職責を果たす

  • 2018.10.30 Tuesday
  • 16:02

さて、次女の不登校事件については、ツイッターのフォロワーさんたちのエアリプがちらほら目に入りました。

エアリプだから私の事言ってるのかは定かじゃないけどタイミング的に私のことかい?みたいな。

私もいちいちそれにリプったりしないけどさ、なんか教師の職責についての考え方が「ちょっとそれ違うかな」と思うところもあり、改めて職責を果たすとはどういうことか、について整理したいと思います。

 

まず、「教師も人間なんだから」「個人的な感情だって抱く」と言ってる非常にお優しい人たち。

 

そんなの当たり前じゃん。

 

今そんなレベルの話をしてるんじゃないよ。

 

まず最初にハッキリ言っておきますね。

 

これまで楽しく登校 → 教師の指導 → 不登校

 

指導の失敗です。

 

職務上、ミスを犯したわけです。

教師個人の感情とか、人間性がどうかとか全く関係なく、

教師は職務上のミスについて責めを負うことになったわけです。

 

残念ながら教師と学校にはその自覚がなく、

私たち親子からそれを指摘され謝罪を要求されるまで、

延々と言い訳を述べるという醜態をさらしたわけですが。

 

私がここぞとばかりに教師批判をしているだけのように捉えてらっしゃる方もおられるようでしたが、別に教師という職業の方々を敵視しているわけでもなく、たまたまうちの子の担任がミスを犯して、うちの子が心に傷を負い、それについて謝罪もない、という事件が起きたので私は親として闘わざるを得なくなった、だけなのです。

 

教師全般がどうとか知りませんよ。

我が子を傷つけた教師を批判しただけですよ。

 

あと、前にも言いましたけど、教師が個人的にどういう感情を持っていようが関係なく、果たさねばならない職責ってあるんですよ。

今、その職責をどう果たすかということについて述べているのであって、

最初から「教師だって人間なんだし」「個人的な感情だってある」とか言い訳発言かましちゃうのは、外野が言うのは自由だけど、プロのすることではないです。

 

「人間だからミスもある」こと前提で、じゃあミスを犯したときにプロとしてどのような責任を取るべきなのか、それについて考えるべきなんですよ。

 

もちろん、私自身の職責についても考えますよ。

当然ミスもありますよ。

そのときにどう行動し、責任を取るのか、そこまで考えますよ。

言い訳はしませんよ。

 

ただ、私は、他人に対して「言い訳するな」とまでは言いません。

言い訳してもいいです。でも、最初にすることではありません。

最初に考えるべきことは自分のことではなく、ミスにより迷惑をかけてしまった人たちのことです。

 

子どもが傷ついたなら、その子に対し、その子の保護者に対し、謝罪をし、二度と同じミスが起きないよう組織として情報を共有し対策を立て、よりよい環境を作っていく。

 

それが私たちの職責を果たすということでもあります。

良いとか悪いとかではなく、最低限そうあるべきと考えています。

 

命を守ること、教育を受ける権利を守ること、これらは本当に最低限やらねばならない職務です。

教師の指導が原因で子どもが自殺したり不登校になるなどは、取り返しのつかない失敗、大変な過ちなのですよ。

 

教師の力量とか、授業の質とか、保育の質などのレベルを個人や組織で上げていくことも大事な職務ですけどね。

 

最後に言いますが、

 

教師は聖職者ではありません。

 

「教師は聖職者」と言う方がおられてちょっと驚きはしましたが、それは自由なのでね。

時代が違うのか、単に信仰対象が違うのか、とにかく、教師は聖職者ではありません。

専門性の高い職業だとは思いますが、聖職ではないよ。

 

教え導くって意味で比喩的に聖職者って表現を使うなら理解できるけど、

マジで「教師のような聖書者は」とか言うから、ちょっと面白いな、と。

 

「聖職者だって人間」とか、そんな当たり前のことをわざわざ言って、結局何を言いたいのかというと、

要するに、「どのような職業であれミスはあって当然なんだからいちいち文句言うな」ってことですよね。

 

そういう方々は、何の職業にも就かず、不労所得で生活していけるようにしたほうが社会のためにはいいと思うんですよね。

洗練されたベーシックインカム制度が早く実現するといいですね。

(これはイヤミとかではなく、働きたくない人はそこまで働かなくてもいいと思ってるので、最低限の職責果たせないって人も働かなくていいんじゃないかと考えるわけです)

 

 

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謝罪がありました

  • 2018.10.21 Sunday
  • 19:22

15日の夜9時、突然、加害児童ひとりとそのご両親が訪ねてきました。

うちは当然子供たちはみんな寝ていて、私も朝早いので寝入っているところでしたが、チャイムが二度鳴り、佐川急便かと思い無視したのですが玄関先で「○○ですー」と声を出してきたので、もうびっくりして目が覚めました。

 

睡眠妨害が私の一番のキレポイントなので、めちゃくちゃ腹が立ちました。

とりあえずドアを開け、話を聞きましたが、こちらが「こんな時間に迷惑です」と言っても「ですよね」って返事。

親しい付き合いもない仲なのに、なんなのこの非常識一家はと正直思いました。

 

話の内容も、「うちの子もプレゼントを買いたい気持ちはあったんです」とか謝罪じゃなくて言い訳だったので、もう無理と思い、うちの子も寝てるので、と帰ってもらいました。

 

それからもう腹立たしく眠れなくなり、寝不足のまま次の日の仕事に行きました。

するとちょうどお昼休みの時間帯に、学校から電話がかかってきました。校長先生でした。

「○○さんと××さんがイワモトさんに謝罪をしたいと言っておりまして」という内容。

 

何に対しての謝罪なのかわからなかったけど、とりあえず話を聞きに行くことにしました。

夕方、いったん帰宅すると学校から手紙がきていました。調査報告書でした。

そこにはやはり、相手の児童が、うちの子に無理にプレゼントを買わされたと言っていると書かれていました。

 

あーこんなんじゃもう無理。

縁切り宣言でもしてこようと思って、うちの子と一緒に学校へ出向きました。

 

そしたら一転、あちらが嘘をついていたということを認め、親子そろって立ち上がって頭を下げ、きちんと謝罪されました。

先生も、初めて「申し訳ありませんでした」と一言。

 

え?

突然どうした?みたいな。

一瞬、面倒くさいから謝っておけばいいやって感じなのかなと疑いもしましたが、まぁ加害児童も泣きじゃくって謝っているし、うちの子と直接会話して「お母さんに怒られるのが怖くて嘘をついた」と言ったので、私としてはとりあえず許そうかなという気になりました。

 

うちの子は、その場では答えが出ないらしく、また仲良く遊べるかどうかはわからない、今はまだ許せない、と話していました。

でも修学旅行は行く気になってくれたので、それはまぁ良かったです。

加害側のお母さんも、「うちの子としゃべらなくていいから、修学旅行は楽しんできて欲しい」と言ってくれました。

 

夜の突撃訪問も、修学旅行になんとか間に合わせたくて急いだ結果そうなってしまったようでした。まぁそれならちょっと理解できるけど・・・やっぱり迷惑行為ですね。

 

で、うちの子、修学旅行には行きましたが、学校へはまだ行く気にはなれないようです。

 

今回の件では、単なる子供同士のトラブルってことではなく、先生や学校の対応の問題と、校則と家庭の教育権との問題があったのですが、それはまた自分なりに整理しておきたいなと思います。

 

 

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事件のあらまし

  • 2018.10.17 Wednesday
  • 20:08

昨日、加害児童と先生から謝罪を受け、とりあえずうちの子の冤罪は晴れた形になりました。

謝罪の様子などについて書く前に、不登校になるまでの大まかな経緯を説明しておきます。

 

【主な登場人物】

6年生の担任の女性教諭

ウソをついた女子:花子と友子、その妹の花美と友美

本当のことを話している6年女子:Y

うちの子:R

 

夏休み明け

花子がRの誕生日会をやろうと誘ってきます。

花子がお菓子やジュースなどを持って来いなどと言うので、Rは一度断りました。

すると、今度は、花子がRの誕生日プレゼントを買いにみんなでイオンに行こうと誘ってきました。

Rは最初はプレゼントはいいと断っていましたが、花子が「友達だから、好きなものを買ってあげたい」などと言うので承諾しました。

 

9月15日土曜日の午後

RとY、花子と友子、花美と友美の6人でイオンに行きました。

百円ショップで、花子と友子、Y、花美、友美からそれぞれプレゼントを買ってもらいました。

 

9月21日金曜日

花子、友子、Yは担任から一人ずつ呼ばれ話を聞かれる。Rは個別に話を聞かれてはいない。

子どもだけでイオンに行き、プレゼントを買ったことが問題となったようだった。

家庭科室に4人が呼ばれる。

先生が花子に「どういうことですか?」と尋ねると、

花子が「Rに誘われてイオンに行った。プレゼントを買えと言われて、買いたくなかったが、怖かったので断れなくてしかたなく買った」と言いだす。友子も「そうです」と花子の言い分を認める。

Rは「私から誘ってもいないし、買えなんて言ってません」と否定した。

Yだけは「最初からプレゼントを買うつもりで行きました」と本当の事を話した。

 

ところが先生は、Rに対し「買えなんて言わないでください」「あなた奢らせたんですよ」などと言って叱る。

ショックを受けて呆然とするRに対し、さらに先生は「他人事のような顔をしているけど、あなたのことですよ」と叱る。

Rは頭が真っ白になり、現実感を失うほどの衝撃を受けた。これは夢なのではないかと思って頬を叩くほどだった。

 

先生は、花子に対しては、「Rさんが買えと言ってもダメだよって止めてください」と言った。

そして「本当のことは先生にはわからないけど、もう二度とこんなことしないでくださいね」と言った。

 

Rは、先生は本当のことがわからないと言いながら、自分の言い分を信じず、花子と友子の言い分だけ信じて、なぜRが悪者である前提で叱ったのか、と大きなショックを受けた。

 

その日、帰宅したRは、母に「もう学校へは行かない」と告げる。

三連休中、Rと母はずっと話し合ったが、Rの気持ちは変わらず、25日の朝一番に母と学校へ行き、不登校宣言をするに至った。

 

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学校と話してきました。

  • 2018.10.13 Saturday
  • 21:55

今日の午後、校長先生と担任の先生と話をしてきました。

とりあえずの報告です。詳しくはまた後日。(最近かなり多忙で・・・)

 

こちらの要求は、とにかくうちの子は嘘をついていないということ、真相を明らかにすることです。

今から聞き取り調査などするそうです。遅っ。

 

いじめ相談窓口の方は「修学旅行のこともあるので早急に対応する」と言っていたのに、火曜日に電話してそれっきり、何もアクションありません。一体何だったのでしょうか?

