ってないんです・・・困ったことに。

まぁ私自身も、もう彼女の特性を受け入れている頃でしたから、どっちでもいいやという感じでした。

 

そしてそこで心理カウンセラーの先生からこう予言されます。

「こういう子は、入れるからと選んでも(看護科志望でした)、実習でつまづいてやめる子が多い」

 

長女は成績は良かったので、難関大の医学部に合格し、看護師を目指すのですが、

実習が始まり、周囲から厳しく叱責される日々が続き、「やっぱり私おかしいかも、もう一度検査しようと思ってる」と連絡があり、それがいいと私も賛成したのですが、しばらくして、「精神的にもう限界だから大学やめさせて欲しい」とメールしてきたのです。

 

予言通りの結果となりました。

 

私が驚いたのは、私や顧問の先生があれだけキレても、ケロッとした表情で気にもしないタイプの子だったのに、そんな子が「精神的に限界」と言ってきたことでした。

 

もう二十歳の大人になっていたし、本人がそう言うならしょうがないと退学を承諾しました。

逃げたいときに逃げられるっていうことは、良いことだとも思いました。

 

もしあのとき、発達障害であると診断されていたら、また結果は違ったのではないかと思っています。

国立大学では、発達障害者への配慮義務があるので。

まぁ長女は発達障害ではなく単なる性格、という診断だったのですが。

 

そしてもう一例。

昨年、小学生の次女が帰宅するなり「先生が怒鳴ってすごく怖かった」と言ってきたことがありました。

この件についても学校に電話し(他にも用があったので)、「うちの子がすごく怖がってました」と伝えました。

 

次女の友達で、近所の子なのですが、何度も何度も宿題を忘れる子がいます。

何度注意されても宿題をやってきません。

なので先生がついにキレたようです。

普段とても優しい先生なので、よほど腹が立ったのでしょうね。だからといって感情的に怒鳴っていいわけではないですが。

 

その子は宿題だけでなく、友達との約束も守れません。

うちの子も何度も約束をすっぽかされ泣きながら帰ってきたことがあります。なのでその子とは約束をせず、たまたま遊べたら遊ぶというルールを作っています。

 

先生も家庭訪問を何度かしているようですが、まったく改善されません。

私は発達障害の可能性ありなのでは、と気にかけてます。

学校ではすでに問題児として「有名人」だそうです。

中学生になればもっと厳しい先生はいそうだし、心配してます。

 

なんでもかんでも発達障害で片づけようというのではなく、

もしかしたらそういう可能性もあるかもしれない、ということを念頭に置いて指導にあたるべきではないかと考えます。

その前に教師に発達障害についての知識がないとダメなんですけど。

(感情的にキレたり怒鳴り散らしたりは論外)

 

どうか、学校が誰にとっても安全で安心できる場所になりますように、心から祈ります。

保育士は誰にでもできる仕事かもね

  • 2017.10.19 Thursday
  • 14:09

先日から話題になってますが、

「保育士は誰でもできる仕事だから給料が上がらない」説。

 

「保育士は誰でもできる仕事」が事実としても、

「だから給料が上がらない」のは違うと思う。

 

なぜ給料が上がらないかについては、駒崎さんがズバリ書いてる通りだと思います。

保育士は「誰でもできる仕事」か

 

 

以下、くだらん愚痴です(^o^)

 

同じ仕事内容の保育士でも、公立の保育士は給料高いじゃん。公務員だから。

そんなん言ったら、公務員だって、誰でもできる仕事じゃん。

 

なんか、

「保育士は誰でもできる仕事」って言葉に反応する人多すぎと思ったんだけど、

ぶっちゃけ、そこ、どうでもいいです。

 

そんなの人によって違っていいところでしょ。

能力高い人からしてみたら、どんな仕事だって「誰にでもできる仕事」でしょうから。

そんな人に「ためしに一か月保育士やってみろ」と言ったところで、実際やったらそつなくこなしちゃうかもですよ。

 

まぁバカにされたように感じるのはわかりますが。

世間では、保育と育児(誰もがやってきた)を混同してる人は多いだろうし、そこを変えていくのが今後の課題だね。

育児の延長程度の保育士だって実際いるし、でもどんな職場でも個人のレベルには差があるもんでしょ。

 

昔、水商売やってたときも、

「キャバ嬢なんて誰にでもできる仕事」って感じがありましたよ。

中卒の女の子多かったですし、「バカでもできる仕事」みたいな感じで見下す人たくさんいました。

実際、学歴なくても資格なくても、お酒飲めなくても、オッサンとお話できればいいので、保育士よりもはるかに「誰にでもできる仕事」になるんじゃないですかね。やりたいかどうかは別として。

簡単な面接受けて即採用されちゃいますしね。

働いてる人口も、保育士より水商売人のほうが多いんじゃないですか?

