情報弱者と呼ばれて

  • 2018.02.17 Saturday
  • 17:58

PTA話が続きますが、

「PTAが任意入会であることを知らないような情報弱者が悪い」という論があります。

 

己の怠慢を棚に上げて弱者のせいにしているようで、なんとも不快ですが、まぁ「そんなことも知らないのかイラっ」って思うことは日常たまにありますよね。

 

情報弱者ってのは、情報・通信技術の利用に困難を抱える人、情報を充分に活用できない人、情報リテラシーやメディアリテラシーに関する知識や能力が十分でない人のこと、って説明がされている。

情報格差が生じるという社会問題なわけ。情報に疎くても特に問題でもない人もいるかもね、だけど「知らないと不利益を被る」事柄についてはきちんと知らせる必要がありますよね。

 

世の中、いろいろな社会的弱者、なんちゃら弱者と呼ばれる集団があり、それを前提とした制度設計がなされていくべきと考えます。

 

 

さて、私の周囲では、PTAの任意加入を知らない人ばかりなので、そういう意味ではほとんどが情報弱者ですね。

都市部では任意なの知ってる人も多いのかもしれないけど、地方はまだまだですよ。

 

ここで一つ注意しておきたいのが、

PTAに限っては、単純に知らないなどという問題ではなく、

最初から「入会するのが義務」という誤った思い込みがあるという点です。

なので任意なのを知らないというだけで情報弱者呼ばわりするのもどうかなと感じます。

 

普通さ、任意のボランティア団体からお誘い受けてもさ、「イヤなら断れる」って誰もが知ってるし、よほど気の弱い人が強引に誘われでもしない限りは自分の自由意思で決められることなんですよ。

 

でもPTAは違うわけ。最初から間違った思い込みがあって、そこにつけこまれてるの。

だから入会届があるだけでもダメなの。これはサインしなきゃいけないものなんだなってまた思い込むだけだから。

懇切丁寧に説明しないとダメです。

 

 

情報弱者になりうる要素を持っている人はたくさんいますよね。

 

むかし知り合いに、役所からの文書の意味がわからない女の子がいて、私はよく意味をかみ砕いて説明してあげていました。まぁ特段難しい内容ではなかったのだけど、そういう文章を理解する能力がない人、漢字の読めない人というのは実際にいるのです。

役所からの文書の意味が理解できなければ、すごく不利益を被ることが予想されます。

 

そして、私はメルカリで時々手作り品のオーダーを受けることがあるのですが、

そこで出会う人たちの中にも、簡単な計算のできない人、定規の目盛が読めない人などがいるんです。

目盛が読めないので、定規をあてている写真を送ってきて、大きさはこれくらいです、と言ってくる。

ミリをセンチに直せないとかね。

 

学習障害とか識字障害などをもつ人たちは、やはり不利な立場と言えるかと思います。

 

あと、なんというか、科学的センス、科学リテラシーのまるでない人に対しても相当な配慮が必要です。

私の友人ですが、テレビを掃除してと言われて丸ごと水洗いして壊したり、

飼っていたアヒルが汚れていたので洗濯機で洗って殺してしまった人がいます。

海外では飼い猫を洗って電子レンジで乾かそうとして殺してしまった人もいましたね。

 

科学的な知識に乏しいというか、知識なくても普通そんなことしないやろと思えるようなことを平然とやってしまう人が世の中にはいるわけです。

 

だから取扱説明書に「そんな使い方しないわ」というような注意書きがたまにあったりしませんか?

洗剤を間違って飲む人いるから「これは飲みものではありません」て書いてあるでしょ。

 

というわけで、知識・情報において弱者となる人は少なからずいるわけです。

 

そして当然そういう人たちも、結婚して子供を産んで、子育てしてるわけです。

社会には、必ず一定数の弱者がいるものです。

教師と保護者がともに教育について学びあう場となるはずの社会教育関係団体であるPTAが、そのような社会的弱者を無視するような行いをしていいわけないでしょう。

 

弱者を排除するために学びあっているのですか?

強者のみが生きやすいような社会の実現を願っているのですか?

 

 

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PTAを道徳面から考える

  • 2018.02.16 Friday
  • 14:58

ついに、PTAは違法→じゃあ合法にしよう。という輩が現れた。

というか、これは予想内であったし、以前からそういうこと言う人いましたよね。

定番ネタのマンションの管理組合の話を持ち出してさ。

 

私は以前にも書きましたが、法が時代に合っていないとか間違っていることも実際あるので、ことさらに違法だ!と騒ぎ立てるのは、盲目的にルールに従えと言ってるようにも聞こえるのでイヤなんですよね。

 

まぁPTAを法的に義務化とか、そんな法令、違憲じゃないの?

結社の自由はどうしたの?