今日の面談についても、校長先生は青少年課に電話したそうですが、何のために面談するのか不明な感じでした。

私も、教委から「面談の予約をするように」と言われて予約して、面談に来ましたが、教委が立ち会うわけでもなく、しかたないので、あらためてこちらの要求をまずは伝えました。

 

そして、これまでの子供同士のやりとりや先生とのやりとりの経緯をまとめた用紙を渡し、読んでもらいました。

 

校長や担任の先生は、「誤解だ」「そんなつもりはない」「受け取り方の違い」などの常套句で責任回避することに終始していましたが、学校で児童がひどく心を傷つけられたことは疑いようもない事実であり、第一にそのことに目を向けるべきなのに、そのような態度ではありませんでした。

 

例えば、保育園でも、どんなに見守っていても子供が転んだりしてケガをすることがありますよね。例え不可抗力であって保育者に非がなくとも、園内で子供が傷ついたという事実には間違いないですから、それについての謝罪は必ずします。その場にいなかった園長でも主任でも、必ず責任者として謝罪します。

ですが、学校となると、児童が不登校になるほど傷ついた原因やきっかけが教師の叱責にあると明らかであっても、「それは正しい指導であって、傷つけるつもりはなかった」などと陳腐な言い訳をして謝罪の言葉もなく責任を回避します。一体どういうことなのでしょうね。

 

まぁとりあえず先生がどのような意図でうちの子を叱ったのか、何が言いたかったのか、ということは多少理解はできました。ですが、まったく賛同できるような内容ではありませんでした。

他の3人の児童は一人ずつ呼ばれて話を聞かれたのに、うちの子だけ一対一で話を聞かれていないのですが、それは極めて不公平だと私も我が子も感じました。それについては、先生は先生なりの理由があってのことだと説明しましたが、そんな理由を児童が察することができるわけないだろ、と正直思いました。不公平さを感じて当然だとやはり思いました。

 

先生と私とでは価値観が異なり(当然ですが)、教育方針も違うので、私ならまずそのようなことでは叱らないが、先生は叱る人だ、ということはわかりました。

どちらにせよ、真実がどうかわからない段階で、叱るべきではないです。

 

今回は、うちの子が不登校になったのは、加害児童よりも、先生が大きな原因であることははっきり伝えました。

今後、調査した結果を互いに報告するということになりました。

 

そして、残念ながら、今回学校側から一言も謝罪がなかったことで、うちの子は修学旅行は絶対行かないと最終決定したようです。

 

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真相を明らかにすることにしました

  • 2018.10.09 Tuesday
  • 21:38

気が変わりました。

最初、私個人は、どうせ真実など誰にもわからないし、もうどうでもいいや、と考えてしまいましたが、肝心の子どもの気持ちを忘れていました。

考え直し、子供の名誉を守るために闘うことにしました。

 

あれから毎日のように怒りの感情を口にする我が子を見て、やはり真相を明らかにし、謝罪を要求するべきだという考えになりました。

子ども自身も、「もし謝罪があれば修学旅行にも行く」と言ったので、これは急がねばならないと思いました。

 

そして、一緒にいたお友達と加害者の妹の証言などがあることから、真相を明らかにすることは可能なのではないかという気もしてきました。

 

そこでふと思い出したことがあります。

以前もうちの子は万引きの罪を友達に着せられたことがあったのですが、防犯カメラの映像が証拠となり、その友達が本当の万引き犯であることが証明されました。

それで、今回も、防犯カメラの映像が証拠になるのではないかと思いつきました。

今回の冤罪が具体的にどのような内容だったかについては後日詳しく述べたいと思います。

 

防犯カメラの映像が証拠になるかもしれないとはいえ、簡単に見せてもらうことなどできるはずもなく、事件でもないので警察も無理だろうから、もう弁護士しかないと。

そうなると、民事調停とか民事訴訟とかを念頭において、徹底的に闘ってやろうかという気になってきます。

ですが私も、一応順序というものを考慮して、まずは話し合いだろう、と。

 

そんなわけで、まずは教育委員会のいじめ相談窓口に電話しました。

すごく丁寧に話を聞いていただき、いじめ案件として調査をお願いしたところ、修学旅行のこともあるので、青少年課のほうで早急に対応していただけることになりました。

 

そして、学校側にすぐ面談の申し入れをするよう言われたので、すぐさま学校に電話をし、校長先生に面談を申し入れました。ところが今日は校長会があって夕方まで不在とのことだったので、今度の土曜日の午後に面談をすることになりました。

 

校長先生には先月の25日、うちの子と学校へ荷物をとりに行った日ですが、その時に「いじめに近いと思っている」と話したのですが、今では完全にこれはいじめであるという認識になっているので、今日は「いじめ案件として真実を明らかにして欲しい」旨を伝えました。

 

私も先生に気を遣い過ぎたと反省しています。

というのも、不登校になったのは、加害児童よりも先生の対応の悪さが最大の原因だったにも関わらず、私は先生を傷つけまいとしてそのことをはっきり言わず、遠回しに「やってもいないことで叱られたと訴えている」としか言わず、これまでの加害児童とのトラブルの積み重ねをメインに話してしまったので、学校側は、特に担任の先生は、自分に非があると全く認識しておらず、まるで他人事のような感じだからです。

 

校長先生も、普通の優しいおじさんといった印象ですが、学校側の責任について、まったく理解していない様子だと感じました。

 

私も当初は「早く帰りたい」「もう関わりたくない」「多忙な先生にこれ以上手間をかけさせたくない」という気持ちが強く、つい「うちは大丈夫ですから」「どうせ真実なんてわかりませんから」などと言ってしまいました。

それは間違いでした。

子どもの名誉のために闘うべきだと考え直しました。

そして、はっきり言うべきだと反省しました。

先生、あなたが一番の原因なのですよ。

 

我が子の無実を証明していきます。

 

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登校拒絶

  • 2018.09.25 Tuesday
  • 15:30

今日からうちの小学6年生の次女が、学校へ行くのをやめます。

不登校とは少し違うかも、「絶対行かない」という強い意志があり、登校拒絶です。

 

これは、怒りの抗議です。

先週末、うちの子はすごくショックを受けて帰ってきました。

やってもいない罪で先生から叱られた、というのです。

それが原因で、「もう学校へは行きたくない」と言いだしました。

 

なぜそうなったかというと、友人二人に陥れられたのです。

罪を被せられたのです。

私が親だからうちの子が正しいと思い込んでいるわけではなく、これまでの情報から客観的に判断して、冤罪なのです。でも情況証拠にすぎません。

 

その友人二人とは、ここ数年ずっとトラブルが絶えず、うち一人とはプライベートでの付き合いを一切断っていました。学校でも、うちの子から話しかけることはありませんでした。

 

低学年の頃から、繰り返し繰り返し私に相談してきては何度も関係修復を図ろうと頑張ってきました。

もう限界でした。本人も私も。

 

これが友人トラブルだけで終わらず、先生が真実を確かめようともせず、うちの子をやってもいない罪で人前できつく叱った、ということがどうにも許せません。

信頼関係とは、一瞬で崩れるものですよね。私も気を付けよう。

 

今となってはもう真相などわかってもらおうとは思わないし、どうでもいいです。

みんな我が子を信じたいでしょうし、先生もみんなを信じたかったのでしょうし。なぜかうちの子のことだけ先生は信じなかったようですが。

 

例えうちの子が許しても、私は許しません。

彼らを嫌いになることはないし、憎みもしないし、責めたりもしませんが、許しはしません。

私は牧師でも神父でもないし、罪を許したりはしません。

許せない人たちと共存していく、それだけです。

 

校長先生は、「イヤな人間関係はこれからもたくさんある。それから逃げないことを学ぶのも学校です」とおっしゃいました。確かにそうかもしれません、そういう学びもあるでしょう。

でも、そのような正論が弱っている人間をどれだけ追い詰めるのか、考えてみて欲しいです。

 

逃げてもいい。助けを求めてもいい。関係を絶ってもいい。

嫌な人間と無理に仲良くする必要などない。

そのような学びが今のうちの子には必要です。

学校に行きたくなくなるほど何年も頑張ってきたのですから。

 

先生からの手紙への反応

  • 2018.09.17 Monday
  • 11:46

さて、先生からのお手紙の件をツイッターに投稿したことで、様々な反応がありました。

一番興味深かったものを紹介したいと思います。

 

批判ではないでしょうが、私に言うことなのかなって気はしました(^_^;)

 

何からの自立?

誰から誰への説明?

内心がどう関係あるの?

方針って?

私が労力を考慮するの?