 

誰でもできる仕事だけど、

給料とっても高いです!イェーイ♪

頑張り次第でどんどん上がっていきます♪

(仲間内では「我々の時給が高いのは慰謝料込だから」なんて言ってましたが)

客単価高いからね、良い女の子集めるためにも時給は高くなくちゃね。

 

保育士だって、補助金増やして人件費に充てればいいのよ。

こんな頑張ったのに給料これっぽっち・・・そりゃ心折れるわ。

 

 

あとさ、

「子ども好きでないとできない!」ってのも、なんか違うと思う。

大して子供好きじゃなかったけど保育士やってる人もいるから。でも保育士として無能なわけじゃない。

あれだね、良い母が良い保育士になれるわけでもない、良い保育士が良い母になれるわけでもない、ってやつ。

そもそも、それこそ「誰でも子供好きじゃん」と言えちゃう。

 

大体、好きなことを仕事にしてる人って世の中どれだけいるんですかね。

 

で、「子ども好きなだけじゃできない!」ってのは、その通りなんだけど、

それはつまり、子供が好きかどうかに関わらず、別の能力が求められてるってことなのよね。

 

子供が好きかどうかのレベルの話じゃなくて、「保育士の専門性とは?」みたいなことがもっと話題にならなくちゃいかんよね。

 

ホリエモンの以下の発言には激しく同意するわー。

「当たり前のこれまでをなんら改善しようとしないからダメなんだよ。例えば壁の装飾とか本当に必要?とかね。IT化も遅れてるしな」

 

ホントにそう。

働き始めたころから同じこと思ってた。

 

保育園って、やることなすことアナログ、ローテク、時代錯誤なことだらけなんですよ。

最新なのはパソコンだけ。

とにかく非効率的で無駄な仕事の多いこと多いこと。

そして変えようと思っても、独裁理事長やお局様がいると、なーーーーんにも変えられないw

(新しい事提案してもすぐ否定から入るから物事進まない)

 

この前なんか、雑巾手縫いさせられましたよ。

ミシンないんかい、この園!

そして雑巾足りないから来年度から各家庭に雑巾提出してもらうって。おーーい。

ダイソーで雑巾3枚108円ですよー。

 

タイムカードもないし、シフト作成もパソコン使わず地道に手作業。

とにかく書類仕事は手書きが基本。

ハイスペックなパソコン置いてるのに、宝の持ち腐れ。

 

ってこと書いてたら、てぃ先生がいいこと言ってた。

ちょっと待って。保育士の不満は"給料ではない"。

 

これまた書いてる通りだわ〜。

あ、でも給料も不満ですから。

 

ホント、めちゃくちゃ安いですよ。

常勤、非常勤の時給はすき家のバイトと同じです。

正規職員の給与明細見せてもらいましたが、びっくりするほど安かったです。

実家暮らしの人が多いです。でないと生活できないレベルです。

 

私が勤務してる保育園、来年度は若い正規職員が4人も辞めます。

みんな次は保育士をしません。別の仕事するそうです。

一人は新婚さんですが、仕事が忙しすぎて家のこと何にもできないそうです。「しばらくゆっくりしたい」と言ってました。

 

近頃は、実習途中でリタイアする学生も多いのだとか。

実習で、その多忙さや大変さがわかるんですかね。

まぁ就職前に自分に向いてないとわかる人はラッキーですよ。

 

非常勤の私ですらたまに持ち帰り仕事ありますからね。

少しでも担任の先生の負担を軽くしてあげたいから、休憩時間も無給で働きます。

 

非常勤の先生は子供たち見てる時間より、掃除などの雑務やってる時間の方が長いかも。

私はまだ休日に本を読んだりする時間がありますが、正職の先生たちはそんな時間なんてないでしょうね。

そういう状況なので、知識や専門性を高めるなんて二の次になってると思います。

次から次へとくる行事やイベント。日々の業務をこなすのでいっぱいいっぱい。

 

みんなで声をあげて、このような状況を早急に改善すべきだと思います。

相互承認の精神

  • 2017.10.15 Sunday
  • 16:48

先日読んだ雑誌二冊に、偶然、似たような話が載っていました。

いやテーマは違う話なんだけど、結論が同じって感じです。

面白かったので、簡単に紹介します。

 