って感じで、大して深く考えもせず片付けてしまってたんですが、

このまえ、「条理法」という言葉を目にしました。

 

詳しくはこちらの15Pから↓(pdfだよ)

PTA の今日的課題─「任意加入」・「強制加入」に関する法学的・歴史学的考察 (東京理科大学教職教育研究 第2号)

 

この論文の中で「大日向論文の紹介と検証」というのがあって、そこで、

「PTAは条理法の根拠があれば十分法的根拠がある」といった論が紹介してありました。

 

以下のような感じね。

「PTAについては、いわゆる国民教育権(親の教育権)と結びついて、親が教育に直接的に関わる重要な組織であり、安易に任意団体と表現を強調することは適当でない」

「PTAは教育の信託を実現する団体としてその学校の親がすべて親の権利を主張する義務として、当然加入すべき」

 

親の権利を主張する義務かぁ。

権利を主張する義務があるとして、PTAが重要な組織であるとしても、だからって何でPTAだけに当然加入になるのかイミフだけど、まぁいいや。

(この論文の著者が「極端に国民教育権説の立場を取る考え方を前提にして考察することは、その時代的適合性 を失っているのではないかと筆者らには思われるのである」と述べているが、私もそう思う。)

 

条理とは、物事の筋道や道理のことで、

条理法とは、成文法・判例法・慣習法のいずれにも該当する法律が存在していない場合に基準とする事柄、だそうです。社会通念・公序良俗とも表現されると説明されてた。あ〜はいはい。

 

なるほど、PTAは、物事の道理として、法的根拠を得ることが可能、てことね。

そ、そんな便利な法があったとは・・・。

(自動加入は違法だよって判例が出ちゃえばおしまいてことか)

 

条理法とやらがPTAに法的根拠をあたえうるものかどうかは、私には難しすぎるので、法的な話はおくとして、

私もPTAを退会したとき、校長先生から「道義的に問題があります」と言われたこともあり、

道徳的な面からちょっと真面目に考え直そうという気になりました。

 

親ならPTAに入会して教育についてあれこれ主張するのが道理?

道理=人として行うべき正しい道

 

国民教育権や道徳の話に関して、先日ちょうど読み終えた「子どもの人権を守るために(木村草太編)」という本の中で、前川喜平氏が寄稿されている『道徳教育ー「道徳の教科化」がはらむ問題と可能性』という章がすごく良かったのでちらほら引用するね。

 

道徳科の学習指導要領について、

『個人の尊厳や内心の自由という憲法的価値に違背する疑いのあるものも多く含まれている。「父母・祖父母を敬愛する」「国や郷土を愛する心をもつ」「人間の力を超えたものに対する畏敬の念をもつ」などの徳目がそうだ。』

と述べられておられます。

 

えっ、父母を敬うことが憲法的価値(自由・平等・平和)に違背する?って思われる方もいるかと思いますが、誰を敬愛するかは個人の自由ですよって至極当たり前なことなんだよね。そういうことは他人から教え込まれるものではないの。

国や郷土も同様ね。

三番目の畏敬については、ちょっと私もこれまで明確に意識してこなかったので反省したね。

 

つまりね、子どもだからって父母を敬わなくてもいいし、日本人だからって日本を愛さなくちゃいけないなんてことはないわけ。そういう精神の自由が認められているわけ。

そうするとね、親だからって子供を愛さなくてもいいわけ?って言う人が必ずいると思うんだけど、まぁぶっちゃけそうなのよ。だけど・・・とこの話は長く脱線するからここまでね。

 

親や郷土を当然のように愛してる人は多いだろうから、親や郷土を愛せよと言われて疑問に思わない人も多数だろうけど、実はここすごく大事。憲法的価値、それほどまでに個人の精神の自由は大切で、尊重されなくてはならないものってこと。

 

親だからPTAに入会して当然なんてのは、ちゃんちゃらおかしいわけ。

めちゃくちゃ憲法的価値に違背してると思うわけ。

 

確かに親には、子供の教育に関わる権利と責任があると思うけど、

親個人に「親ならこうすべき」といった道徳的価値観を押し付けることは、精神の自由の侵害だろう。

 

『教育には憲法の理想の実現という使命がある』そうなのだが、

教育に関わる重要な組織とされるPTA自らが憲法に違背するようなことをしていては、笑われてもしかたないよね。

 

私の精神は、誰からも束縛されない自由なものです。

人として、互いの精神の自由は認め合わなけれなならない、それが道理だと私は考えますね。

 

相互承認の精神という記事で、

苫野先生の言葉を紹介しました。もう一度書きますね。

 

『本当に重要なのは、相手の価値観や道徳観がどうであろうが、それが人の自由を侵害しない限り「承認し合う」ことである、と。その意味で「相互承認」とは、道徳の一番根っこの本質である以上に、異なるモラルを持った人たちが共存するための「社会ルール」の本質なのです。そのため私は、現代の民主主義社会において必要なのは、特定のモラルを教える「道徳教育」ではなく、異なるモラルを持った人たちが共にルールを作り合う「市民教育」だと考えています。』

 

前川氏はその「特定のモラルを教える道徳教育」を問題視しておられるわけですよね。

そして苫野先生も、そのような道徳教育ではなく、上記のような市民教育が必要と考えておられます。

 

子どもの教育に関わる親の権利と責務が私にはありますから、

はっきり主張させていただきますね。

 

子どもたちには、特定の道徳観を教え込む教育ではなく、精神の自由を尊重した教育、いかなる価値観を持つ者であっても、互いの自由を侵害しない相互承認の精神を培う教育の実現をお願いしたい。

そのためには、我々大人自身も、「親ならこうして当然」などといった特定のモラルを他者に押し付けてPTA自動加入を是認するような行為は断じてしてはならないのです。

 

以上

 

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ざっくりPTA裁判

  • 2018.02.14 Wednesday
  • 15:51

以前私は熊本PTA裁判は「和解」で決着という記事でこう書きました。

 

信者たちは、勝ったか負けたかだけを見る。

その内容なんて知ろうともしないし、理解もしない。

 

そして現実にそのようなことが起きてしまっていました。

 

熊本地裁の判決文等をお読みになられたのでしょうか?