 

みたいな疑問はわきました。

「考慮してください」って、この方は先生なのでしょうか?わかりません。

わたし、自分ではすごく先生方に余計な労力を使わせないよう努めているつもりなんですが・・・。

 

とりあえず、この方への返信にも書きましたが、重要なポイントは、

 

★先生の内心がどうであれ、然るべき対応をとるのが先生の職務である。

★手紙を書かせたのはPTAであり、引き受けたのは先生である。

 

先生の内心がどのようなものであるかなど関係なく、先生は児童差別を許すような行為をしてはなりません。

ここでおっしゃっている「方針」が何なのかちょっと不明ですが、あまりよろしくない想像ですけど、「児童に対しては平等に記念品配布する方針」ですかね?それに反対かもしれない、と?だったとしても取るべき対応に違いはないですからね。

 

で、「説明」って、先生がPTA側に対して「除け者扱いをされようとする方がおられるかもしれませんが、そのようなことは許されませんのでご理解ください」って説明すべきことですよねぇ。

私に対して説明するのであれば、「安心してください、除け者扱いしてくる人がいるかもしれませんが、そのようなことは決して許しはしませんから」ってものであるべきですよねぇ。

 

さらに、今回の件で先生の労力を考慮すべきなのはPTA側ですよねぇ。

なぜPTAが手紙を書かないのでしょうか?先生に無駄な労力を使わせたのはPTAですよ。

 

先生を巻き込んでしまったことについては私も申し訳なく思ったので、謝罪と感謝の意は伝えましたが、先生も本来の職務ではないことを軽々しく請け負ってはいけませんね。職務に専念してください。

 

そして、この方のツイートを発端とした展開をご覧いただきたいです。

 

と、加藤さんがコメントされたことで、そこから議論が続きます。

長いのでここには全部は載せません。

 

私が気になった点を挙げると、

先にも述べたように、あのような内容の手紙を書くことは先生の職務ではありません。

ですから、ここで「先生の労力」について、「30人分手書きしたら大変だろ」とか、知らんがなって話です。本来の職務ではないのだから頼まれても嫌なら断ればいいだけです。

ぶきぶきさんがまったく同じようなこと言ってますね。

 

次に、「のけもの扱いされないようにすることが教師の職務である」ことについて、これはPTA関係なく「いじめ防止対策」の話ですね。

「手始めに何をすれば教師どもに『いじめ』を防止させることができるのか」とお尋ねなのですが、え、それって、「防止させる」もなにも、公務員がいじめ防止対策推進法を遵守するだけという当たり前のことでは・・・。

 

今回の件については、いじめ加害者(になる可能性のある者)が大人のPTA会員であるので、シンプルに「記念品は児童全員に配布するかしないかの二択です、のけもの扱いはイジメという人権侵害ですからやめてください」と毅然とした態度で伝えればいいんじゃないでしょうか。

なので、まずは先生がPTAと学校の関係について正しく理解すること、それが先生にいじめ防止をさせるための第一歩でしょう

 

後半部分の「差別意識」についての議論では、素晴らしいなと感じる部分がありました。

良い感じで議論が終わったことには非常に好感もてます。醜い言い争いにならなくて良かったな、と。(あ、でも醜い言い争いも見るのは嫌いじゃないですね、わたし悪趣味なので)

 

飯島真樹さんもこうおっしゃっています。

まず教師が問題の本質を理解していないことがこの問題を深刻にさせているというご指摘。まったくその通りなんです。

 

学校や教師が、暴走するPTAに対して「差別ダメ!入退会自由!」と毅然とした態度さえとっていればこんな大きな社会問題にはならないんですよね。

 

JUGEMテーマ:PTA役員・委員会

ついに我が家にもコサージュ問題が?

  • 2018.09.16 Sunday
  • 22:39

ツイッターにもあげましたが、先日、担任の先生から以下のようなお手紙をいただきました。

 

1.卒業記念品(学校へ贈るテント)のお金、払ってくれない?

2.PTAからの卒業プレゼント、どうする?

 

これについての私の返事は、ざっくりまとめると、

 

1.任意だし、わたし払わないよ。割当的寄付は禁じられてるよ。

2.児童全員に配るか配らないかの二択だよ。私が決めることでもないし。

 

実際に書いた返事は長文なので、最後に載せておきます。

それにしても先生、字きれい。うらやましい。

一応言っておきますが、私はこの先生を過去最高に信頼できる先生だと思ってます。

 

 

で、先生からまたお返事がきたんだけど、かなりあっさりした内容で驚きました。

 

「これまで同様、みんなと同じように対応していきます」とのこと。

良かった良かった。

なら最初から私の希望など聞く必要なかったじゃん?

最初の手紙は一体何だったのでしょうか?

 

 

まず、今回の手紙で非常に問題だと感じたのは、「先生がこのような内容の手紙を書いた」ということです。

(PTAの児童差別は昔から大問題なので、それはひとまず置いといて)

 

本来は、私と学年委員長(6年生の学年委員長が寄付を呼び掛けているので)、私とPTAが対話すべきことです。先生の職務ではありません。

例えば、この手紙を書いたのがPTAで、先生は受け渡しの仲介をしただけならまぁそれくらいはいいかな、という感じです。

 

先生はPTAからそのような依頼をされても、断るべきだったかな、断って欲しかったな、とは思いますね。

 

あと、公務員が公共施設に必要な備品を買うためのお金を一般市民に「寄付してよー」って言っちゃうのってどうなの?と思いましたね。呼びかけるのは自由かもしれないけど、まずは行政側に言ってもらえませんかね・・・。(本当にテント必要なの?という疑問もわくが)

しかもこれどう考えても地方財政法が禁じている割当的寄付金じゃない?公務員がそれに加担しちゃダメでしょう〜。

 

別の捉え方として、先生は教師としてではなく、「一PTA会員として書いた」のではないかというものがあります。

しかもこの先生は同じ6年生の保護者でもあります。なのでまぁ個人的な立場から書かれたと捉えられなくもないのですが、実はこの写真の他にも手紙はありまして、そこには子どもの運動会の練習の様子などの職務上知り得た情報も書かれており、そこを読むとやはり「教師として」書かれたものだと常識的には判断されると思いますね。

 

仮に個人的な立場から書いた私的な手紙だとしても、それが勤務時間中なら職務専念義務違反ですよ。

 

それとですね、

この卒業記念品の件はについては詳細プリント配られる前から私は知っていたんですよね。

 

最初からテントを贈ることは決まっていて、

みんなからお金を集めることも決まっていて、

あとは金額どうしよっかなーって感じで話し合われていたようです。

 

この情報をくれた方に聞くと、「任意ではなく全員に払ってもらう」と決まっているそう。

えっ、一体何の権限があってお金取れるの?

 

何度も言いますが、割当的寄付は禁じられています。

 

 

めちゃくちゃふざけてるw

なんで勝手に他人からお金を搾取すること決めちゃってるんでしょうか。

 

ま、いいですよ。任意ですから。

どう言われようが断ればいいだけですからね。

 

もしこれが、「学校にテント贈ろうと思うんだけど、みなさんどう思いますか〜?賛成される方は寄付にご協力お願いしま〜す」とかだったら、普通に協力したと思います。

 

で、700円払ってよってプリントが配布され、12日が集金日だったんですけど、私は払う気ないので払わなかったんですね。

 

そしたら先生から寄付協力お願いの手紙がきたわけ。

「岩元さん、忘れてる」とでも思われたのかな?

仮にそうだったとしても、任意の寄付なんだから、指定の日に払わなかったとして、わざわざ先生直筆のお手紙で催促することですかねぇ?

 

とにかく、寄付もPTAの入退会もすべて任意なのだから、あのような内容の手紙を書く必要性などまったくないわけです。

本当に意味不明なお手紙でした。

 

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制服制度

  • 2018.07.10 Tuesday
  • 19:24

ちょっと前に、私、こんなつぶやきをしたんですよ。

下着の色指定や、体育時には肌着つけないなどのブラック校則について。

そしたらですね、とんちんかんな脳内変換をされる方がおられて、

どうやら「制服制度を否定している」と思われたんですね。

 

否定も何も、制服が実は任意なのは私の個人的見解ではなくて、事実なんですよ。

で、ツイッター上ではただの一度も私の制服に対する考えは述べたことない。

(幼稚園で制服強要された事実だけは話したけど)

 

そこで、私が学校の制服についてどう考えているかを一度述べておこうと思います。

 

私は制服不要派ですが、必要と考える人も多いでしょうし、私が反対したところで学校の制服制度がなくなるわけではありません。なので、制服制度を以下のようなものにすればベストだと考えています。

 

○制服か私服かを選べる。(本来は選べるんだけども)

○制服のデザインが豊富。(男子もスカートはけたりとか)

○無駄な刺繍など要らないので、安くすべき。(ブラウス等は市販品でもよい)

○靴下や靴など小物まで指定しない。

 

私立でしたらアルマーニ制服が自慢の園や学校があってもいいわけです。

 

制服あってもいいかな〜と思うのは、やっぱり貧乏だと、ダサい服とか親戚のお下がりとかしかないから、制服のほうが余計なこと考えなくてすむかな、って個人的な体験からです。

 

ま、制服ないならないで、私なら毎日ジャージ登校してただろうな。実際に中学の頃は体操服登校していたし。(怒られたけど)

 

あってもなくてもいいけど、誰かに制服を強制するのはダメなんですよ。

今のところ、ほとんどの中高生諸君は誰かに強制されて制服着てるなんて認識はないんじゃないの?

別に苦痛じゃなければ着ればいいさ。

 

あの海外のピアスして髪染めてる子供たちへのインタビュー見ましたか?