「地域連携というけれど」(こころの科学5月号)

『家庭と地域社会、さらには学校が、同じ価値観を共有するということ自体が、もはや無理な時代になってきているのかもしれない。むしろ、異なる価値観をもった人たちが、それでもしあわせに共存できる社会のあり方を考えるべきなのでは、と思う。』

 

「道徳ってなに?」(教員養成セミナー10月号)

『本当に重要なのは、相手の価値観や道徳観がどうであろうが、それが人の自由を侵害しない限り「承認し合う」ことである、と。その意味で「相互承認」とは、道徳の一番根っこの本質である以上に、異なるモラルを持った人たちが共存するための「社会ルール」の本質なのです。そのため私は、現代の民主主義社会において必要なのは、特定のモラルを教える「道徳教育」ではなく、異なるモラルを持った人たちが共にルールを作り合う「市民教育」だと考えています。』

 

 

「道徳の本質は相互承認である」というのはヘーゲルの言葉だそうです。

ヘーゲルはまた「徳の騎士」についても述べています。

徳の騎士とは、例えば「不平等は絶対に許されない」などと主張し「徳」に燃える人のことだそうです。

 

あ〜いるいる、そういう人、ある組織にはいっぱいいるんじゃないですか?

 

そのような人は、不平等の元凶とされる人びとに対する攻撃を、かえって正当化し、ひどい暴力にもつながります。

徳の騎士のその心意気は立派なんだけど、「自分こそが正しい」と主張するひどく独善的な人でしかない。

 

ヘーゲルは言います、

道徳とは、そのような独善的な善を主張することでは断じてない。

どのような価値観や感受性や道徳観を持っていようが、それが他者を侵害するのではない限り、まずは承認することである。

この相互承認の精神こそが、道徳の本質である。

 

 

というようなことが書かれており、

大変共感しているところです。

 

私は「徳の騎士」に立ち向かう「元凶とされる人びと」の一人でありますw

どこまでが自己責任?

  • 2017.10.03 Tuesday
  • 18:49

先日書いたんですけど、

「親を選んで生まれてくる」という話。

 

どんなひどい親でも、「あなたが選んだ親でしょ」と言えてしまう冷酷さ。

仮にですよ、仮に百歩ゆずって、そんなひどい親を選んだのが自分だとします。

 

ひどい親だとわかってて選んだんですか?

もしかしたら、最初はそんなことわからずに、なんとなく選んだだけかもしれないじゃないですか。

最初から虐待するために産む親なんてほぼいないと思いますが。

 

とにかくまぁ、生まれる前にまで遡って自己責任で片づけちゃうなんてもう論外なんですけど、

例えば、離婚によってシングルマザーになった人。

どんなに生活苦しくても、「自分で選んだ道でしょ」と自己責任で片づけられちゃいますよね。

 

私も、未婚シングルになって、妊娠中から一人きりで大変な思いをしましたが、

自分で決めた道だからと弱音吐くことなく、家族を頼るでもなく、頑張ってきました。

 

で、今年お盆に実家に帰省したときのことです。

叔母から、「いやぁ〜みきちゃんは一人で子ども育てて大変でしょう?」と言われたので、

何か手助けでもしてくれるのかと思いきや、

「うん、まぁ大変だけどもう慣れたね、出産から一人きりだからね」と返したら、

叔母は一言、

「まぁ自分で選んだ道だからしょうがない」

と冷たく言い放って終わりだったんですよね。

 

どうして冷たく聞こえたかというと、

なぜ未婚で産むことになったのか理由を聞かれたこともなく、

なので私も一度も話したことなく今に至るわけです。

理由も経緯も何も知らないのに、「自分で選んだ道」と決めつけて片づけてしまうのは、

あまりにも冷たく聞こえるわけですよ。

 

他の家族だったらどうするのかはわかりませんが、

例えば私なら、娘がそのような事態になったなら、まず「なぜ?どうして?」

それから「何かできることがあれば手伝うよ、いつでも頼って」となるでしょう。

 

自分で選んだ道だから自分で解決しなよ、って他人に言われたくないです。

自分自身がそう思って頑張るぶんにはいいんだけど、

この言葉って、安易に他人に言うべき言葉じゃないなと思いました。

 

なので叔母にも、

「それは一番言っちゃいけない言葉だよ」と言い返してしまいました。

叔母はきょとんとしてました。

「母子家庭の人はね、言われなくてもそう思ってるから誰にも頼ることができずに無理しちゃうんだよ」

 

一般論的に言ってしまいましたが、そのまんま、私自身のことなんですよね。

 

私の例ですが、

1.ある男性とお付き合いしました

2.妊娠しました

3.堕胎してほしいと言われました

4.別れました

5.一人で出産しました

 

3以外は確かに自分の判断が入って決めたことですね。

この人と付き合おう、この人の子供を産もう、この人と別れよう、一人で産もう。

 

そして3のような事態になったのは、1でそのような男性を選んだ私に責任があるということでしょうか?