熊本PTA裁判 判決文

 

ここでも私が少し言及していますが、

「本件冊子の交付をもって入会の申込みと捉えることができるかはさておくとしても」

と判決文にあるよう、それが合法か違法かはそもそもの争点ではないんですよね。だから合法か違法かは結局結論出てない。

 

原告が会員であったかどうかという事実認定の問題であって、

誤解だろうがなんだろうが、いかなる入会方法であったとしても、原告が会員として会費を納めたってこと。

だからお金は返せないよって結論を導き出しているだけであって、

入会方法の合法性とかは本題じゃないわけよ。

 

もし道端で、何かの団体のパンフを受け取り(受け取ったら入会と書いてある)、寄付のつもりで「会費納入箱」と書かれた箱にお金を入れて、はいあなた今からうちの団体の会員だから、証拠として会費も払ってるしね、奉仕活動してね!って言われたらそれに従うんですかね?

 

ざっくりと裁判内容を説明すると、

(ニュアンス違ったらごめん)

 

「え、PTAって任意だったの?知らなかったよ!不当利得だ!会費返して〜」

「でもさ、あなたPTAの腕章つけて防犯パトロールしてるし、会費納入袋って書いてある封筒でお金納めてるじゃん。しかも退会届とか出してるけど、退会ってことは入会してたってことじゃん。つまり誤解だろうがなんだろうが会員としての認識あってお金納めたのよね。だから不当利得にはならないから、お金返せないよ〜ん」

 

このあと控訴して和解するわけだけど、ちゃんと任意入会であることを周知しましょうねってことになったよね。

 

 

入会してないと主張する人は、退会という言葉を使ってはいけません。

親切心でうっかり活動に参加してはいけません。

寄付をするときは、ご仏前とか書いてある封筒にでも入れましょう。

 

 

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話がかみ合わない

  • 2018.01.29 Monday
  • 15:53

久しぶりにPTAの話を書きます。

メルカリアッテというアプリでも相談にのっているんですが、最近ツイッターでもなにやら賑わっていて?相変わらず信者さんたちとは話がかみ合わないなぁと思った次第です。

 

やりとりを見てて、勉強になるなと思ったので、自分なりにまとめておきたいと思いました。

どんな感じでかみ合わないのかってとこね。

(便宜的に信者と非会員の会話として書きますね)

 

信者A「会費払ってないんだから、非会員の子を訝しげに見るのはしかたないよね」

非会員1「児童はもともと会員ではないですよ。教師と保護者が会員であり、入会するかどうかは自由です。」

信者A「だったら自由にしたらいいじゃない。あなたが入会しようがしまいが私には関係ありません」

 

という流れでブロックされて対話が終わるパターンです。

 

まず、信者さんは何を指摘・批判されたのかが理解できてません。

ここでは任意入会を論点にしているわけでなく、「差別はダメ」それを注意したいわけです。

けれども信者には差別してる自覚はなく、なぜ差別になるのか理解できていないわけです。

非会員のほうは、そういう考えは差別的であると認識しており、なぜ差別になるのか理解しているので、そこを説明しようとしています。

 

理解力ある人なら、説明を聞いて、あぁそうか確かに差別になってしまうなと理解するのですが、

そこまでの理解力が無い方だと、上記のような説明では任意入会についての話だと勘違いし「任意?知ってるし。それがどうした?」としかならないわけです。

 

なので、ズバリ「それは差別ですよ」と問題点を明確にしてあげないとダメなわけです。

「それは差別的な考えです、なぜなら・・・」と懇切丁寧に説明するか、ですね。

(まぁブロックされて終了という結末は同じでしょうけど)

 

とにかく論点がずれないよう、問題点を明確に、順序立てて、丁寧に説明することを心がけようと思いました。

相手が、どの程度PTAについての知識を持っていて、どのようなスタンスでPTAと関わっているのかとか、そういう情報把握もしながら対話していかねばならないと勉強した次第です。

 

 

あと、こういう感じのも。

信者B「自分の子も世話になっているわけだし、お互い様なのにねー」

非会員2「PTAは互助会ではないんですよ」

信者B「は?わたし互助会だなんて言ってないけど」

 

こういったかみ合わなさもよく見かけますね。

 

あなたは互助会という言葉を使いましたよね、いいえ使っていません、という話ではないんですよ。

あなたはPTAを互助会のようなものだと勘違いしていますね、はいそうですね、という話なのです。

 

これもまた、すごく理解力のある信者さんなら「あなたはPTAを互助会のように考えているようだが、実はそうではないのですよ」と言葉を補ったり脳内変換できるのかもしれませんが、理解力そこそこだと、今まで出ていなかった単語がポンと出てきたら「は?」となるわけです。

 

なので、まずこちらで、信者さんの理解していることを別の言葉で置き換えたりして、自分の考えを客観的に捉え直せるよう手助けしないといけないのではないかと思いました。

 

この例だと、信者さんは「PTAはお互い様の組織」と考えています。それはつまり、会員同士で助け合う互助会のシステムなわけです。

なので、「あなたの考えは、互助会という組織の考えです。PTAというのは、互助会とは違う考えに基づく組織なのですよ」と教えてあげることから始めないといけないですね。

 

 

私は、理解力があるとかないとか書きましたが、

実のところ、だいたいみなさん普通レベルの理解力はあって、きっと普段の会話ではこんなかみ合わなさは少ないと思うんですよ。

推測なんですが、ツイッターとかで、顔も知らない、これまで関わったこともない人から突然に批判的なコメントされたり、間違いを指摘されたりしたら、まずムカっとなるんじゃないかな、と。

 

「なんであなたにそんなこと言われないといけないの!」

それでもう売り言葉に買い言葉状態になっちゃう。

しまいにはバカだのハエだの、クソリプだの子供のケンカかいって感じ。(おもろいんだけど)

 

ネットでのやりとりは、リアルで信者さんとやりとりする時のための参考になります。

そういう意味で、すごく勉強になります。

 

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あけましておめでとうございます。

  • 2018.01.04 Thursday
  • 15:03

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

 

さて、今年はですね、

いろいろとやりたいことが多いんですけど、

まずは職場の労働環境の改善に取り組むことになりました。

ていうか、しました。

 

組織の中から何かを大きく変えるって、本当に大変ですよね。

変えようとする人が一人だと、まず何もできない。

 

幸い、今の保育園には、現状を変えたいと思っている仲間、行動しようとしている仲間が数人はいます。

私一人だと、もう職場を変えた方が早いじゃんとなったけど、

そういう仲間がいるので、やろう!ということになりました。

 

 

そして今、わたしは強く思うことがあります。

我が子たちが健康で元気で毎日を笑顔で過ごしてくれたら、こんなに幸せなことはないな、と。

 

今年もまた、みんなが元気に過ごせますように。

オムツ持ち帰り問題

  • 2017.12.17 Sunday
  • 15:32

保育園のオムツ持ち帰り問題。

簡単に言えば、うんち付オムツを持ち帰らせる保育園VS負担が大きい、衛生上問題あるだろう派、な感じかな。

詳しく知りたい方は以下のページなどを参考にどうぞ。

 

なぜ、オムツを保育園から持ち帰らなくてはいけないのか?

おむつは不要、手ぶらで登園。少子化を克服したフランスの保育園事情とは。

 

ついでに、私も時々読み返しちゃうのですが、この本もとても参考になる話満載です。

フランスはどう少子化を克服したか(盧蟒膸卉)

 

 

この問題に絡んで、私が言いたいことは、

結局はお金の問題である。なのでオムツ処理への補助金は必要。

オムツの仕分け作業は負担が大きい上、感染リスクも高い。

「保護者への支援」という視点が決定的に欠けている。

ということです。(現場職員にそのような視点がないということではない)

 

使用済みオムツ、臭いです。

うんちをよくする子だと、もう本当に通園カバンそのものまでが臭くなって、園で洗濯したこともあります。

 

さらにその使用済みオムツが複数入ったビニール袋とともに、お箸セットも同じカバンにそのまま入れるんですよ。

もう個人的にはかなりあり得ないです・・・。

 

オムツをそれぞれの子の袋に仕分け、洗濯室で保管しておくんですが、常に臭いが充満してますね。

保護者もオムツやそれを入れるビニール袋にいちいち名前を書かないといけないし。

 

臭いや保育士の負担の問題はもちろん、感染リスクが高まるようなことを、なぜあえてしなければならないのでしょうか?

 

もっともらしい意見として、

「子どもの体調管理として、排泄物を保護者に確認してもらうため」なんてのがあります。

 

持ち帰った使用済みオムツを開けてみる親がどれだけいることやら。

私はこれまで一度も開けたことないです。

異常な便が出たら、先生がちゃんと教えてくれます。

そして、血便などで保護者に確認してもらったほうがよいと思われるものは、お迎えのときに見てもらったりしたことはあります。

 

専門知識のある保育士が排泄物の異常を注意深く見ていますから、保護者がわざわざ帰宅後に確認する必要性はないと思います。

もちろん、「私は自分で確認したい」という保護者さんがいらしたら、個別に対応するということは可能にしておくべきです。

 

 

うちの子が通っているこども園は、最初はオムツを園で処理してくれていましたが、処理費がかかるということで、途中から持ち帰りになりました。

要するに、お金の問題なんです。

園によっては、処理費用を保護者から徴収しているところがあります。

 

私は、保護者に負担を強いることはあまり望ましくないと思うので、やはり処理費用として補助金を国や自治体が出すべきだと考えています。

 

と同時に、自分たちでどうにか費用を捻出できないものかな、とも考えています。

ゴミ処理に一体どれだけのお金がかかるのか?業者といくらで契約しているのか?今ちょっとそれらが不明なんですけど、自己搬入すれば安上がりじゃないの?などと思ったり。

 

ちなみに、鹿児島市では、自己搬入の事業ごみは10キロ70円です。缶びんペットボトルなどの資源ごみは無料ですって。

処理場は車で20分くらいのところです。

最近、燃えないゴミは一袋600円となったんですが、めちゃめちゃ發ない?

燃えないゴミも自己搬入のほうが安いのでは?

 

 

ところで、先日、うちの子が珍しく幼稚園でうんちをもらしてしまいました。

もうオムツはしていませんので、オムツの持ち帰りはありません。

ですが、先生がおしりを拭いてくれた時に使用した使い捨てゴム手袋を持ち帰ってきました。

 

新聞にくるまれ、ビニール袋に入れてありました。

最初、何かわからなかったのですが、まぁゴミかと思い捨てようとしたら、うちの子が「先生からもらったんだよ」と言って捨てるのを拒否!(ウケるんだけどw)

え?と思って中身を確認すると・・・そのゴム手袋が入っていたんですよね。

ゴミじゃん。

しかも、どう考えたってこれ事業ごみやろ!!

 

ゴム手袋って、職員が使うものだし、園の消耗品でしょ。

うちの子のおしりふいたからって、それが仕事だし、業務によって生じた園のゴミやん。

 

と思ったけれど、もしかして、間違えて入れちゃったのかな?とも思えたので、後日それを入れた先生に確認。

わたし「何かわからなかったから、開けちゃいましたよ〜」

先生「あはははは」

あ、間違えたわけじゃないんだ。

 

おめぇのガキのケツふいてやったんだから、それ捨てといてなっ。

ってことなんですよね。

 

はい、すみません、ありがとうございます。


で、他の先生に確認したところ、

「えーっ、私は捨ててるけど??」ってことでした。

先生によって違うようです。

 

まさか、ゴム手袋までも家庭で捨てさせようとしてるわけじゃないですよね。

 

 

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ルールを破ってよいとき

  • 2017.12.04 Monday
  • 18:28

熊本市議がルールを破って赤ちゃんを議場に連れてきたニュース、

ルールを決める場でいきなりルール破りとかヤバイでしょ、と思ったのだけど、

ネットではルール破りを正当化する意見でいっぱい。(もちろん反対の意見もいっぱい)

 

その中で、唯一納得できた意見は、

『緒方議員は一人会派なので、議会のルールを変更する場に出ることができない立場であり、事前に相談などしたが個人的な問題として取り合ってもらえなかったので今回のような手段で訴えた』

 

ホントにこれだけ、これだけだよ、私がそれなりに納得できる意見だと思えたのは。

その他の海外がどうだとか、それをいうのは卑怯だとか、次元の違う話だとかはルール破りを正当化する理由にはならないじゃん?

 

なるほど、ルール変更できる手段がない場合はルール破りもOKか。

確かにね、緒方議員はそれまでにいろいろと交渉してきたようで、詳しく経緯を知れば、いきなりルール破りというわけでもなかったようだし。

議論するために存在するはずの議員が、議会のルール変更の議論ができないなんて、もうパフォーマンスだろうがやるしかなかったんですね。

 

何事にも例外というのはありますからね。

本当に別のやり方はなかったのかな?という疑問は残りますが…。

社会的に許容できる範囲であり(人によるけど)、目的の方向性は大いに認められるものなので、こうも支持者が多いのだと思います。

 

私の意見はこうです。

 

まず、民主的な方法で決められたルールは守るべきである。

そして、ルールを変更するルールもまた民主的に、だれもが主張しやすく、議論されやすくなるよう整備するべきである。

 

そしてもちろん、子連れ会議OK派ではあります。

これは何もみんな子連れで仕事しようよと言ってるわけではないですよ、危険な職場だってあるし、子連れだと支障のある場合だってたくさんありますもんね。ま、いちいち言わなくてもわかることだろうけど、言っておかないと、そういうところつっこんでくる人いるから。

 

選択肢はたくさんあったほうがよい、ということです。

子連れ会議OKなだけでなく、託児所や保育園をだれもが気軽に利用できるようにすることが大事だと考えます。

 

今回の件は、単に「ルールに不備があった」ために起こったことではないでしょうか。

なのに、「ルールは守るべき」派と「子連れで仕事できるような社会を」派とで対立しているのは非常におかしなことで残念に感じました。どちらも間違っていなく、対立するようなことではないのでは?だからだろうね、「どちらも理解できる」とか「モヤモヤする」って感想や意見をけっこうみかけたのは。

 

赤ちゃん連れに厳しいのではなく、ルールを守ることに厳しい。

赤ちゃん連れを排除しようとしているのではなく、ルールを守ることの大切さを訴えている。

その違いを理解していないと危険なのではないかという気がしました。

 

まぁ私はルールを守ることに厳しいタイプなのかもしれませんね。

普段、PTAに対してルールを守れよと言ってるのに、どうしてこの件だけルール破りOKと簡単に言えましょうか。

 

私はルール破り正当化の理由をすごく考えて、一番最初に述べたような理由ならOKなのでは、という結論に達しましたが、どういうわけか、いわゆる著名人とか発言力のある方々がこぞって「海外は〜」とかその他納得いかない理由をガンガン発信してるんですよね。

 

なんかもう、赤ちゃん連れママの破壊力すごい、としか言えないような。

子連れ時代キターーー今だ〜突撃〜!的な。

 

ネット上では普段は憲法守れだのルールを守れだのという主張があれだけ多いのに、赤ちゃん連れ市議がルール破ったら途端にルール破りOK・・・どうなってるんですかね。←個人的に受けた印象ですけど。

 

おらおらどけどけ赤ちゃん連れが通るぞこらぁ〜的なのは誰も望んでませんよね?

そんなのは、ただの「弱者の横暴」ですから。

子育てしながらでも働きやすく、生きやすく、そんな社会を望んでいるんですよね。

多くの人が望むところは同じなのに、不要な対立が起きているようで、また言うけどホント残念。

 

ここぞとばかりにあの場にいた男性議員を汚い言葉で罵っていた人もいて不快に思いました。

緒方議員がおっしゃってましたが、通りがかった議員さんで、赤ちゃんににこっと微笑んでいかれた方もいらしたそうですし。

応援したいという気持ちを持っていた議員さんもいたんじゃないでしょうか。

 

あと、『ルールを破った人を全員許容するのか、というのは極論、0か1かではなく、0.1とか0.2とかを目指して議論するきっかけになればよい』という意見も、まったくそうだな、と感じました。

そうそう、これだよこれ、今回のことが議論するきっかけになって、早く赤ちゃん連れ会議OKになることが大事なわけですよね。

別にルール破りすべてOKだよって話じゃない。

 

 

ってことなんだけど、今回のルール破り正当化についての考えは少し整理しておきたいです。

 

ルール破りOKを正当化する理屈として納得いかなかったものを、なぜ納得いかないのか整理してみました。

まず、「ルールが悪いかどうか」と「ルール破りは正しい行為か」は分けて考えるべきと思う。一見、ルール悪けりゃ破ってもいいじゃんと思えるんだけど、じゃあその悪いって誰がどう決めるのよってちょっとややこしくなるんで。

 

◆海外では子連れ会議OKである〜の類。

だって海外はもう子連れOKのルールになってるんだよね。

で、それは時間かけて話し合ってそう決まったことなんでしょ。見習うならそこじゃない?

 

「海外で良さそうなことやってるよ、日本でもできそうじゃない?」ってのなら共感できるけど。

PTA問題でもこれくらい「海外では強制なんてないよ」とガンガン主張してもらいたいものですね。

 

◆「やり方が〜と言う人は卑怯だ」とかなんとかの類。

私にはまったく意味不明でした。

主張内容の正しさと、それを表明するための手段の適切さは別問題なのだから、後者の部分だけを批判しても何もおかしなことではないのでは?

やり方がまずいと指摘する人の中には、主張そのものは支持している人がたくさんいた。

卑怯と言う人がそこで思考停止させている点において卑怯であると思うのだけど、私は。

そんな人格攻撃的なこと言われてもね。

 

それとも、正しい主張を押し通すためには手段を選ばなくて良いということでしょうか?

PTAは本来は素晴らしいボランティア組織であるはずなのに、ズバリやり方が非常にまずいと私は常々思っています。

 

◆他人の生命の安全や財産を脅かすことがないなら、主張する手段がルール破りであっても良い。

これは、相模原事件のような場合を例として、ルールを破っての主張はダメだとする意見に対する反論。

程度の問題なんですかね?

迷惑レベルが低ければルール破りは正当化される?わけないじゃん。

 

でもまぁ、今回のは「この程度」だったから世間に受け入れられたってのがありますよね。

これが「私の主張を受け入れないから反対意見の議員を皆ぶっ殺した」という話だったら、世間はまったく違った反応でしょう。

なので、この意見はルール破りの正当化にはならないけど、ルール破りが世間に受け入れられた(大目に見てもらえた)理由としてはありだな、という感じです。

 

◆議会が40分遅れることより働く母親の立場が何十年も停滞していることの方が大変。

わたしは常々、他人の時間を無駄に使うことに鈍感であってはならない、と思っている人間です。

なぜって、自分の限られた時間をとても大切にしているから、他人の時間も大切にしたいと思うからです。

 

議会が遅れることも、ワーキングマザーの立場が停滞していることも、どちらも大変なことだよね。私はそう思う。

議会では、女性子育て問題だけを話し合うわけではないですよね。他にも長年停滞している問題はあるかもしれない。

議会の時間と、取り上げる問題の重要さ、って同列に比較できるものなんですかね?

問題の大小と、時間の長短を理由にしてのルール破り正当化はできないですよね。

 

「私の問題のほうが重要なんだから、私のために議会の時間をつぶしてもいいんです!」とならないでしょ。

 

でも、今回の件により議会が遅れたことで、ワーキングマザーの立場が少しでも良くなるのなら、無駄な時間にはならないことでしょうね。

「議会が40分も遅れるなんてとても大変なこととさも正しい事のように言っていたが・・・」という意見があった。

正しいでしょう。大切な議会の時間ですから。

 

自分だけの時間ではない、多くの人のための、大切な時間なのだから。

 

◆女性不可、黒人不可のルールがあった時代を持ち出す人。

なぜに女性排除、黒人排除を目的とした差別ルールと同列に語れるんですかね。

「議場に議員以外の者は入れない」というルールは特段おかしなルールとは思いません。赤ちゃん排除目的で作られたルールではありません。単に想定してなかっただけでしょう。

 

また、過去に正しい主張のためにルール破りをして社会を変えることに成功した事例があるからといって、じゃあ僕もやって大丈夫だよね、となるわけではないですよね。

 

差別された人たちが差別ルールと闘う、議会で話し合う権利を有する議員が議会のルールを破る、次元が違うというのはこういうことを言うのでは?

 

◆議論してルールを変えるべきという奴は、それにどれだけの労力と時間がかかるかわかってない。

ここまでくると、もはや緒方議員を本当に応援してるのかどうかわからなくなっちゃう。

「話し合いなんか時間かかるだけだから、強行突破だ!」え、乱暴ですね。

 

なんかもう、議会って何だろう?的な次元に突入しちゃってますよね。

議会において、時間と労力かかるって理由で話し合いすっ飛ばしていいわけないでしょうが。

日常的にそういう場面はあるかもしれないけれど。

 

それに緒方議員だって話し合いすっ飛ばそうっていう気はないですよね。妊娠中から相談し、いろいろ話をしたけど取り合ってもらえなかったっていう経緯があるんだし。

 

それに、「議論してルール変更」と主張は何も間違っていないし、労力と時間がかかるのもわかった上で主張しているんだと思いますけどね。

 

労力と時間を費やして、議会民主制を築いてきたのだよ。

人権とか選挙権とか民主主義だって、やっとの思いで手に入れたものじゃないんですかね。

それだけに、議会でルールを破るって、すごいことですよ。それだけの想いがあって必死に訴えたんですよね、緒方議員は。

 

『議論するのが仕事である議員が、議会のルール変更を議論することすらできなかった』それだけの理由じゃないですか、今回のルール破りを正当化できるのは。

 

 

そろそろ考えるのに疲れたので、このへんで終わります。

 

緘黙症により挨拶できない子

  • 2017.11.15 Wednesday
  • 15:39

ちょっと前に話題になっていた二つの話。

 

見た目ではわからない病気を抱えた女子高生。

体調悪くバスの優先席に座っていたら、

「ここはお前ら学生が座るところと違う!」と怒鳴られた。

 

聴覚過敏の子供に防音具としてイヤマフをつけていたら、

「小さい子にヘッドフォンで音楽聴かせて!会話しなさい!」と叱られた。

 

とにかく何かしらここぞとばかりに他人を批判したい人っていますよね。

優先席に女子高生が座っていたら、体調悪い人かな?としか私は思いません。

さすがに私も聴覚過敏については気が付かなかっただろうと思います。でも、見知らぬ他人にいきなり「会話しろ」と叱るなどという発想にはならないですね。あ〜音楽聞いてるのかな〜程度にしか思わない。

 

聴覚過敏の子とイヤマフ。

ひとつ勉強になりました。

本当に、知るということは大切ですね。

 

私はこの話を聞いて、自分の子供のころを思い出しました。

以前も書いたと思いますが、私は子供の頃、場面緘黙症でした。

家では普通に話せるけど、学校などで話せなくなる情緒障害です。

 

とにかく、毎日挨拶もできないものですから、

近所のおじさんにはよく叱られました。

挨拶もしない、しつけのなっていない、非常にマナーの悪い子扱いでした。

 

当時、場面緘黙症なんて言葉を知ってる人は周囲にはまったくいなかったと思います。

今でも、知らない人がいると思います。

 

だから、また言いますね。

しつけの問題ではありません。

話したくても話せない、言葉が出てこないんです。

自分でもどうしてそうなるのかわからずに怖くて苦しんでいるんです。

 

もし、緘黙症の疑いのある子に出会ったら、適切な対応をお願いします。

 

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トイレへ行ってもいいですか?

  • 2017.11.09 Thursday
  • 13:24

もう就職したときからの違和感、

子供たちが皆「トイレへ行っていいですか?」といちいち許可をもらいにくること。

 

トイレくらい、好きに行きなさいよ、生理現象なんだから。

 

許可をとるように先生からしつけられているのだ。

小さい子が「せんせいトイレ〜」と言えば

「先生はトイレじゃありません、トイレに行きたかったら、トイレに行ってもいいですか?でしょ」と教える。

 

さらに驚いたことがある。

ある女の子が朝の会の時間に「先生トイレへ行ってもいいですか?」と言うと、

先生は「今はトイレに行く時間じゃありません」

 

え?

本気で言ってるのそれ?

先生は本気でした。

 

まだオムツだから別にもらしたっていいと思ってるんでしょうか。

確かに保育園では決まった時間に行きますが、それはその時間にするようにしつけているわけではなく、トイレトレーニングを進めるためじゃないですか?

せっかく自分から排泄したいと言えるようになったのに、行かせないってどういうことよ。

 

ただ、先生にも言い分はあって、

その女の子はいつもトイレで遊んでしまう子で、朝の会の前にトイレへ行ったばかりなのに、また行きたいというのはただ遊びたいだけなんじゃないか、と判断したようです。

 

でも、本当に排泄したいかどうかなんてわからないじゃないの。

 

トイレなんて好きに行けばいいとは言え、

子供の居場所を把握しておく必要はありますから、

トイレに行くときは「先生トイレへ行ってきます」と言ってほしいと思います。

 

 

先日、ある小学校教師が「トイレへ行ってもいいですか?」と言う児童に「ダメです」と言い、児童の困った顔を見て楽しむということが問題になっていました。

 

そもそも、トイレへ行くのに許可とる必要ないよ。

大人の社会では、状況によっては許可の必要な場合もあるかもしれませんが、まずダメということはないでしょう。

子供にそんな許可をとるよう教えて、何の教育的効果があるんですかね?

 

とはいえ、常識的に育てば、このようなしつけをされてきた子供たちも、大人になれば普通に「ちょっとトイレ行ってきます」と自由にトイレに行ける人間になるんでしょうけど。

 

 

余談ですが・・・、

私は三人目の出産のときに、助産師さんが出かかってる赤ちゃんの頭を押さえながら「ダメダメ、まだ出さないで〜!先生まだきてないから!我慢我慢!」と言われました。

 

無理ですから!!!

 

 

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みんな一緒教

  • 2017.10.30 Monday
  • 12:39

先日、うちの子だけ私服で集合写真を撮影したら、保護者から「なぜみんなに制服を着せないのか」といったクレームがきたという話を書きました。

 

そして、生まれつき茶髪の女子高生に学校側が黒髪を強要したというニュースが世間を騒がしております。

それをきっかけに、ネットでは似たような話がうじゃうじゃ出てきていて、私の幼稚園の制服問題なんてすごくちっぽけ過ぎる感ありますが、根っこは同じ問題ですね。

 

みんな一緒教がこんなに蔓延してるとは。

改めて驚きです。

 

このニュースに関しては、真相はよくわからないですが、

テレビに出てた教頭先生が、白髪混じりチリチリM字ハゲでノーネクタイで肌着見えてる、というお姿だったので、髪型にも服装にもかなりゆる〜い学校に見えてしまいましたね。とても生徒を不登校になるまで追い詰めた厳しい学校とは思えないような。

確かに見た目の印象って大事ではありますね。

でも最も大事なのは人権でしょう。

 

この学校では、例え金髪の外国人留学生であろうと黒に染めてもらう、そうですが、完全に狂ってる。ヤバすぎですよね。

 

髪の毛の色についての私の考えは、

地毛だろうが染めてようが、髪色はなんでもよい

です。

市役所行って受付の人の髪の毛がピンク色でも別にかまいませんね。

 

とにかく、人権感覚に乏しい社会なのだということがよくわかりました。

保育園でもクレヨンのうすだいだい色のことを「これは肌色です」と教えている先生います。

もう、肌色と言わず、うすだいだい色とかペールオレンジなどと呼ぶようになって何年も経ってると思うのですが、現場では今でもこうなんです。

 

まぁクレヨンの色などは、私もたまに肌色と言ってしまうんですが、

教える場では絶対使わないようにしています。

 

時代はどんどん変わっていきます。

子供に関わる人たちは特にですけど、時代感覚、人権感覚を磨いていかないといけないわけですよ。

私も常に勉強です。

 

今回のニュースを機に、

学校のおかしな校則や、社会のおかしなルールを見直していけたらいいですね。

 

 

↓以下雑談。

 

以前にもどこかで書いたけど、

外国の先生から「日本人はほとんど同じ肌の色、黒髪、黒い目で生まれてくるから、人間は生まれつき違うのだということが感覚的に理解しづらいのではないか」と言われたという話。

 

金髪から黒髪、目の色も肌の色も様々な人が暮らす国では、髪の色なんて何色だろうがどうでもよい話でしょうね。

全員黒髪にしろとか、実にくだらない、そして大変な人権侵害であることは明白ですよね。

 

髪の色によって、真面目そうだとか不真面目そうだとか、それってそう思う側の思い込みでしょ。

 

歯のない人は信用するな。という言葉をむかしよく言われました。

歯がない=身なりを気にせず生活習慣が乱れている=性格がだらしない=金銭にもルーズ

という連想ゲームのような感じです。

 

刺青とかでもそうなんだけど、

あの人刺青してるから怖いヤクザかしら?とか。

本人はただのファッションのつもりでも、周囲がそういう目で見てしまう。

 

私がお水業界にいたころは、化粧しろ、髪は明るくしろなどと言われましたが、

私は薄化粧に黒髪ストレートで押し通しましたね。

そしたら性風俗のスカウトマンによく声をかけられるようになり、なぜ私に声をかけるのか聞くと、

「黒髪は貴重。真面目そうに見えるので業界で人気がある」というのです。

意外な自分の商品価値に気付くwww

 

そういう目で見る人がいるから、自分はこうしよう、

または、

そういう目で見る人もいるけど、自分はこうしよう。

 

どちらでもいいけど、

自分を表現することは自由であるべきよね。

 

最後にひとこと、

学校は、髪の色なんかより、

頭ジラミの流行をどうにかしろ!

 

 

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