「なぜ?学校は勉強するところよ。着るものやファッションなんて関係ないじゃない」

そ、そうですね・・・おっしゃる通りです。

 

とにかく、制服なんて、「毎日着るものに悩まなくていい」「仲良しさんと毎日お揃いの洋服♡」程度のメリットしかないですね。

帰属意識とか規範意識とか、制服でそれほど効果あるとは思えませんが、探せばきっと何かしらの教育的根拠がみつかるのではないかな?制服ある学校のほうがない学校よりもなんちゃらかんちゃら〜とか。

 

どのみち子供に制服着用を義務付けてもよいという法などないので、結局は「個人の自由」でどうぞ、となりますね。

 

 

私が勤める保育園に、神村学園の実習生さんが来たんですけど、私好みの可愛い制服着てるんですよ。

「うわ〜可愛い〜」って同僚の先生に言ったら、その先生も神村学園の出身だったそうで、「可愛いですよね、私はあのデザインは買わなかったけど」って言われて、思わず、え???

 

デザインを選べるんですかぁ〜〜〜???

 

調べてみたら、なんと、想像以上に選べたw

すごい。私立って、どこもそんな感じなんですか?

 

神村学園の制服コレクションを眺めながら、うーん、もう少しバリエーション増やして欲しいな、男子もスカートはけるようになってたらいいな、とかいろいろ欲が出てきましたw

 

 

制服もPTAも任意。この事実が「制服なくせPTAなくせ」に聞こえるのは一体なぜなんでしょうね。

 

JUGEMテーマ:学問・学校

考えないことは罪か?

  • 2018.06.13 Wednesday
  • 12:26

このまえ、「二番目の悪者」という絵本を読んだ。

絵本の帯には、「考えない、行動しない、という罪」と書かれていた。

 

真実かどうかもわからぬ情報に流され、自分の頭で考えて行動しなかった大衆が、結果的に国を滅ぼすというあらすじなのだけど、まぁこれは大変教訓的で、民主主義国家において主権者である国民が自ら考えて行動することの重要さは言うまでもないことなのだが、そうではない人が実際大勢いるのでこのような風刺絵本が出てくるのだろう。

 

重要なことなのはわかるが、ではいったい我々は何をどの程度考えたらいいのだろうか?という疑問が生じた。

だって、この社会に関する考えなければならぬことは山積みで、一人の人間が考えて行動するには限界ってものがある。

 

それに、考えない自由ってものもあるのじゃないか?と。考えない自由は確かにあるんだけど、考えないことにより他者の自由や幸福を奪う可能性があるという点において罪があるのではないか?

 

個々人には考えない自由はあっても、そういう人が増えすぎると社会は崩壊するから、やはり考えて行動できる人というのが社会から求められているのであって、そういう人間を育てるのは教育の力なのではないか、という考えに行きつく。

平和で成熟した社会を維持するには考え続ける必要性があるんだよね。

 

昔、キャバクラで一緒に働いていた子が性風俗の仕事に転職した。

理由を聞くと、「考えなくてすむから気楽でいい」と言ったことが、なるほど、とも思いながら衝撃的でめちゃくちゃ印象に残っている。

 

考えることが苦手な人もいるし、嫌いな人もいて、考えたくもない時だってある。

 

私は、思考停止に陥っている人たちが、どうしてそういう思考癖を身に着けたのかを考えていて、もし「僕は考えることが苦手だからそれ以上考えないことにしている」という明確な意思に基づくものなら、それはそれでいいやと思った。

ただ、その人が受けてきた教育や環境によって、そのような思考癖が無自覚に身についてしまったのだとしたら、大変お気の毒なことではないかと思った。

 

また、そんな思考停止状態の人を「お気の毒」といって上から目線で憐れんでいる自分もどうかと思った。「お気の毒」で終わらせてしまっている自分もそこで思考停止じゃないか。

 

ここで「思考停止」の辞書的説明を引用。

自分自身で物事について考え、判断することをやめてしまうことを意味する語。 多くは批判的に用いられる語である。 思考停止が起こる理由としては、何らかの要因により、権威や規範などに盲目的に従ってしまうことなどが挙げられる。

 

実家に帰ると、ばあちゃんや叔母とよく地域の問題で議論になる。

「そんなんだからダメなんだよ、人権は〜自由は〜」などと言えば「だってここではそうだと決まってるんだもん」「難しい話はわからん」と言われて終了。完全に思考停止である。

 

けれども私は、ばあちゃんたちの幸福も願っている。

そうか!それ以上考えることができない人の分まで自分が考えて行動すればいいんだと思った。

 

そこでふと気が付いた。

そうやって考えられない人も含めてみんなの幸福のために「考えて行動すること」を仕事にしているのが政治家じゃないか、公務員じゃないか、と。

あらゆる職業がそうだと言えるかもしれない。それぞれの分野で考えて行動して社会を良くする。

 

保育士や教師がよく、教育やしつけに関することで保護者批判をしているのを見かける。

そういうのを見ていて、私は、どっちがプロなんだよ、と毎度思う。

 

人として対等であっても、専門性や知識においては決して対等ではない。責任はあれども、親であることは職業ではない。「親になる資格」なんて変な言い方だなと感じる。

プロは問題の本質を理解しどう行動するかを考えるべきではないのか?

 

彼らのいういわゆる「ダメ親」の対応として専門職の態度が「おまえが躾けろ」「余計な仕事を増やすな」といった意見を主張するのは、自らの職責放棄にしか見えない。

 

やはり考えるべき職にある人が思考停止に陥ると危険であり、罪深いと言わざるを得ない。

 

もちろん、専門職でなくともすべての人が思考停止に陥らないことが理想であるけど、現実はそうはならない。先も言ったように、世の中にはどうやってもそれ以上考えることをしない・できない人もいるんだ。でもその人たちの権利・尊厳も守るべきだし、考えることが得意な人たち、考えるべき職にある人たちが考え抜けばいいんだ。

 

私は、原発問題(一例として)にはあまり深く考える時間を割けないけど、保育士という職業だから、保育や教育についてこれからも考え続け行動する、というスタンスで生きていく。

 

【B級ホラー】幼稚園父母の会

  • 2018.06.07 Thursday
  • 15:11

事実を記録しておく。

 

5月14日はホラーな日だった。

その日、私は職場の保育園の園庭で子供たちを見守り中だった。

 

事務の先生が「みき先生、幼稚園の主任からお電話で、今からバザー役員のくじ引きがあるから仕事抜けられないかって言ってますけど。で、くじ引いて当たったら役員引き受けられるかって聞いてますよ」

 

は?????

 

仕事抜けるですって?

何言ってんの、できるわけないだろう。

役員も引き受けられない。

「無理なので、断ってください」

 

それから10分くらい経過。

さぁ今から給食だ、水道で手を洗いながらふと前を見ると、

 

ぎゃーーーーーー!!!!

 

さ、さっき電話をかけてきた幼稚園の主任が目の前にいるぅぅぅ!

どどどどどういうこと??

 

「あ、いわもとさん、今からくじ引きなんですけど」

 

知らんがな!!!

 

勝手にくじ引きでもなんでもしろ!

 

仏の笑顔で、心は般若。

「これって、父母の会主催のバザーですよね、なんで先生がここまでされるんですか?」

「あ、役員が決まらなくて話が進まないので・・・」

「そんなの保護者の間で決めることですよね」

「そうですね」

「くじ引きでもなんでもしたらいいじゃないですか、それで当たっても私は断るだけですから」

「あぁ、引き受けられないって伝えたほうがいいですか?」

「ふっ・・・どっちでもいいです、これって(職場訪問)、他の保護者にもされてるんですか?」

「あ、いや、電話は何人かしてますけど、そんなにお休みの方はおられなかったので・・・」

「へぇ〜ふふふ・・・」

 

いつもすごくしっかりしてて判断力もある先生なのに一体どうした?

 

その日のお迎え時、主任の先生が謝ってこられた。

「父母の会主催のバザーなので、そこははきちがえちゃいけないな、と」

 

はい、そうですね。

 

後日同じバザー係のお母さんから聞いた。

その日は欠席の人が多かったそうだ。

おや?先生は休みは少なかったとおっしゃっていたが?

 

私にだけ、職場におしかけたので、そう言い訳をしたのか?

私が非常勤だから軽くみているのだろう。そう感じた。

 

我が子の幼稚園と職場の保育園は隣なので、すぐ呼べると安易に考えたのかもしれないが、距離は関係ない。

仕事中なのだ。ちょっと抜けて良いものではない。

ていうか、ただでさえ人不足で休憩時間すらとれぬほどなのを同業者の先生が知らぬはずはないのだが。

 

そもそも集まりに行かなかったのは知らなかったからなのだが、なぜ知らなかったかというと、お知らせのしかたが非常に悪く、多くの人が期日を見落とす結果になったのだ。

まぁ知ってても仕事だから出席してないけどね。

 

この、父母の会のくじ引きのために教師が保護者の職場を訪れるという前代未聞の出来事は、市役所へ伝えることにした。もちろん、市役所へ電話する前に先生とは話をし、市役所に電話することも事前に伝えた。

 

私は父母の会を退会する決意をしたので、それにより退園をせまられたりしないかを確認したかった。

役所の回答は明確で、「そんな理由で退園などあってはならないこと。市としては認められない。」とのこと。

また、退会者の子供への差別的扱いについては、「子どもに対しては平等にしてもらわねばなりません。」とのこと。

 

安心した。

 

市役所に電話した翌日、私は幼稚園の理事長に呼び出された。

退会について賛成はされなかったが、退園を迫るとか、子供を差別するといった脅しは一切されなかった。

父母の会については、「お手伝いがないと行事が回らなくて困る」と言っておられたが、それは園の運営の問題であろう。最初から、保護者のボランティアをあてにした行事の設定が間違っているのだ。

 

保護者の善意につけこんだ労働力と金銭の搾取はいいかげんやめよう。

 

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保護者の要求にどこまで応じるか

  • 2018.06.02 Saturday
  • 15:24

制服強制問題の流れもありますが、「保護者の自己決定を尊重する」ということに関連して、保育者の立場として、保護者の要求にどこまで応じるかということをここしばらく考えていました。