DV被害にあう人もすべて自己責任で、そのような相手を選んだのが悪かったのでしょうか。

 

どこまでが自己責任なのか?

 

交通事故にあったのは、そんな道路を通ってしまった自分が悪かったんですかね。

不倫するしないは完全にリスク予測可能で選択できることなので、家庭崩壊してもそれは自己責任と言えるかもしれませんね。

 

あの時ああすればよかった、こうすればよかったと思うことはいくらでもあります。

でも私自身は、今がとても幸せなので、特に後悔するようなことはありません。

みんながみんな、常に正しい判断をし、正しい選択をし続け、人生うまくいけばいいですよね。

でもそんな人ってどれだけいるの?

そもそも正しい選択ってなんなの?

 

「あなたが選択を間違った」と言うのはたやすいです。

でも、大事なのは、これから先の未来なわけですから、

じゃあこれからどうするのか、

どうしてあげることがあなたのためになるのか、

そういう視点をもって言葉かけをしなければ、と思いました。

幼稚園の制服

  • 2017.09.30 Saturday
  • 19:11

夏前くらいに、びっくりする話を聞きました。

 

うちの子の通う幼稚園は、認定こども園です。

1号認定児は制服、2・3号認定児は私服でOK。

 

2・3号認定児は保育園と同じで、保育の必要な世帯であるため、

制服の強制はできないという理由らしいです。

うちは2号認定なので、高い制服なんて買いませんでした。

 

そしたらまぁ、四月の集合写真では、

制服着ていないのはうちの子だけwww

(他のクラスはわかんないけど)

 

目立っててラッキーと思いました。

子供本人も特に気にしてないので、私も笑い話程度に思ってました。

 

そしたら、

ある保護者から、

「どうしてみんな一緒に制服着ないんですか?」

とクレームらしきものがきたそうで・・・。

 

え?

は?

 

まぁ、それで園から制服着ろとかいう話にはなっていないので別にいいんですけど、

そんなことわざわざ言ってくる人いるんだーとびっくりしました。

 

幼稚園で同じ制服着ることにどんな意味が?

帰属意識?

規範意識?

統一感?

仲良しアピール?

 

 

イベントでお揃いのクラスTシャツを作りたがるママグループがいるそうで、

そういう連中に巻き込まれて、みんなおそろいTシャツ着てきたのだけど、

普段仕事のため幼稚園に来れない数人のママたちには知らされず、除け者にされていたそう。

 

イベントに参加してみたら、周りはみんなおそろいTシャツで、え?ってなったらしい。

仲間はずれみたいで気の毒だったと聞きましたが、

そんなのやりたい人がやればいいだけなので、

仲間外れにされたと気にすることでもないし、

気の毒だったと思うことでもないはずです。

 

だけど、みんな一緒じゃなきゃ、なんだか落ち着かない・・・。

みんな一緒であるべき・・・。

 

そんな雰囲気が支配的ですよね。

もう宗教です。

 

みんな一緒教なんですよ。

 

みんなと一緒に、

みんなと同じように、

それで楽しい人はそれでいいですけど。

(みんな一緒の安心感・連帯感は理解できますけども)

 

 

苦い思い出があります。

長女が幼稚園のとき、制服を嫌がったので、私も別にいいやと思って私服で登園しました。

先生たちはとても理解あって、別に制服でなくてもいいとなったので良かったのですが、

集合写真のときは、園の上着を無理やり着せられ、長女は半べそで写ってましたね。

 

「みんな一緒にきちんとした服を着るべき場だから」でしょうね。

 

今回、長男の入園式の集合写真でうちの子だけ私服のまま撮ってくれて、

今の幼稚園の対応は良かったなぁとありがたく思います。

(って、もしかしたら嫌がらせだったかもしれんけどw)

 

そういえば、

この前どこかで読んだのだけど(忘れちゃった)、

外国人のママさんが、入学式で子供に普段着を着せてしまったという話。

 