 

私なりの答えはシンプルです。

誰かの権利を侵害するようなものでないなら応じる。

あと、物理的に不可能とか、経済的損失があるとか、断るのに合理的な理由があれば応じる必要はない、ということです。

 

 

実際にあった二つの事例を紹介しますね。

○虫歯が心配なのでおやつのチョコを除去してほしい。

○アレルギーで我が子だけおかわりできないのは可哀想だから、他の子もおかわり禁止にして欲しい。

 

どちらも大した手間なく可能なことですが、

後者の場合は、他の子のおかわりする自由を制限することになるので応じる必要はありませんね。アレルギー対応のおかわりを用意するなら可能です。

 

前者はその子だけチョコを除去すればよいだけなので、対応可能ではあります。

ところが園側は「アレルギーでもないので不可」と回答。

 

ほとんどの先生は「単なる親のワガママ」といった捉え方でした。

この問題が意外にももめまして(^_^;)

お母さんは「退園まで考えている」とまでおっしゃる。

 

たかがチョコ、されどチョコ。

 

子育てにおける親のひとつのこだわり、ですね。それは人それぞれあるものです。

私が幼児に制服を着せたくないように。

 

栄養士さんのお話を聞くと、どうやら感情の問題のようでした。

やはりチョコ除去すること自体は簡単なことなんだそうですが、これまでやってきたことを否定されたことでプライドが傷ついたようでした。

 

で、それはもう宗教のようなもの、信念だから、その子育て観を尊重したらどうかと私は言いました。

折れて妥協する、ということではなく、尊重する、ということです。

幸い、園長も私の意見に賛同してくださり、栄養士さんもこの多様な価値観のあふれる時代に合わせていこうということで話は解決しました。

 

 

ところで最近、『保育と憲法』という本を読みました。

これがすさまじく質の高い保育を実践している内容で、ひとりひとりへの子どもへはもちろんのこと、そこまでやるかというくらい保護者への支援をするんです。

 

例えば、詳細は読んでいただきたいですが、自宅まで園児を迎えに行ったりとか、延長保育を夜8時までにしたとか、その家庭にとことん寄り添った支援をするわけです。

 

えーそんなの質の高い保育っていうの??って思うよね、だって保育者だって生活あるし!

ところが悩みながらもみんなで意見を出し合い話し合い、その保育者チームはそういう答えを出したの。

子どもの最善の利益を一番の目的として。

(まぁ夜間保育や年中無休保育などはニーズがあるので認可外保育所が担ってますよね)

 

はっきり言って、大半の保育士は、「そんなの無理!」などと言うのではないでしょうか。

長時間保育は可哀想という考え方も根強いですし。

私自身、このような美談にも思える保育のあり方の陰で、実は無理してる先生たちがいるのでは?と心配になりました。

 

また汐見稔幸・大豆生田啓友先生の『保育者論』でも、子どもたちがクリスマスの朝にサンタからもらったプレゼントの話をする中「うちにはサンタこないってママが言ってた」と言った子どものために、職員がプレゼントを用意し、お迎えにきたお母さんに説明してプレゼントを手渡す話が書かれていたのだけど、正直それやりすぎじゃないの?と思いました。

親切の押し売りじゃないの?と。

でもそのご家庭のことをよく知っているのはそこの保育者チームなので、詳細を知らない私がどうこう言えることではない。

 

そんなこんなで、いろいろな事例に対して、それぞれの保育者チームたちが本気でひとりひとりの子どもとその親の事情や気持ちに寄り添った保育をしようとしていること、これには本当に頭が下がりました。

 

これら質の高い保育を実践している保育者チームと、私の所属する保育園との決定的違いは、チームとして機能しているかどうかという点です。

私の勤務する保育園にも優れた保育士は多くいて、人間関係も良好なのですが、チームワークは少し悪いと思います。私自身はそこを少しでも変えていけたらと考えています。

 

チョコ食べさせないで、制服着せないで、様々な要望がある中で、どこまでその家庭の価値観を尊重できるか、気持ちに寄り添えるか、何が子どもの最善の利益なのか、しっかり考えていける保育者チームでありたい。

 

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制服強制事件

  • 2018.05.19 Saturday
  • 22:53

17日朝、私はなんとも言えぬ感情に襲われた。

これは怒りなのかわからぬほどの怒りで身体が震えた。

私は何に対してこんなにも怒っているのか?

 

これまで幼稚園の先生の言動や対応におかしいなと思っていたことはいくつかあった。

例えば、

先生から「制服着なさい」と息子が言われたこと。

先生から「わたしじゃなくてボクでしょ」と息子が一人称を直されたこと。

承諾なしのテレビ撮影。

 

給食の無理強いもありましたね。

 

そして今朝、息子のクラスの集合写真を見て、フォーマル私服を着せたはずの息子が幼稚園の制服を着て写っていることに気付いた。

 

手が震えた。

 

それのどこが?そんなことで?と思われるかもしれないが、そもそも私は制服が大嫌い。

私にとっては、イスラム教徒に豚肉を食べさせるくらいのあり得ないことで、個人の尊厳を著しく傷つけることだった。

 

ここに至るまでにはちょっとした経緯がある。

まず、この認定こども園では、制服は1号認定児のみで、2号3号には制服はない。強制できない。

これは市の保育課でも確認したが、2号3号には制服を強制しないようにと指導しているそうだ。

1号認定は自らの希望でその園に通っているが、2号3号はそうとも限らないからだ。

(認定の違いについて知らない方は他で調べてください)

 

うちは貧乏なので制服は買わないと決めている。

 

昨年、うちの子が年少のとき、写真撮影の日は普段着で行った。

先生には「制服ない子はこのままでいいんですかね?」と尋ねたが、「どうですかねぇ?」とわからない様子。

「まぁ持ってないんだからしょうがないですよね、このままでいいですね」という軽い感じだった。

実際、そのまま私服姿で写真は撮影された。

 

ところが修了式の日に、息子は先生から「制服着なさい」と言われたそう。

息子は先生から注意のようなものを受けたことで怒っていた。

私も腹が立ったが、まぁ先生も任意とは言えやはり制服着せたいんだろうなと思った。

 

息子はこれまで一度も制服を着たいなどと言ったことはなく、毎日好きな服を自分で選んで着て行っている。

我が家では、自分の身につけるものはほぼ全て買うときから自分で選ばせるようにしている。(これには理由があるがここでは割愛する)

 

そうは言ってもやはり式とか集合写真はフォーマルなものが良いとは考えていたので、春休み中に息子と二人で本人の気に入るフォーマル風な洋服を買いに行った。

幸い気に入るものがあり、息子もそれを着るのをすごく楽しみにしていて、当日もすごくうれしそうに着て行った。

先生からも「かっこいー」などと言われ嬉しそうにしていたのを覚えている。

 

なのに、撮影はなぜか制服だった。

出来上がった写真を見た息子曰く「○○先生が大好きな洋服をとった。○○くんの制服を貸してくれた」と。

 

なななななんてことをしてくれたんだぁーー!!!

子どもの権利条約を読んで理解しているのか!!

改訂された認定こども園教育・保育要領は読んでいるのかぁーー!!!こらぁ!

日本国憲法を理解しているのかぁーーー!!

 

直観的に私の脳内をそのような言葉が駆け巡り、怒りのあまり手が震えだしたのだ。

 

普段着ないような洋服を着て行ったのだから、普通の人間なら「あ、この洋服を着て撮影をする気なんだな」と一目でわかるだろう。私もそれなりに配慮して、全体の雰囲気を壊さないよう色味を押さえたシンプルなものを買ったつもり、ていうかフォーマルなものって大体そんな感じ。

 

でも、教員がその意思をいともあっさり無視し、個人の価値観なのか園の方針なのか知らないが、「制服を着ねばならぬ」という価値観を押し付けたのだ。子供に。私に。

 

こちらの意向を無視したのだ。無視。ここが一番の怒りポイントだったのかもしれない。

 

ものすごく厳しく言うと、

このようなことが無自覚に平然と行われ教員の誰もが疑問に思わないということは、不勉強や権利意識の低さの現れである。

えらそうに言ってごめん。

 

ただ、現場の先生方は非常に善良な方々です。本当に。人間的には信頼してる。

普通の感覚で、「みんなが着てるんだから一緒に着ようね」程度のことで着せたのでしょう。まさか個人の尊厳を傷つけるとまで言われるような重大事案だとは予測できなかったでしょう。それは無理もない。

 

その後、園と話をしたときに、副園長先生が「ひとりだけ私服だと可哀想だと思ってやったことなので」とおっしゃった。

え?流行りの忖度ですか???

悪意がないことはわかる。悪意があってしたなら訴訟ものだ。

 

実際には可哀想なことではない。本人は大好きな洋服をとられたことを訴えてきたのだから、そのことの方が可哀想なことだったのだ。

子どもの気持ちに寄り添うとは、難しいとは思うが、それがこの専門職の仕事なのだ。

 

なぜみんなと同じものを着ないと可哀想なのか?

中にはそういう子もいるだろう。みんなと同じものを着て喜ぶ子もいるだろう。だが現時点でのうちの子は違うのだ。

まぁ「みんな一緒教」についてはひとまず置いておいて、理屈の話をしたい。

 

 

制服の法的根拠、憲法、権利条約、人権についてはこの弁護士さんのページが参考になる。

どうなってるんだろう?子どもの法律 学校で制服を着ないといけないのが嫌だ

 

しかし,学校の生徒の制服は,法律がありません。


日本は,子どもの権利条約という世界との約束で,

「子どもの表現の自由を制限するときは,きちんと法律を作らないといけない」

と確認しています。

制服については,その法律がないのです。


法律がないのは,服装の自由を制限しなければいけない「よっぽどの理由」じたいが,ないからです。

 

制服のルールは,それぞれの学校が決めています。

学校は,みんなが安心・安全な学校生活を送るためのルール,いわゆる「校則」を作ることができます。

でも,学校は,何でも好き勝手に校則を作れるわけではありません。

憲法がとてもだいじにし,法律でも奪っていない生徒の服装の自由を,

学校生活のためという名目(めいもく)で学校が簡単に奪ってしまうことは,許されません。

 

みんなが制服と呼んでいるものは、実は「標準服」といって、「これを着ることが望ましい」とされている、単なるお願いレベルのものなのです。着たくなければ着なくてよいのです。義務でも強制でもありません。

ただし、他人の権利を侵害したり迷惑になるような服装はいけませんよ、ということです。

 

そして、昨年度改訂された「幼保連携型認定こども園教育・保育要領」には次のように書かれています。

第4章子育ての支援

第1 子育ての支援全般に関わる事項

1 保護者に対する子育ての支援を行う際には、各地域や各家庭の実態等を踏まえるとともに、保護者の気持ちを受け止め、相互の信頼関係を基本に、保護者の自己決定を尊重すること。

 

「保護者の自己決定を尊重すること」これが最重要句なわけですが、「子育ての支援を行う際には」と書かれているので、制服強要は別に子育て支援とは関係ないしーという反論が考えられますよね。

 

さて、我が家は貧困家庭に入りますので、経済的支援という観点から制服購入の強制はしないという方針は子育て支援にもなるかと思われます。

では、集合写真撮影時の制服拒否はどうでしょうか。

私は、経済的理由で制服購入をしませんが、自分の育児観や信念で制服撮影拒否をします。幼児期に人と同じ服装をすることに教育的意義をあまり感じませんし、人と違うことを認め合う価値観を育むことが目的であり、協調とはそのような異なる価値観を持つもの同士が共存するためのルール作りをしていくことであって、決して多数派に合わせて妥協するということではありません。それはただの同調ね。

子育てに直結する信念である以上、それを尊重することはこれもまた子育て支援であると考えます。

親の精神安定、幸福感が子供の情緒安定に影響することは自明の理です。

 

副園長先生はこうもおっしゃいました。

「園の教育方針と岩元さんのお考えが合わないことが今後あるかもしれませんが」

 

これまで、園の教育方針とか理念については特に何も問題に感じたことはありません。

先生個人のやり方に疑問をもつことはあれども、園の教育方針を捻じ曲げてまで自分の要求を通そうなどという気は毛頭ない。

 

いまいち理解されておらぬのが残念なのだが、私が今回園に対して指摘した問題はすべて、普遍的な「人権の尊重」というテーマに結びつくことばかりなのだ。ズバリ人権の問題なのだよ。

 

ただ、副園長先生にとっては、そのような問題意識ではなく、園独自の方針で決める問題であるようでした。

「撮影時は制服を着てもらう方針でよいか」と言われたので、今後そのようなルールを園の教育方針として定めようとされているのでしょう。

 

これについては私も一定の理解は示したいと思います。

市役所の保育課にも「撮影時に制服着用を拒否したらどうなるのか」という質問をしており、そのような場合の指針がないので検討すると現在回答待ちである。

 

ここでひとつの疑問が生じるわけです。これが公立園なら話は簡単で、上記の弁護士さんのお話のように、制服を着る着ないは完全に個人の自由、ということで決着するわけだけど、この認定こども園は私立であって、その教育方針については自由裁量が認められているわけですもんね。

弁護士さんもおっしゃるように『ただし,公立ではなく私立の学校では,「その学校のルールをわかったうえで,自分から希望して入学した」ということが重視されるので,校則で決められている制服を着なければ,停学や退学などの懲戒処分を受けてしまうことがありえます。』ってことなんだよ。

 

私立学校の校則と個人の権利が衝突した場合はどうなるかっていうと、裁判での結論を簡単にいうと「憲法は直接的には国や地方公共団体が守るべき約束だから、私人同士のお約束には適用されるものではなく、社会通念上合理的であるお約束ならOKだよ」って感じね。

 

まぁ制服着用義務のルールは私立学校では社会通念上合理的であると言えるかな。

幼児教育においても日本では制服のある園など一般的ですし、それなりに合理的な理由があるのでしょう。教育的効果や意義があるかというと個人的には疑問ですが。その後入学する小学校には制服ないしさ。単なる大人の都合でしかないように思える。

とにかく「その学校のルールをわかった上で自分から希望して入学した」ことが重視されるわけで、納得できます。

 

我が家、2号認定で、第1に希望して入ったわけではありません。制服強制されない理由はここにあります。ただ、いくつかの希望にこの園を書いたことは間違いなく、入ったからにはそれなりに園の方針に従うものかなと思ってはいます。

 

じゃ素直に従えよ、って話なのですが、

理屈で考えることは私にとって非常に大事なことでして、ホントややこしい性格でごめんなさい。

 

そして、本来一番重要な、子ども自身の気持ち。

彼は望んでもないのに制服を着せられたものの、なんかわからんけど先生が言うからしょうがないやという感じで従ったのではないかと推測されます。写真は楽しそうに写っております。

 

なので本人がそこまで嫌がるものでもないなら、撮影時は制服でもいいかと考えてはおります。

 

これまでただの一言も「制服着たい」などと言ったことはありませんが、そんなことを言うとすぐ「それは大好きなお母さんの気持ちをくみ取って望まれる通りにふるまっているだけだ」などと他人の子のことをよく知る超能力者が現れるので、今回の話し合いでは子どもの気持ちはどうかということはあまり論点にしませんでした。

子供が先生の顔色をうかがって、先生の望む行動をとることもよく知られていることであり、「園では制服着たいと言ってましたよ」と言われようものなら、「それは本心ではない可能性があります」と結局水掛け論になりますしね。

 

今回の園との話し合いでは、父母会の負担についても話しました。これについてはまた別の機会に書けたら書こうと思います。

 

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人権擁護課へ電話しました

  • 2018.05.17 Thursday
  • 15:25

こんにちは。

さて、今回は5年ぶりに鹿児島地方法務局人権擁護課に電話しました。

5年前の記事はこちら「PTA退会について鹿児島法務局人権擁護課の回答」

 

また音声データ置いておきますね。

https://drive.google.com/open?id=1r73PN7c30n7bM4MUFsdRW02P0TjlEYGg

 

↑これ聞けるかな?

 

5年前と大して変わってない印象ですが、5年前の自分の記事を読むと、法務局さんもPTAが退会可能であることはわかるようになったんだwと気付きましたね。

まぁ、それなりの進歩ですかね。

 

非会員の子供が、登校班に入れない、バザーに参加できない、卒業記念品がもらえない、といった事例で人権侵害にあたるのかどうかを質問しました。

それに対する回答は「わからない」「直ちに人権侵害になるとは言えない」といったものでした。

 

残念がっかり。

この5年間、PTAに関しては何も勉強されてこなかったご様子でした。

 

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生涯学習課に問い合わせました

  • 2018.05.10 Thursday
  • 13:29

なんか、音声埋め込みうまく行かなかったので、グーグルドライブにファイル置いて直接リンク貼りました。

PCでは聞き取れたんですけど、ほかのデバイスではどうかわかりません。

 

相手の声あまり聞き取れないかもです。

文字おこしする時間が今ないので、一部音声貼り付けます。

 

5月10日

教育委員会生涯学習課PTA担当大重さんとの会話。

https://drive.google.com/file/d/1IkeS-eU-ZBG4-hWUAl4kyeBfeVPTChvc/view?usp=sharing

 

もういっちょ追加。

https://drive.google.com/open?id=1VtrMOqW83jTUBYJC6jZzzBF4pmBM3MKc

 

【ざっくりと】

鹿児島市内のY小学校とS小学校のPTA非会員の方から、児童への差別的扱いや、退会保留扱いなどの相談に応じておりましたが、学校側やPTA側と折り合いつかず、私が直接、教育委員会へ問い合わせをするに至りました。

 

差別への対応については即答できかねるということなので、今後、対応を検討していただくようお願いし、定期的に私が進捗状況を確認するということになりました。

 

 

 

 

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トンデモな例え話

  • 2018.04.15 Sunday
  • 18:46

PTA関連で、この前私がすっごく驚いたツイートがあるんですよ。

私ってば、他人と感動ポイント違ったり、気になることがちょっとズレてたりするんで、ほかの人は大して驚きもしなかったかもしれませんけど。

 

以下のようなものです。

 

え・・・普通に乗せるよね。

人命軽視甚だしい例え話で、正直目を疑いましたね。

そんな例え話もってくるー???

なんかこういう人とは議論しても無駄そう・・・直感的にそう思いました。

 

確かに、そういう集団心理が働くかもしれないことは理解できますよ。

けれど、そこでどう行動すべきかは全然違う話です。

 

実際、愚かな人間ばかりなら、命よりもその集団心理に従って行動することを選ぶのかもしれませんが、

教育というのは、そのような場面にあって人は何を優先しどう行動すべきかということを教えるものでもあります。

 

そんなバカげた集団心理に従って、命を見捨てるなど、人のとるべき行動とは思えませんね。

人命最優先、と考えて行動するのが当然だと私は考えます。

迷うことなど全くありません。

 

「船作りに参加しなかったんだから乗れなくて死んでもしょうがないよね、PTAもそれと同じですよ」

私はこの例え話をさらっと言えてしまうところがとても恐ろしいな、と感じました。

死んでもしょうがないで済ませられる人だから、PTAの差別問題なんて大したことないんでしょうね。

 

命がどうでもいいと考える人に、いくら差別がダメだと説明したところで、理解なんてできるわけがないです。

あぁ、分かり合えないのは、根本から価値観が違うんだ、と。

 

自分の行動を決定づける倫理規範からして、もうまるで違うんだ、と。

理解力がないとかいうレベルの問題じゃないんだ、ということにすごく驚いたわけです。

 

 

ふとアリとキリギリスの話を思い出したんです。

この話の結末って、人によって違うんですけど、どの結末を思い浮かべますか?

 

私は「怠け者にあげる食べ物はないよーん、ざまぁみろ」的な結末を覚えていたんですけど、

中には、飢えたキリギリスに「またステキな歌を歌ってね」とアリが食べ物を分け与える結末もあるんですよ。

 

どうやら、もともとの残酷な結末が改変されたようなんですけど、

この改変を「偽善だ!」などと怒る人もいるし、「教育的だ」という人もいる。

 

どういう結末が好ましいと思うかは、その人の社会の見方、人間観とか、そういうので違ってくると思うし、違っていいとも思う。

それに、この話で何を伝えたいかにもよるよね。

勤勉さの大事さを伝えたいのか、慈悲の心を伝えたいのか。

 

だからまぁ上記の船の例え話の人も、

死んでもしょうがないというほど強い排除論を言いたかったわけじゃないかもしれないけど、

どっちにしても、排除されてもしょうがない、というのは人として残念な話です。

 

 

で、PTA非会員ってのは、怠け心で退会しているわけじゃないんですよね。

だけど怠け者であってもいいんですよ。

 

退会する理由なんて何でもいいの。

関係ないの。

 

だからね、会員さんたちにどのような集団心理が働こうが、

実際に非会員を排除したり差別したりすることは許されないのだから、

会員さんたちはいいかげんこの現実を受け止めないとね。

 

 

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保育士の責任とは

  • 2018.03.28 Wednesday
  • 13:53

先日、以下の記事を読みました。

 

【あの日から7年】大津波から子供を守った”奇跡の保育所長” 「美談」の裏で抱えた苦悩

保育士の責任とは何か。朝、預かった命を、夕方に保護者のもとにかえすことだ。

 

宮城県沿岸部、海抜0メートル、海辺から800メートルにある保育所。

東日本大震災でひとりの犠牲者も出さなかった。

「閖上の奇跡」「名取市の奇跡」などと呼ばれているそうだ。

 

保育所長の佐竹さんは「奇跡」と呼ばれることに困惑したそうだ。

その「奇跡」は、偶然ではない。

最悪の事態をも想定した日頃の訓練と備え、そして所長の適切な判断があってこそのものだ。

 

いつだったか鹿児島でも、震度5の地震があった。

 

幸い、被害など何もなく、揺れもすぐおさまったが、どう考えても外に避難だな、と思ってた。

ところが、隣の職員室から出てきた園長は、「まぁ大丈夫大丈夫」と言って避難は指示しなかった。

私は「え、大丈夫なんですか?」と、今思えばすごくマヌケな質問をしたなと思う。

 

園長は「ニュースとか見ないとわかんないから」などと言う。

そうだよ、私たちはニュース見る暇ないんだから園長が情報収集して指示してよ、と思った。

結局、通常の保育に戻ることとなった。

 

ところが、隣の幼稚園では園庭に園児たちが避難をし、中学校でも小学校でも、ほかの保育園でもしっかり子どもたちは避難していたのだ!

避難しなかったのうちの園だけ・・・。

 

他の園のように、避難し、園舎の安全の確認をしてから戻るべきだった。

 

園長に強く言えば良かった、「念のため、避難しましょう」と。

言い訳になるけど、とっさに判断するというのは難しい。

やはりトップの判断指示というのがいかに大事かということを思い知った。

 

幸い、揺れが続くこともなく、園舎に何の被害もなかったわけだが、この前の不審者侵入事件といい、こんな平和ボケ状態でうちの園は大丈夫だろうか・・・。

すごく良い園ですが、そこが不安要素。

 

今は災害時のマニュアルなどもしっかりできて、震度5以上は避難、となっています。

震度6とか7レベルならもう現場の先生の判断だけですぐさま外に避難するんだろうとは思いますが。

 

 

で、保育士の責任とは、上記の震災経験者が語るように、子供の命を最優先に守ることであること、これは確かなことだ。

最近の私の話の流れから、そのことをしつこく強調してますが、

最後にどうしてもこれだけは言っておきたいことがあります。

 

災害などの緊急時はもちろん子供の命最優先の行動をとるべきなのは言うまでもありませんが、

何事もない平和な日常にあっては、

ともすれば「死なない程度のことをしてればいい」という認識になる可能性が人によってはあるかもしれません。

 

保育士の責任とは、命を守る以外にも、他にもあると考えています。

ざっといえば、抽象的な言葉で申し訳ないですが、

豊かな心を育むための専門性の高い関わりとか、きちんとした生活習慣を身につけさせるとか、

何かしらの興味関心を高める活動だとか、なんやかんやといろいろあって、

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これについては、保育の専門性とは何かというテーマでまた考えを述べたいと思っています。

 

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『殺人犯はそこにいる』

  • 2018.03.25 Sunday
  • 18:53

前回の続きっぽくなります。

最近『殺人犯はそこにいる』というノンフィクションを読んだんです。

 

詳しい内容をお知りになりたい方は読まれてください。

途中、何度も涙で文字が見えなくなります。

 

その本の最後のほうに、「報道とは何か」ということについて書かれています。

 

『例えば、親が幼い子供を車に残して買い物などに行き、車内で子供が熱中症で亡くなる。そんな悲しい事故が毎年繰り返される。定形文とも言えるニュースが流れる。(略)そんな報道を目にして、あなたはどう思うだろう。「馬鹿な親だ」と思うだろうか。あるいは、「私はそんな愚かなことはしない」と笑うだろうか。しかし、このニュースの問題点はどこだろう。(略)原因はなんだったのか。同様の事故を起こさぬためにはどうするべきか。それを報じるべきではないか。絶対に子供を車に残してはならないのだ。特殊な人が、特殊な条件下で起こした事件、事故だと突き放さず、寄り添い、苦しみの中から絞り出される声に耳を傾けること。それが報道に課せられたことではないか。』

 

私は、ここでも「情報を共有すること」の大事さを感じ取りました。

過去の事故、事件から、知り、学び、同じ悲劇が起きないよう対策をとる。

 

どこかで保育事故が起これば、何が原因だったのか、どうすればよかったのか、全国の保育園は考えなければいけません。

けれど、現実には、ニュースすら見る時間もないような多忙な保育士たちは、どこでどのような事故があったかすら知らないことも多い。

 

先日、園で避難訓練があり、不審者への対応についての紙芝居を子供たちに見せた。

その中で、スーパーなどのトイレに1人で行かないとか、知らないおじさんがネコちゃんがいるよと声をかけてきたりとか、そういった事例が書かれていましたが、それらは過去に実際にあった事件のことですよね。

 

スーパーやショッピングモールで子供だけをトイレに行かせることはしない、

ちょっと外のポスト見て来てと頼んだりしない、

ママ友程度の人に子供を預けたりしない、

人の多い場所で子どもの名前を呼んだりも極力しない、

例えわずかな時間でも車内に子供だけ残さない、

お風呂に水を張ったままにしない、

フード付の洋服は極力着せない、

 

挙げていけばキリがないですが、

過去の事件や事故から、こういうことに気を付けよう、と思うわけです。

 

普段それだけ気を遣っていても、油断は生じる。

車に荷物を積んでる数秒の間に消える2歳児・・・。そんな経験が私にはある。

あぁ絶対に目を離しちゃいけなかったのに・・・。(10分後発見)

 

 

冒頭紹介した『殺人犯はそこにいる』では、連続幼女殺人事件の真犯人と思われる人物が、今でも捕まらず平然と生活していることが記されている。

真犯人は言葉巧みに女児を連れだし、犯行に及んだ。

被害者はちょうどうちの子と同じ4歳くらいの幼児。

 

いくら紙芝居で知らない人についていってはダメだよと言い聞かせても、現実にはいとも簡単について行ってしまう。

子どもとはそういうものなのだ。

だから大人が絶対に守らねばならない。

 

 

私は、自分自身が過去にストーカー被害にあったこともあり、不審人物はどこにでもいて、どんなに気を付けていても被害にあうことはあると思っています。

みんなが思っている以上に、悪人や狂人はそこらへんに普通にいると思いますね、私は。

自分自身が犯罪者になる可能性だってある。

 

私が子供だった頃は、一人でよく遊びに出かけていました。

家は貧しく、両親は朝から晩まで働き、家族でどこかで遊びに行くとかまずなかったです。

今思えば、私よく無事に過ごせたなぁ、と思います。

ただラッキーだっただけなんです。

 

危険な場所にはいくらでも行ったし、

迷子にもなったし、

崖から落ちてケガしたこともあったし、

蛇にかまれたこともあった。

誰も見守ってくれる人などいなかった。

 

でも、今生きてる。

たまたまの幸運だ。

 

『殺人犯はそこにいる』の事件は、まさに私が子供だった頃の事件だ。

 

今、私は我が子を、私の子供時代のような運任せの状況に置きたくはない。

 

だから、何か事件や事故が起これば、遠い地域の無関係なニュースだと流さず、

子どもの命を守るための最善の策をそこから学び取ろうという姿勢でいたい。

 

不審者侵入

  • 2018.03.23 Friday
  • 12:50

過去の失敗や成功、事件や事故、それらから学ぶことの重要性は、今になって私が特段伝えることでもないくらい当然みんな理解しているのではないかと思いますが、人はやはり、過去からの教訓というものを忘れる生き物なのだということを実感しています。

 

今月初め、私の職場の保育園に不審者が侵入しそうになるという事件が発生しました。

幸い、重大な事件に発展することはなく現在に至っています。

 

夕方になる頃でした。

ある先生が、笛を首からぶらさげながら「これで不審者きたらどうしろっていうんですかね」と苦笑いしていたので、今頃不審者対策?と不思議に思っていたのですが、私が退勤するころになって、別の先生から「不審者が侵入しかけたんだって」と聞き、非常に驚きました。

 

不審者の存在に驚いたのではなく、そんなことがあったのに、園全体、職員全員に直ちに知らせをよこさないとは!そのことに非常に憤りを感じました。

すぐさま私は主任に、「警察は?」と問いました。

すると、主任は「園長が不在で、連絡とったところです、今判断待ちです」と平和ボケぶちかましてきたので、この園に務めて三年、初めて真の怒りを感じました。

 

園長不在なら、主任が判断を下すべきところ。

迷うことなどなく、即通報するべき事案だ。

すぐ職員に指示し、全部屋の戸締りや周囲の安全が確認されるまで子どもの安全を最優先にした行動をとるべきだろう。

 

「判断待ちです」

はぁ??その言葉が私の脳内で繰り返される。

 

なぜ、そんなのんきなことが言えるのだろうか?

平和ボケなのは主任だけではない。

 

後に知ることとなるのだが、

隣の幼稚園(我が子通園)に、前日に不審者情報が寄せられていたのだ!

けれどもそれはうちの保育園に知らされることはなく、保護者にも知らされることはなかった。

 

私はその幼稚園の保護者としても、その対応に非常に不安を覚えた。

そして担任の先生には伝えた。

「一斉メールがあるのだから、お知らせしたほうがいいんじゃないですか」と。

結局メールが送られてくることはなかった。

 

私は、保護者のグループLINEで不審者の件を伝えた。

 

調べてみると、今年1月にも近所で女児へのつきまとい事案が発生している。

 

さて、この話を聞かれた方は、どう思われるでしょうか。

うちのような平和な地域に限って重大な事件など起こるはずはないと信じますか?

不審者というのは単なる近所の通行人で、狂った犯罪者ではないだろうと信じますか?

 

これまで、子供を狙った犯罪は数多くありました。

どれくらい思い出せますか?

 

何か起こってからでは遅いと誰もがわかっている。

けれども、平和で安穏とした暮らしを続けていると、人間というのは注意を怠るのです。

 

危険な犯罪者の住む街に、子供を一人で行かせてしまう。

まさかそこに、卑劣な犯罪者がいるとは思わない。

これまでどれだけの親が後悔と自責の念、深い深い悲しみを経験してきたことか。

 

私たち保育士は、子どもの安全を、誰よりも強く、日々考えなければならない職業です。

同じ悲劇を繰り返さない。

不幸にも亡くなっていった子供たちの存在を、決して忘れない。

 

 

今回の不審者侵入については、自戒の意もあり、ここに書き記すことにしました。

 

JUGEMテーマ:保育士

保育園のブラック労働

  • 2018.03.22 Thursday
  • 20:03

この度、私を含めた非正規職員一同が園に出した要望書が通りました。

みんなにアンケートをとり、とりあえずお金をかけずにすぐ改善できることだけ厳選して、要望を出しました。

 

主に掃除内容の効率化ですね。

これにより、休憩時間を確保することが可能となりました。

といっても、本来一時間休憩がとられなければならないところ、現実的には30分程度、それも状況を見て休めるときに休む、といった形になりました。(一時間分の賃金はしっかり引かれています)

 

残念ながら、正規職員にはこれまでと変わらず明確な休憩時間はありません。

 

要望書を出すと、理事長もあっさりと「当然な内容だよね」と、どんどん意見が出ることをすごく好意的に受け止めてくれました。

あ、なんだ、けっこう理解あるじゃないか。

 

なぜ今まで「休憩する」といった当たり前すぎることが改善されないままだったのか。

休憩時間だけではない、サービス残業や持ち帰り仕事など日常的です。

 

もちろんブラック労働は保育業界だけの問題ではありません。

そして、現場の労働者だけでは解決できないような制度や法の問題もあるんでしょうけど、

現場のやり方次第では、いくらでも改善できることはあります。

 

が、その「現場のやり方」を変えるということがなかなかできません。

 

多忙で薄給で人手不足などはブラック園共通の問題点かと思いますが、

それに加えて、うちの園での問題点について述べます。

 

1.権利意識が希薄。

2.計算ができない。

3.得体のしれない空気。

4.責任をとれない。

 

1.権利意識が希薄

希薄どころかまったくないような人もいる。

「働かせてもらってるだけで感謝です」のようなスピリチュアル系女子。問答無用でこの際無視。

 

保育業界のブラックさはメディアでも盛んに取り上げられているのですが、職員に当事者意識がなく、どこか遠い国の出来事であるかのように流されている。

まぁ、うちの園はニュースになるほどブラック度が高いわけじゃないし、日々の業務に追われて考える余裕がないのだ。

 

定時に帰る先生と、定時に帰らずサビ残をする先生がいます。

「○○先生は残って仕事してるのに、××先生は時間になったらすぐ帰る、残って仕事してるの見たことない」と、なぜか定時に帰る先生が非難されるのを聞いたことがあります。

 

え、定時に帰って何が悪いんでしょうか・・・。

「仕事が遅い、間に合わない」などと言われるのですが、

定時に帰ることができないような業務内容のほうが改善されるべきことです。

 

労働者としての権利どころか、そもそもしっかりした人権感覚が培われていないのではないか、と思える。

これはもう個人の不勉強の問題などではなく、日本社会の根深い問題なんだろうなぁ。

人権感覚の乏しさは、教育の場としては致命的。

 

今回の私たちの要望書も、改善しようとしているのが私一人であったならできなかったことです。

同じ想いの仲間がいたから可能だったんです。

実際、そういった行動をおこすよりも、辞めたほうが早いです。保育士をやめるか、ホワイトな園にいくか。

ネットを見ていても、保育士辞めたいクラスタの人たちは疲弊しきっていて、改善しようという気力すらなく、すべてを諦めています。

 

職員一人だけが意識高くてもダメなんです。

やはり最も重要なのは、上に立つ人たちの権利意識じゃないでしょうか。

 

 

2.計算ができない。

つまり、論理的・合理的な考え方ができないということです。

その結果、非効率的な業務、そういうものが蔓延する。

 

職員の中には、夫の扶養の範囲内で働きたいため、年収制限のある職員が多数いる。

私は誰の扶養にも入っていないので、その制限はない。

 

ところが、29年度、私は年収100万円も満たないのに、

一方では、130万円の制限をオーバーしてしまった職員がいるのだ。

 

計算できないので、後半になって

ぎゃーこの人制限オーバーしちゃう〜出勤増やせないよ〜人が足りない〜〜という事態になる。

アホか。

算数からやりなおせ。

 

エクセル使いこなせない、というのも相当痛手です。

手書き電卓叩きでちまちま計算。そのためミスも起こりがちです。

まぁデジタル音痴なのは悪い事ではありません。ある程度のレベルまで勉強すればよい事です。詳しい人が教えてあげればいいです。

 

 

3.得体の知れない空気。

ひとによっては「女集団特有の空気」とも言う。

女だからっていうか、ある価値観に汚染された人たちの集団って感じですかね。

「みんな仲良く平等に」とか。

 

PTAによくある、「不公平だ、ズルい」の理論がここにもあります。

誰かの仕事がラクになることを喜べない。

みんな仲良く平等に苦しもうという変な方向へ行ってしまう。

定時で帰る人を非難するみたいにね。

 

給与低すぎるよねと言うと「どこもそんなもんですよ」で終了。

だから?みんな一緒だから安心?納得?

 

いやいや、労働に見合った給与をみんなでもらおうよ。

やりがい搾取とかさ、そろそろ気付こうよ、大事な命預かってさらに不要な雑務までこなして、善人ってのは搾取されてることに疑問すら抱かないから厄介ですよね。

 

さきほどの収入制限オーバーが生じた件、それにはある理由があります。

「休み希望の多い人は出勤日数を減らす」というドまぬけなルールがあったのだ、最近知った。

 

そのようなルールを設けた理由はさらにドまぬけで、「減らさないと不平等になるから」

意味不明さも度を越している。

休み希望の多かった私は、希望以上に出勤を削られていたわけだ。

 

要するに、「好きなように休みとれてズルい」ので嫌がらせをする、ということなのだ。

もちろんルール作った人には嫌がらせであるという自覚はないですよ。

ただ感覚的に作っただけ。

この人だけ希望を叶えるのって変だよねっていうその人独自の感情・思考がそのまま組織のルールとなった。

 

休み希望が多ければ、当然それなりに出勤日数は減る。

それに加えてさらに休みを増やす必要性などまったくなく、

その人が休みを希望した日に、出勤可能な別の職員を入れればいいだけのことなのだ。

 

というわけで、来年度からはこのルールは撤廃となる。

 

 

4.責任を取れない。

リーダーシップの問題なんだけど、園長とか主任っていうのは責任を取る仕事でもあると思うんですよね。

何かあったら責任を取る。職員の失敗とかね。

なので、そういう上に立つ人たちが、自己保身に走ると、何かが変化することは望ましくないことになるわけですよ。

 

これまでと違うことをするということは、何かしらの失敗や困難が生じるリスクが高まるわけです。

できる上司というのは、「俺が責任とるから、まずはやってみろ」と言うわけですが、

できない上司というのは、「何か起きたら責任取らされるのは俺なんだぞ、やめろ」と言います。

 

うちの上司たちは、どちらかと言えば後者です。

何か提案しても、まずは否定から入ります。否定する理由は後付です。

だから物事進みません。変化しません。

 

 

以上、私が現時点で感じている問題点を述べましたが、

うちの園にはすごく希望があるので、これからもどんどん改善要望を出していきたいと思います。

 

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