確かに、入学式でこれを着なくてはいけないという決まりはなく、

別になんでもいいんだけれども、

暗黙の了解として、そのような場ではフォーマルな服を着るものだと日本人なら誰でも思ってるわけです。

でも海外では必ずしもそうではないんですね。

 

〜式と名のつくものは、それなりの服装で、となりますよね。

雰囲気を壊さないとか、礼儀だとか、マナーだとか、伝統だの文化だの、いろいろあるのはわかる。

さすがの私も入学式は普段着では行かなかったですよ。

 

制服とか、そんなものは幼児のうちから押し付ける必要性ないと考えますね。

保育園では制服ないけれど、その子たちはちゃんと育ってますよね。

制服あってもなくても影響ないですよ。

都合の良い考え方

  • 2017.09.28 Thursday
  • 15:28

先日、給食の無理強いについて書いたばかりですが、こんな事件が起きてしまいとても残念。

 

『給食の完食指導で5人が嘔吐 小学校教諭を厳重注意』

 

教委は「配慮に欠けた指導」と言ってますが、

指導っていうか、もうこれ立派な傷害じゃん。

 

人は、本当に都合の良い言葉を使うもんだと思います。

 

傷害 → 指導

虐待 → しつけ

 

でもまぁ、他人に実害がないぶんには、何をどう都合よく思おうがいいわけです。

だけど「都合の良い思考癖」というのは本当に厄介なものだな、とも感じます。

 

昔、キャバ勤めをしていた頃、あるキャバ嬢に運命を感じてしまったオッサンがいました。

そのオッサンが若いころ大恋愛をした相手と、そのキャバ嬢の誕生日が一緒だったそうです。

それで、オッサンはそのキャバ嬢を「運命の相手だ」と感じたそうです。

 

その話を聞いて、私は、

「え〜すご〜い、私もその子と誕生日同じなんですよ」と言いました。(本当に同じ)

オッサン「え、そうなんだ!」と言って終わり。

 

なんだよ、私には運命感じないのかよ。

都合良すぎだろ、オッサン。

 

その後オッサンは色恋営業で金を巻き上げられ、

陰でバカにされるただの常連客になるわけです。

 

そんな風に、物事を都合よく解釈し意味付けしてしまうってことは本当によくありますよね。

また別の例ですが、都合良くというか「悪く」思い込んでしまった例です。

 

私の友人のバイト先のそば屋に、常連客のおばさんがいました。

彼女の夫は刑務官で、死刑執行人のひとりでした。

三人の子供がいますが、全員、病気や事故で障害者になったそうです。

彼女は、「人殺し(死刑)をしたから、子供たちが障害者になった」と思いこんでいました。

 

 

そして、この前からツイッターでよく見かけるようになった「子どもは親を選ばないで生まれてくる」ってやつ。

 

「子供は親を選んで生まれてくる」って話は確かによく聞きますよね。

「家族大好き、この親選んで良かった♪」と幸せ家族だけで完結してれば別にそれでいいと思うわけです。

 

そんなん本気で信じてるのは、江原啓之一家だけかと思ってたら、

どうやらそうではないようで。

 

虐待されてる子は、「こんな親選んでくるわけないだろ!」となるだろうし、

「自分が選んだのが悪い」と自分を責めてる子供がいたら気の毒過ぎます。

そういう人に対して「あなたが選んだ親でしょ」という考えを押し付けるようなことになると、

美しいお話も途端に残酷物語になるわけですよ。

 

だから、「子供は親を選ばないで生まれてくる」という絵本を作る企画があると知り、それいいね!と思うわけです。

ただ、同時に、「親に苦しめられている子どもたちが、親を選んで来ているはずがない」ということも言えるはずがない、と私は考えています。

 

「親を選んで生まれてきた」

「親を選ばず生まれてきた」

どちらの考え方も、

結局のところ、

あの世いかなきゃわかんねーだろ!話に過ぎないからです。

 

自分に都合の良いほうを選べばよい。

 

こちらの考え方で苦しんでる人がいたら、

あちらの考え方を教えてあげる、というだけのことだ、

ということは頭に入れておこうと思います。

 

事実や真実がどうあれ、

その考え方がその人の生き方にどう影響するか、ってことが重要なわけで。

 

人は、

単なる偶然の出来事に過ぎないことを、

都合良く解釈し意味付けする。

 

 

続きを読む >>

PR

calendar

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< December 2017 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

recent trackback

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM