制服強制事件

  • 2018.05.19 Saturday
  • 22:53

17日朝、私はなんとも言えぬ感情に襲われた。

これは怒りなのかわからぬほどの怒りで身体が震えた。

私は何に対してこんなにも怒っているのか?

 

これまで幼稚園の先生の言動や対応におかしいなと思っていたことはいくつかあった。

例えば、

先生から「制服着なさい」と息子が言われたこと。

先生から「わたしじゃなくてボクでしょ」と息子が一人称を直されたこと。

承諾なしのテレビ撮影。

 

給食の無理強いもありましたね。

 

そして今朝、息子のクラスの集合写真を見て、フォーマル私服を着せたはずの息子が幼稚園の制服を着て写っていることに気付いた。

 

手が震えた。

 

それのどこが?そんなことで?と思われるかもしれないが、そもそも私は制服が大嫌い。

私にとっては、イスラム教徒に豚肉を食べさせるくらいのあり得ないことで、個人の尊厳を著しく傷つけることだった。

 

ここに至るまでにはちょっとした経緯がある。

まず、この認定こども園では、制服は1号認定児のみで、2号3号には制服はない。強制できない。

これは市の保育課でも確認したが、2号3号には制服を強制しないようにと指導しているそうだ。

1号認定は自らの希望でその園に通っているが、2号3号はそうとも限らないからだ。

(認定の違いについて知らない方は他で調べてください)

 

うちは貧乏なので制服は買わないと決めている。

 

昨年、うちの子が年少のとき、写真撮影の日は普段着で行った。

先生には「制服ない子はこのままでいいんですかね?」と尋ねたが、「どうですかねぇ?」とわからない様子。

「まぁ持ってないんだからしょうがないですよね、このままでいいですね」という軽い感じだった。

実際、そのまま私服姿で写真は撮影された。

 

ところが修了式の日に、息子は先生から「制服着なさい」と言われたそう。

息子は先生から注意のようなものを受けたことで怒っていた。

私も腹が立ったが、まぁ先生も任意とは言えやはり制服着せたいんだろうなと思った。

 

息子はこれまで一度も制服を着たいなどと言ったことはなく、毎日好きな服を自分で選んで着て行っている。

我が家では、自分の身につけるものはほぼ全て買うときから自分で選ばせるようにしている。(これには理由があるがここでは割愛する)

 

そうは言ってもやはり式とか集合写真はフォーマルなものが良いとは考えていたので、春休み中に息子と二人で本人の気に入るフォーマル風な洋服を買いに行った。

幸い気に入るものがあり、息子もそれを着るのをすごく楽しみにしていて、当日もすごくうれしそうに着て行った。

先生からも「かっこいー」などと言われ嬉しそうにしていたのを覚えている。

 

なのに、撮影はなぜか制服だった。

出来上がった写真を見た息子曰く「○○先生が大好きな洋服をとった。○○くんの制服を貸してくれた」と。

 

なななななんてことをしてくれたんだぁーー!!!

子どもの権利条約を読んで理解しているのか!!

改訂された認定こども園教育・保育要領は読んでいるのかぁーー!!!こらぁ!

日本国憲法を理解しているのかぁーーー!!

 

直観的に私の脳内をそのような言葉が駆け巡り、怒りのあまり手が震えだしたのだ。

 

普段着ないような洋服を着て行ったのだから、普通の人間なら「あ、この洋服を着て撮影をする気なんだな」と一目でわかるだろう。私もそれなりに配慮して、全体の雰囲気を壊さないよう色味を押さえたシンプルなものを買ったつもり、ていうかフォーマルなものって大体そんな感じ。

 

でも、教員がその意思をいともあっさり無視し、個人の価値観なのか園の方針なのか知らないが、「制服を着ねばならぬ」という価値観を押し付けたのだ。子供に。私に。

 

こちらの意向を無視したのだ。無視。ここが一番の怒りポイントだったのかもしれない。

 

ものすごく厳しく言うと、

このようなことが無自覚に平然と行われ教員の誰もが疑問に思わないということは、不勉強や権利意識の低さの現れである。

えらそうに言ってごめん。

 

ただ、現場の先生方は非常に善良な方々です。本当に。人間的には信頼してる。

普通の感覚で、「みんなが着てるんだから一緒に着ようね」程度のことで着せたのでしょう。まさか個人の尊厳を傷つけるとまで言われるような重大事案だとは予測できなかったでしょう。それは無理もない。

 

その後、園と話をしたときに、副園長先生が「ひとりだけ私服だと可哀想だと思ってやったことなので」とおっしゃった。

え?流行りの忖度ですか???

悪意がないことはわかる。悪意があってしたなら訴訟ものだ。

 

実際には可哀想なことではない。本人は大好きな洋服をとられたことを訴えてきたのだから、そのことの方が可哀想なことだったのだ。

子どもの気持ちに寄り添うとは、難しいとは思うが、それがこの専門職の仕事なのだ。

 

なぜみんなと同じものを着ないと可哀想なのか?

中にはそういう子もいるだろう。みんなと同じものを着て喜ぶ子もいるだろう。だが現時点でのうちの子は違うのだ。

まぁ「みんな一緒教」についてはひとまず置いておいて、理屈の話をしたい。

 

 

制服の法的根拠、憲法、権利条約、人権についてはこの弁護士さんのページが参考になる。

どうなってるんだろう?子どもの法律 学校で制服を着ないといけないのが嫌だ

 

しかし,学校の生徒の制服は,法律がありません。


日本は,子どもの権利条約という世界との約束で,

「子どもの表現の自由を制限するときは,きちんと法律を作らないといけない」

と確認しています。

制服については,その法律がないのです。


法律がないのは,服装の自由を制限しなければいけない「よっぽどの理由」じたいが,ないからです。

 

制服のルールは,それぞれの学校が決めています。

学校は,みんなが安心・安全な学校生活を送るためのルール,いわゆる「校則」を作ることができます。

でも,学校は,何でも好き勝手に校則を作れるわけではありません。

憲法がとてもだいじにし,法律でも奪っていない生徒の服装の自由を,

学校生活のためという名目(めいもく)で学校が簡単に奪ってしまうことは,許されません。

 

みんなが制服と呼んでいるものは、実は「標準服」といって、「これを着ることが望ましい」とされている、単なるお願いレベルのものなのです。着たくなければ着なくてよいのです。義務でも強制でもありません。

ただし、他人の権利を侵害したり迷惑になるような服装はいけませんよ、ということです。

 

そして、昨年度改訂された「幼保連携型認定こども園教育・保育要領」には次のように書かれています。

第4章子育ての支援

第1 子育ての支援全般に関わる事項

1 保護者に対する子育ての支援を行う際には、各地域や各家庭の実態等を踏まえるとともに、保護者の気持ちを受け止め、相互の信頼関係を基本に、保護者の自己決定を尊重すること。

 

「保護者の自己決定を尊重すること」これが最重要句なわけですが、「子育ての支援を行う際には」と書かれているので、制服強要は別に子育て支援とは関係ないしーという反論が考えられますよね。

 

さて、我が家は貧困家庭に入りますので、経済的支援という観点から制服購入の強制はしないという方針は子育て支援にもなるかと思われます。

では、集合写真撮影時の制服拒否はどうでしょうか。

私は、経済的理由で制服購入をしませんが、自分の育児観や信念で制服撮影拒否をします。幼児期に人と同じ服装をすることに教育的意義をあまり感じませんし、人と違うことを認め合う価値観を育むことが目的であり、協調とはそのような異なる価値観を持つもの同士が共存するためのルール作りをしていくことであって、決して多数派に合わせて妥協するということではありません。それはただの同調ね。

子育てに直結する信念である以上、それを尊重することはこれもまた子育て支援であると考えます。

親の精神安定、幸福感が子供の情緒安定に影響することは自明の理です。

 

副園長先生はこうもおっしゃいました。

「園の教育方針と岩元さんのお考えが合わないことが今後あるかもしれませんが」

 

これまで、園の教育方針とか理念については特に何も問題に感じたことはありません。

先生個人のやり方に疑問をもつことはあれども、園の教育方針を捻じ曲げてまで自分の要求を通そうなどという気は毛頭ない。

 

いまいち理解されておらぬのが残念なのだが、私が今回園に対して指摘した問題はすべて、普遍的な「人権の尊重」というテーマに結びつくことばかりなのだ。ズバリ人権の問題なのだよ。

 

ただ、副園長先生にとっては、そのような問題意識ではなく、園独自の方針で決める問題であるようでした。

「撮影時は制服を着てもらう方針でよいか」と言われたので、今後そのようなルールを園の教育方針として定めようとされているのでしょう。

 

これについては私も一定の理解は示したいと思います。

市役所の保育課にも「撮影時に制服着用を拒否したらどうなるのか」という質問をしており、そのような場合の指針がないので検討すると現在回答待ちである。

 

ここでひとつの疑問が生じるわけです。これが公立園なら話は簡単で、上記の弁護士さんのお話のように、制服を着る着ないは完全に個人の自由、ということで決着するわけだけど、この認定こども園は私立であって、その教育方針については自由裁量が認められているわけですもんね。

弁護士さんもおっしゃるように『ただし,公立ではなく私立の学校では,「その学校のルールをわかったうえで,自分から希望して入学した」ということが重視されるので,校則で決められている制服を着なければ,停学や退学などの懲戒処分を受けてしまうことがありえます。』ってことなんだよ。

 

私立学校の校則と個人の権利が衝突した場合はどうなるかっていうと、裁判での結論を簡単にいうと「憲法は直接的には国や地方公共団体が守るべき約束だから、私人同士のお約束には適用されるものではなく、社会通念上合理的であるお約束ならOKだよ」って感じね。

 

まぁ制服着用義務のルールは私立学校では社会通念上合理的であると言えるかな。

幼児教育においても日本では制服のある園など一般的ですし、それなりに合理的な理由があるのでしょう。教育的効果や意義があるかというと個人的には疑問ですが。その後入学する小学校には制服ないしさ。単なる大人の都合でしかないように思える。

とにかく「その学校のルールをわかった上で自分から希望して入学した」ことが重視されるわけで、納得できます。

 

我が家、2号認定で、第1に希望して入ったわけではありません。制服強制されない理由はここにあります。ただ、いくつかの希望にこの園を書いたことは間違いなく、入ったからにはそれなりに園の方針に従うものかなと思ってはいます。

 

じゃ素直に従えよ、って話なのですが、

理屈で考えることは私にとって非常に大事なことでして、ホントややこしい性格でごめんなさい。

 

そして、本来一番重要な、子ども自身の気持ち。

彼は望んでもないのに制服を着せられたものの、なんかわからんけど先生が言うからしょうがないやという感じで従ったのではないかと推測されます。写真は楽しそうに写っております。

 

なので本人がそこまで嫌がるものでもないなら、撮影時は制服でもいいかと考えてはおります。

 

これまでただの一言も「制服着たい」などと言ったことはありませんが、そんなことを言うとすぐ「それは大好きなお母さんの気持ちをくみ取って望まれる通りにふるまっているだけだ」などと他人の子のことをよく知る超能力者が現れるので、今回の話し合いでは子どもの気持ちはどうかということはあまり論点にしませんでした。

子供が先生の顔色をうかがって、先生の望む行動をとることもよく知られていることであり、「園では制服着たいと言ってましたよ」と言われようものなら、「それは本心ではない可能性があります」と結局水掛け論になりますしね。

 

今回の園との話し合いでは、父母会の負担についても話しました。これについてはまた別の機会に書けたら書こうと思います。

 

JUGEMテーマ:幼稚園

人権擁護課へ電話しました

  • 2018.05.17 Thursday
  • 15:25

こんにちは。

さて、今回は5年ぶりに鹿児島地方法務局人権擁護課に電話しました。

5年前の記事はこちら「PTA退会について鹿児島法務局人権擁護課の回答」

 

また音声データ置いておきますね。

https://drive.google.com/open?id=1r73PN7c30n7bM4MUFsdRW02P0TjlEYGg

 

↑これ聞けるかな?

 

5年前と大して変わってない印象ですが、5年前の自分の記事を読むと、法務局さんもPTAが退会可能であることはわかるようになったんだwと気付きましたね。

まぁ、それなりの進歩ですかね。

 

非会員の子供が、登校班に入れない、バザーに参加できない、卒業記念品がもらえない、といった事例で人権侵害にあたるのかどうかを質問しました。

それに対する回答は「わからない」「直ちに人権侵害になるとは言えない」といったものでした。

 

残念がっかり。

この5年間、PTAに関しては何も勉強されてこなかったご様子でした。

 

JUGEMテーマ:PTA役員・委員会

生涯学習課に問い合わせました

  • 2018.05.10 Thursday
  • 13:29

なんか、音声埋め込みうまく行かなかったので、グーグルドライブにファイル置いて直接リンク貼りました。

PCでは聞き取れたんですけど、ほかのデバイスではどうかわかりません。

 

相手の声あまり聞き取れないかもです。

文字おこしする時間が今ないので、一部音声貼り付けます。

 

5月10日

教育委員会生涯学習課PTA担当大重さんとの会話。

https://drive.google.com/file/d/1IkeS-eU-ZBG4-hWUAl4kyeBfeVPTChvc/view?usp=sharing

 

もういっちょ追加。

https://drive.google.com/open?id=1VtrMOqW83jTUBYJC6jZzzBF4pmBM3MKc

 

【ざっくりと】

鹿児島市内のY小学校とS小学校のPTA非会員の方から、児童への差別的扱いや、退会保留扱いなどの相談に応じておりましたが、学校側やPTA側と折り合いつかず、私が直接、教育委員会へ問い合わせをするに至りました。

 

差別への対応については即答できかねるということなので、今後、対応を検討していただくようお願いし、定期的に私が進捗状況を確認するということになりました。

 

 

 

 

JUGEMテーマ:PTA役員・委員会

トンデモな例え話

  • 2018.04.15 Sunday
  • 18:46

PTA関連で、この前私がすっごく驚いたツイートがあるんですよ。

私ってば、他人と感動ポイント違ったり、気になることがちょっとズレてたりするんで、ほかの人は大して驚きもしなかったかもしれませんけど。

 

以下のようなものです。

 

え・・・普通に乗せるよね。

人命軽視甚だしい例え話で、正直目を疑いましたね。

そんな例え話もってくるー???

なんかこういう人とは議論しても無駄そう・・・直感的にそう思いました。

 

確かに、そういう集団心理が働くかもしれないことは理解できますよ。

けれど、そこでどう行動すべきかは全然違う話です。

 

実際、愚かな人間ばかりなら、命よりもその集団心理に従って行動することを選ぶのかもしれませんが、

教育というのは、そのような場面にあって人は何を優先しどう行動すべきかということを教えるものでもあります。

 

そんなバカげた集団心理に従って、命を見捨てるなど、人のとるべき行動とは思えませんね。

人命最優先、と考えて行動するのが当然だと私は考えます。

迷うことなど全くありません。

 

「船作りに参加しなかったんだから乗れなくて死んでもしょうがないよね、PTAもそれと同じですよ」

私はこの例え話をさらっと言えてしまうところがとても恐ろしいな、と感じました。

死んでもしょうがないで済ませられる人だから、PTAの差別問題なんて大したことないんでしょうね。

 

命がどうでもいいと考える人に、いくら差別がダメだと説明したところで、理解なんてできるわけがないです。

あぁ、分かり合えないのは、根本から価値観が違うんだ、と。

 

自分の行動を決定づける倫理規範からして、もうまるで違うんだ、と。

理解力がないとかいうレベルの問題じゃないんだ、ということにすごく驚いたわけです。

 

 

ふとアリとキリギリスの話を思い出したんです。

この話の結末って、人によって違うんですけど、どの結末を思い浮かべますか?

 

私は「怠け者にあげる食べ物はないよーん、ざまぁみろ」的な結末を覚えていたんですけど、

中には、飢えたキリギリスに「またステキな歌を歌ってね」とアリが食べ物を分け与える結末もあるんですよ。

 

どうやら、もともとの残酷な結末が改変されたようなんですけど、

この改変を「偽善だ!」などと怒る人もいるし、「教育的だ」という人もいる。

 

どういう結末が好ましいと思うかは、その人の社会の見方、人間観とか、そういうので違ってくると思うし、違っていいとも思う。

それに、この話で何を伝えたいかにもよるよね。

勤勉さの大事さを伝えたいのか、慈悲の心を伝えたいのか。

 

だからまぁ上記の船の例え話の人も、

死んでもしょうがないというほど強い排除論を言いたかったわけじゃないかもしれないけど、

どっちにしても、排除されてもしょうがない、というのは人として残念な話です。

 

 

で、PTA非会員ってのは、怠け心で退会しているわけじゃないんですよね。

だけど怠け者であってもいいんですよ。

 

退会する理由なんて何でもいいの。

関係ないの。

 

だからね、会員さんたちにどのような集団心理が働こうが、

実際に非会員を排除したり差別したりすることは許されないのだから、

会員さんたちはいいかげんこの現実を受け止めないとね。

 

 

JUGEMテーマ:PTA役員・委員会

保育士の責任とは

  • 2018.03.28 Wednesday
  • 13:53

先日、以下の記事を読みました。

 

【あの日から7年】大津波から子供を守った”奇跡の保育所長” 「美談」の裏で抱えた苦悩

保育士の責任とは何か。朝、預かった命を、夕方に保護者のもとにかえすことだ。

 

宮城県沿岸部、海抜0メートル、海辺から800メートルにある保育所。

東日本大震災でひとりの犠牲者も出さなかった。

「閖上の奇跡」「名取市の奇跡」などと呼ばれているそうだ。

 

保育所長の佐竹さんは「奇跡」と呼ばれることに困惑したそうだ。

その「奇跡」は、偶然ではない。

最悪の事態をも想定した日頃の訓練と備え、そして所長の適切な判断があってこそのものだ。

 

いつだったか鹿児島でも、震度5の地震があった。

 

幸い、被害など何もなく、揺れもすぐおさまったが、どう考えても外に避難だな、と思ってた。

ところが、隣の職員室から出てきた園長は、「まぁ大丈夫大丈夫」と言って避難は指示しなかった。

私は「え、大丈夫なんですか?」と、今思えばすごくマヌケな質問をしたなと思う。

 

園長は「ニュースとか見ないとわかんないから」などと言う。

そうだよ、私たちはニュース見る暇ないんだから園長が情報収集して指示してよ、と思った。

結局、通常の保育に戻ることとなった。

 

ところが、隣の幼稚園では園庭に園児たちが避難をし、中学校でも小学校でも、ほかの保育園でもしっかり子どもたちは避難していたのだ!

避難しなかったのうちの園だけ・・・。

 

他の園のように、避難し、園舎の安全の確認をしてから戻るべきだった。

 

園長に強く言えば良かった、「念のため、避難しましょう」と。

言い訳になるけど、とっさに判断するというのは難しい。

やはりトップの判断指示というのがいかに大事かということを思い知った。

 

幸い、揺れが続くこともなく、園舎に何の被害もなかったわけだが、この前の不審者侵入事件といい、こんな平和ボケ状態でうちの園は大丈夫だろうか・・・。

すごく良い園ですが、そこが不安要素。

 

今は災害時のマニュアルなどもしっかりできて、震度5以上は避難、となっています。

震度6とか7レベルならもう現場の先生の判断だけですぐさま外に避難するんだろうとは思いますが。

 

 

で、保育士の責任とは、上記の震災経験者が語るように、子供の命を最優先に守ることであること、これは確かなことだ。

最近の私の話の流れから、そのことをしつこく強調してますが、

最後にどうしてもこれだけは言っておきたいことがあります。

 

災害などの緊急時はもちろん子供の命最優先の行動をとるべきなのは言うまでもありませんが、

何事もない平和な日常にあっては、

ともすれば「死なない程度のことをしてればいい」という認識になる可能性が人によってはあるかもしれません。

 

保育士の責任とは、命を守る以外にも、他にもあると考えています。

ざっといえば、抽象的な言葉で申し訳ないですが、

豊かな心を育むための専門性の高い関わりとか、きちんとした生活習慣を身につけさせるとか、

何かしらの興味関心を高める活動だとか、なんやかんやといろいろあって、

質の發な欅蕕鬚垢襦△箸いΔ里盻殿腓弊嫻い任△襪錣韻任后

これについては、保育の専門性とは何かというテーマでまた考えを述べたいと思っています。

 

JUGEMテーマ:保育士

『殺人犯はそこにいる』

  • 2018.03.25 Sunday
  • 18:53

前回の続きっぽくなります。

最近『殺人犯はそこにいる』というノンフィクションを読んだんです。

 

詳しい内容をお知りになりたい方は読まれてください。

途中、何度も涙で文字が見えなくなります。

 

その本の最後のほうに、「報道とは何か」ということについて書かれています。

 

『例えば、親が幼い子供を車に残して買い物などに行き、車内で子供が熱中症で亡くなる。そんな悲しい事故が毎年繰り返される。定形文とも言えるニュースが流れる。(略)そんな報道を目にして、あなたはどう思うだろう。「馬鹿な親だ」と思うだろうか。あるいは、「私はそんな愚かなことはしない」と笑うだろうか。しかし、このニュースの問題点はどこだろう。(略)原因はなんだったのか。同様の事故を起こさぬためにはどうするべきか。それを報じるべきではないか。絶対に子供を車に残してはならないのだ。特殊な人が、特殊な条件下で起こした事件、事故だと突き放さず、寄り添い、苦しみの中から絞り出される声に耳を傾けること。それが報道に課せられたことではないか。』

 

私は、ここでも「情報を共有すること」の大事さを感じ取りました。

過去の事故、事件から、知り、学び、同じ悲劇が起きないよう対策をとる。

 

どこかで保育事故が起これば、何が原因だったのか、どうすればよかったのか、全国の保育園は考えなければいけません。

けれど、現実には、ニュースすら見る時間もないような多忙な保育士たちは、どこでどのような事故があったかすら知らないことも多い。

 

先日、園で避難訓練があり、不審者への対応についての紙芝居を子供たちに見せた。

その中で、スーパーなどのトイレに1人で行かないとか、知らないおじさんがネコちゃんがいるよと声をかけてきたりとか、そういった事例が書かれていましたが、それらは過去に実際にあった事件のことですよね。

 

スーパーやショッピングモールで子供だけをトイレに行かせることはしない、

ちょっと外のポスト見て来てと頼んだりしない、

ママ友程度の人に子供を預けたりしない、

人の多い場所で子どもの名前を呼んだりも極力しない、

例えわずかな時間でも車内に子供だけ残さない、

お風呂に水を張ったままにしない、

フード付の洋服は極力着せない、

 

挙げていけばキリがないですが、

過去の事件や事故から、こういうことに気を付けよう、と思うわけです。

 

普段それだけ気を遣っていても、油断は生じる。

車に荷物を積んでる数秒の間に消える2歳児・・・。そんな経験が私にはある。

あぁ絶対に目を離しちゃいけなかったのに・・・。(10分後発見)

 

 

冒頭紹介した『殺人犯はそこにいる』では、連続幼女殺人事件の真犯人と思われる人物が、今でも捕まらず平然と生活していることが記されている。

真犯人は言葉巧みに女児を連れだし、犯行に及んだ。

被害者はちょうどうちの子と同じ4歳くらいの幼児。

 

いくら紙芝居で知らない人についていってはダメだよと言い聞かせても、現実にはいとも簡単について行ってしまう。

子どもとはそういうものなのだ。

だから大人が絶対に守らねばならない。

 

 

私は、自分自身が過去にストーカー被害にあったこともあり、不審人物はどこにでもいて、どんなに気を付けていても被害にあうことはあると思っています。

みんなが思っている以上に、悪人や狂人はそこらへんに普通にいると思いますね、私は。

自分自身が犯罪者になる可能性だってある。

 

私が子供だった頃は、一人でよく遊びに出かけていました。

家は貧しく、両親は朝から晩まで働き、家族でどこかで遊びに行くとかまずなかったです。

今思えば、私よく無事に過ごせたなぁ、と思います。

ただラッキーだっただけなんです。

 

危険な場所にはいくらでも行ったし、

迷子にもなったし、

崖から落ちてケガしたこともあったし、

蛇にかまれたこともあった。

誰も見守ってくれる人などいなかった。

 

でも、今生きてる。

たまたまの幸運だ。

 

『殺人犯はそこにいる』の事件は、まさに私が子供だった頃の事件だ。

 

今、私は我が子を、私の子供時代のような運任せの状況に置きたくはない。

 

だから、何か事件や事故が起これば、遠い地域の無関係なニュースだと流さず、

子どもの命を守るための最善の策をそこから学び取ろうという姿勢でいたい。

 

不審者侵入

  • 2018.03.23 Friday
  • 12:50

過去の失敗や成功、事件や事故、それらから学ぶことの重要性は、今になって私が特段伝えることでもないくらい当然みんな理解しているのではないかと思いますが、人はやはり、過去からの教訓というものを忘れる生き物なのだということを実感しています。

 

今月初め、私の職場の保育園に不審者が侵入しそうになるという事件が発生しました。

幸い、重大な事件に発展することはなく現在に至っています。

 

夕方になる頃でした。

ある先生が、笛を首からぶらさげながら「これで不審者きたらどうしろっていうんですかね」と苦笑いしていたので、今頃不審者対策?と不思議に思っていたのですが、私が退勤するころになって、別の先生から「不審者が侵入しかけたんだって」と聞き、非常に驚きました。

 

不審者の存在に驚いたのではなく、そんなことがあったのに、園全体、職員全員に直ちに知らせをよこさないとは!そのことに非常に憤りを感じました。

すぐさま私は主任に、「警察は?」と問いました。

すると、主任は「園長が不在で、連絡とったところです、今判断待ちです」と平和ボケぶちかましてきたので、この園に務めて三年、初めて真の怒りを感じました。

 

園長不在なら、主任が判断を下すべきところ。

迷うことなどなく、即通報するべき事案だ。

すぐ職員に指示し、全部屋の戸締りや周囲の安全が確認されるまで子どもの安全を最優先にした行動をとるべきだろう。

 

「判断待ちです」

はぁ??その言葉が私の脳内で繰り返される。

 

なぜ、そんなのんきなことが言えるのだろうか?

平和ボケなのは主任だけではない。

 

後に知ることとなるのだが、

隣の幼稚園(我が子通園)に、前日に不審者情報が寄せられていたのだ!

けれどもそれはうちの保育園に知らされることはなく、保護者にも知らされることはなかった。

 

私はその幼稚園の保護者としても、その対応に非常に不安を覚えた。

そして担任の先生には伝えた。

「一斉メールがあるのだから、お知らせしたほうがいいんじゃないですか」と。

結局メールが送られてくることはなかった。

 

私は、保護者のグループLINEで不審者の件を伝えた。

 

調べてみると、今年1月にも近所で女児へのつきまとい事案が発生している。

 

さて、この話を聞かれた方は、どう思われるでしょうか。

うちのような平和な地域に限って重大な事件など起こるはずはないと信じますか?

不審者というのは単なる近所の通行人で、狂った犯罪者ではないだろうと信じますか?

 

これまで、子供を狙った犯罪は数多くありました。

どれくらい思い出せますか?

 

何か起こってからでは遅いと誰もがわかっている。

けれども、平和で安穏とした暮らしを続けていると、人間というのは注意を怠るのです。

 

危険な犯罪者の住む街に、子供を一人で行かせてしまう。

まさかそこに、卑劣な犯罪者がいるとは思わない。

これまでどれだけの親が後悔と自責の念、深い深い悲しみを経験してきたことか。

 

私たち保育士は、子どもの安全を、誰よりも強く、日々考えなければならない職業です。

同じ悲劇を繰り返さない。

不幸にも亡くなっていった子供たちの存在を、決して忘れない。

 

 

今回の不審者侵入については、自戒の意もあり、ここに書き記すことにしました。

 

JUGEMテーマ:保育士

保育園のブラック労働

  • 2018.03.22 Thursday
  • 20:03

この度、私を含めた非正規職員一同が園に出した要望書が通りました。

みんなにアンケートをとり、とりあえずお金をかけずにすぐ改善できることだけ厳選して、要望を出しました。

 

主に掃除内容の効率化ですね。

これにより、休憩時間を確保することが可能となりました。

といっても、本来一時間休憩がとられなければならないところ、現実的には30分程度、それも状況を見て休めるときに休む、といった形になりました。(一時間分の賃金はしっかり引かれています)

 

残念ながら、正規職員にはこれまでと変わらず明確な休憩時間はありません。

 

要望書を出すと、理事長もあっさりと「当然な内容だよね」と、どんどん意見が出ることをすごく好意的に受け止めてくれました。

あ、なんだ、けっこう理解あるじゃないか。

 

なぜ今まで「休憩する」といった当たり前すぎることが改善されないままだったのか。

休憩時間だけではない、サービス残業や持ち帰り仕事など日常的です。

 

もちろんブラック労働は保育業界だけの問題ではありません。

そして、現場の労働者だけでは解決できないような制度や法の問題もあるんでしょうけど、

現場のやり方次第では、いくらでも改善できることはあります。

 

が、その「現場のやり方」を変えるということがなかなかできません。

 

多忙で薄給で人手不足などはブラック園共通の問題点かと思いますが、

それに加えて、うちの園での問題点について述べます。

 

1.権利意識が希薄。

2.計算ができない。

3.得体のしれない空気。

4.責任をとれない。

 

1.権利意識が希薄

希薄どころかまったくないような人もいる。

「働かせてもらってるだけで感謝です」のようなスピリチュアル系女子。問答無用でこの際無視。

 

保育業界のブラックさはメディアでも盛んに取り上げられているのですが、職員に当事者意識がなく、どこか遠い国の出来事であるかのように流されている。

まぁ、うちの園はニュースになるほどブラック度が高いわけじゃないし、日々の業務に追われて考える余裕がないのだ。

 

定時に帰る先生と、定時に帰らずサビ残をする先生がいます。

「○○先生は残って仕事してるのに、××先生は時間になったらすぐ帰る、残って仕事してるの見たことない」と、なぜか定時に帰る先生が非難されるのを聞いたことがあります。

 

え、定時に帰って何が悪いんでしょうか・・・。

「仕事が遅い、間に合わない」などと言われるのですが、

定時に帰ることができないような業務内容のほうが改善されるべきことです。

 

労働者としての権利どころか、そもそもしっかりした人権感覚が培われていないのではないか、と思える。

これはもう個人の不勉強の問題などではなく、日本社会の根深い問題なんだろうなぁ。

人権感覚の乏しさは、教育の場としては致命的。

 

今回の私たちの要望書も、改善しようとしているのが私一人であったならできなかったことです。

同じ想いの仲間がいたから可能だったんです。

実際、そういった行動をおこすよりも、辞めたほうが早いです。保育士をやめるか、ホワイトな園にいくか。

ネットを見ていても、保育士辞めたいクラスタの人たちは疲弊しきっていて、改善しようという気力すらなく、すべてを諦めています。

 

職員一人だけが意識高くてもダメなんです。

やはり最も重要なのは、上に立つ人たちの権利意識じゃないでしょうか。

 

 

2.計算ができない。

つまり、論理的・合理的な考え方ができないということです。

その結果、非効率的な業務、そういうものが蔓延する。

 

職員の中には、夫の扶養の範囲内で働きたいため、年収制限のある職員が多数いる。

私は誰の扶養にも入っていないので、その制限はない。

 

ところが、29年度、私は年収100万円も満たないのに、

一方では、130万円の制限をオーバーしてしまった職員がいるのだ。

 

計算できないので、後半になって

ぎゃーこの人制限オーバーしちゃう〜出勤増やせないよ〜人が足りない〜〜という事態になる。

アホか。

算数からやりなおせ。

 

エクセル使いこなせない、というのも相当痛手です。

手書き電卓叩きでちまちま計算。そのためミスも起こりがちです。

まぁデジタル音痴なのは悪い事ではありません。ある程度のレベルまで勉強すればよい事です。詳しい人が教えてあげればいいです。

 

 

3.得体の知れない空気。

ひとによっては「女集団特有の空気」とも言う。

女だからっていうか、ある価値観に汚染された人たちの集団って感じですかね。

「みんな仲良く平等に」とか。

 

PTAによくある、「不公平だ、ズルい」の理論がここにもあります。

誰かの仕事がラクになることを喜べない。

みんな仲良く平等に苦しもうという変な方向へ行ってしまう。

定時で帰る人を非難するみたいにね。

 

給与低すぎるよねと言うと「どこもそんなもんですよ」で終了。

だから?みんな一緒だから安心?納得?

 

いやいや、労働に見合った給与をみんなでもらおうよ。

やりがい搾取とかさ、そろそろ気付こうよ、大事な命預かってさらに不要な雑務までこなして、善人ってのは搾取されてることに疑問すら抱かないから厄介ですよね。

 

さきほどの収入制限オーバーが生じた件、それにはある理由があります。

「休み希望の多い人は出勤日数を減らす」というドまぬけなルールがあったのだ、最近知った。

 

そのようなルールを設けた理由はさらにドまぬけで、「減らさないと不平等になるから」

意味不明さも度を越している。

休み希望の多かった私は、希望以上に出勤を削られていたわけだ。

 

要するに、「好きなように休みとれてズルい」ので嫌がらせをする、ということなのだ。

もちろんルール作った人には嫌がらせであるという自覚はないですよ。

ただ感覚的に作っただけ。

この人だけ希望を叶えるのって変だよねっていうその人独自の感情・思考がそのまま組織のルールとなった。

 

休み希望が多ければ、当然それなりに出勤日数は減る。

それに加えてさらに休みを増やす必要性などまったくなく、

その人が休みを希望した日に、出勤可能な別の職員を入れればいいだけのことなのだ。

 

というわけで、来年度からはこのルールは撤廃となる。

 

 

4.責任を取れない。

リーダーシップの問題なんだけど、園長とか主任っていうのは責任を取る仕事でもあると思うんですよね。

何かあったら責任を取る。職員の失敗とかね。

なので、そういう上に立つ人たちが、自己保身に走ると、何かが変化することは望ましくないことになるわけですよ。

 

これまでと違うことをするということは、何かしらの失敗や困難が生じるリスクが高まるわけです。

できる上司というのは、「俺が責任とるから、まずはやってみろ」と言うわけですが、

できない上司というのは、「何か起きたら責任取らされるのは俺なんだぞ、やめろ」と言います。

 

うちの上司たちは、どちらかと言えば後者です。

何か提案しても、まずは否定から入ります。否定する理由は後付です。

だから物事進みません。変化しません。

 

 

以上、私が現時点で感じている問題点を述べましたが、

うちの園にはすごく希望があるので、これからもどんどん改善要望を出していきたいと思います。

 

JUGEMテーマ:保育士

情報弱者と呼ばれて

  • 2018.02.17 Saturday
  • 17:58

PTA話が続きますが、

「PTAが任意入会であることを知らないような情報弱者が悪い」という論があります。

 

己の怠慢を棚に上げて弱者のせいにしているようで、なんとも不快ですが、まぁ「そんなことも知らないのかイラっ」って思うことは日常たまにありますよね。

 

情報弱者ってのは、情報・通信技術の利用に困難を抱える人、情報を充分に活用できない人、情報リテラシーやメディアリテラシーに関する知識や能力が十分でない人のこと、って説明がされている。

情報格差が生じるという社会問題なわけ。情報に疎くても特に問題でもない人もいるかもね、だけど「知らないと不利益を被る」事柄についてはきちんと知らせる必要がありますよね。

 

世の中、いろいろな社会的弱者、なんちゃら弱者と呼ばれる集団があり、それを前提とした制度設計がなされていくべきと考えます。

 

 

さて、私の周囲では、PTAの任意加入を知らない人ばかりなので、そういう意味ではほとんどが情報弱者ですね。

都市部では任意なの知ってる人も多いのかもしれないけど、地方はまだまだですよ。

 

ここで一つ注意しておきたいのが、

PTAに限っては、単純に知らないなどという問題ではなく、

最初から「入会するのが義務」という誤った思い込みがあるという点です。

なので任意なのを知らないというだけで情報弱者呼ばわりするのもどうかなと感じます。

 

普通さ、任意のボランティア団体からお誘い受けてもさ、「イヤなら断れる」って誰もが知ってるし、よほど気の弱い人が強引に誘われでもしない限りは自分の自由意思で決められることなんですよ。

 

でもPTAは違うわけ。最初から間違った思い込みがあって、そこにつけこまれてるの。

だから入会届があるだけでもダメなの。これはサインしなきゃいけないものなんだなってまた思い込むだけだから。

懇切丁寧に説明しないとダメです。

 

 

情報弱者になりうる要素を持っている人はたくさんいますよね。

 

むかし知り合いに、役所からの文書の意味がわからない女の子がいて、私はよく意味をかみ砕いて説明してあげていました。まぁ特段難しい内容ではなかったのだけど、そういう文章を理解する能力がない人、漢字の読めない人というのは実際にいるのです。

役所からの文書の意味が理解できなければ、すごく不利益を被ることが予想されます。

 

そして、私はメルカリで時々手作り品のオーダーを受けることがあるのですが、

そこで出会う人たちの中にも、簡単な計算のできない人、定規の目盛が読めない人などがいるんです。

目盛が読めないので、定規をあてている写真を送ってきて、大きさはこれくらいです、と言ってくる。

ミリをセンチに直せないとかね。

 

学習障害とか識字障害などをもつ人たちは、やはり不利な立場と言えるかと思います。

 

あと、なんというか、科学的センス、科学リテラシーのまるでない人に対しても相当な配慮が必要です。

私の友人ですが、テレビを掃除してと言われて丸ごと水洗いして壊したり、

飼っていたアヒルが汚れていたので洗濯機で洗って殺してしまった人がいます。

海外では飼い猫を洗って電子レンジで乾かそうとして殺してしまった人もいましたね。

 

科学的な知識に乏しいというか、知識なくても普通そんなことしないやろと思えるようなことを平然とやってしまう人が世の中にはいるわけです。

 

だから取扱説明書に「そんな使い方しないわ」というような注意書きがたまにあったりしませんか?

洗剤を間違って飲む人いるから「これは飲みものではありません」て書いてあるでしょ。

 

というわけで、知識・情報において弱者となる人は少なからずいるわけです。

 

そして当然そういう人たちも、結婚して子供を産んで、子育てしてるわけです。

社会には、必ず一定数の弱者がいるものです。

教師と保護者がともに教育について学びあう場となるはずの社会教育関係団体であるPTAが、そのような社会的弱者を無視するような行いをしていいわけないでしょう。

 

弱者を排除するために学びあっているのですか?

強者のみが生きやすいような社会の実現を願っているのですか?

 

 

JUGEMテーマ:PTA役員・委員会

PTAを道徳面から考える

  • 2018.02.16 Friday
  • 14:58

ついに、PTAは違法→じゃあ合法にしよう。という輩が現れた。

というか、これは予想内であったし、以前からそういうこと言う人いましたよね。

定番ネタのマンションの管理組合の話を持ち出してさ。

 

私は以前にも書きましたが、法が時代に合っていないとか間違っていることも実際あるので、ことさらに違法だ!と騒ぎ立てるのは、盲目的にルールに従えと言ってるようにも聞こえるのでイヤなんですよね。

 

まぁPTAを法的に義務化とか、そんな法令、違憲じゃないの?

結社の自由はどうしたの?

って感じで、大して深く考えもせず片付けてしまってたんですが、

このまえ、「条理法」という言葉を目にしました。

 

詳しくはこちらの15Pから↓(pdfだよ)

PTA の今日的課題─「任意加入」・「強制加入」に関する法学的・歴史学的考察 (東京理科大学教職教育研究 第2号)

 

この論文の中で「大日向論文の紹介と検証」というのがあって、そこで、

「PTAは条理法の根拠があれば十分法的根拠がある」といった論が紹介してありました。

 

以下のような感じね。

「PTAについては、いわゆる国民教育権(親の教育権)と結びついて、親が教育に直接的に関わる重要な組織であり、安易に任意団体と表現を強調することは適当でない」

「PTAは教育の信託を実現する団体としてその学校の親がすべて親の権利を主張する義務として、当然加入すべき」

 

親の権利を主張する義務かぁ。

権利を主張する義務があるとして、PTAが重要な組織であるとしても、だからって何でPTAだけに当然加入になるのかイミフだけど、まぁいいや。

(この論文の著者が「極端に国民教育権説の立場を取る考え方を前提にして考察することは、その時代的適合性 を失っているのではないかと筆者らには思われるのである」と述べているが、私もそう思う。)

 

条理とは、物事の筋道や道理のことで、

条理法とは、成文法・判例法・慣習法のいずれにも該当する法律が存在していない場合に基準とする事柄、だそうです。社会通念・公序良俗とも表現されると説明されてた。あ〜はいはい。

 

なるほど、PTAは、物事の道理として、法的根拠を得ることが可能、てことね。

そ、そんな便利な法があったとは・・・。

(自動加入は違法だよって判例が出ちゃえばおしまいてことか)

 

条理法とやらがPTAに法的根拠をあたえうるものかどうかは、私には難しすぎるので、法的な話はおくとして、

私もPTAを退会したとき、校長先生から「道義的に問題があります」と言われたこともあり、

道徳的な面からちょっと真面目に考え直そうという気になりました。

 

親ならPTAに入会して教育についてあれこれ主張するのが道理?

道理=人として行うべき正しい道

 

国民教育権や道徳の話に関して、先日ちょうど読み終えた「子どもの人権を守るために(木村草太編)」という本の中で、前川喜平氏が寄稿されている『道徳教育ー「道徳の教科化」がはらむ問題と可能性』という章がすごく良かったのでちらほら引用するね。

 

道徳科の学習指導要領について、

『個人の尊厳や内心の自由という憲法的価値に違背する疑いのあるものも多く含まれている。「父母・祖父母を敬愛する」「国や郷土を愛する心をもつ」「人間の力を超えたものに対する畏敬の念をもつ」などの徳目がそうだ。』

と述べられておられます。

 

えっ、父母を敬うことが憲法的価値(自由・平等・平和)に違背する?って思われる方もいるかと思いますが、誰を敬愛するかは個人の自由ですよって至極当たり前なことなんだよね。そういうことは他人から教え込まれるものではないの。

国や郷土も同様ね。

三番目の畏敬については、ちょっと私もこれまで明確に意識してこなかったので反省したね。

 

つまりね、子どもだからって父母を敬わなくてもいいし、日本人だからって日本を愛さなくちゃいけないなんてことはないわけ。そういう精神の自由が認められているわけ。

そうするとね、親だからって子供を愛さなくてもいいわけ?って言う人が必ずいると思うんだけど、まぁぶっちゃけそうなのよ。だけど・・・とこの話は長く脱線するからここまでね。

 

親や郷土を当然のように愛してる人は多いだろうから、親や郷土を愛せよと言われて疑問に思わない人も多数だろうけど、実はここすごく大事。憲法的価値、それほどまでに個人の精神の自由は大切で、尊重されなくてはならないものってこと。

 

親だからPTAに入会して当然なんてのは、ちゃんちゃらおかしいわけ。

めちゃくちゃ憲法的価値に違背してると思うわけ。

 

確かに親には、子供の教育に関わる権利と責任があると思うけど、

親個人に「親ならこうすべき」といった道徳的価値観を押し付けることは、精神の自由の侵害だろう。

 

『教育には憲法の理想の実現という使命がある』そうなのだが、

教育に関わる重要な組織とされるPTA自らが憲法に違背するようなことをしていては、笑われてもしかたないよね。

 

私の精神は、誰からも束縛されない自由なものです。

人として、互いの精神の自由は認め合わなけれなならない、それが道理だと私は考えますね。

 

相互承認の精神という記事で、

苫野先生の言葉を紹介しました。もう一度書きますね。

 

『本当に重要なのは、相手の価値観や道徳観がどうであろうが、それが人の自由を侵害しない限り「承認し合う」ことである、と。その意味で「相互承認」とは、道徳の一番根っこの本質である以上に、異なるモラルを持った人たちが共存するための「社会ルール」の本質なのです。そのため私は、現代の民主主義社会において必要なのは、特定のモラルを教える「道徳教育」ではなく、異なるモラルを持った人たちが共にルールを作り合う「市民教育」だと考えています。』

 

前川氏はその「特定のモラルを教える道徳教育」を問題視しておられるわけですよね。

そして苫野先生も、そのような道徳教育ではなく、上記のような市民教育が必要と考えておられます。

 

子どもの教育に関わる親の権利と責務が私にはありますから、

はっきり主張させていただきますね。

 

子どもたちには、特定の道徳観を教え込む教育ではなく、精神の自由を尊重した教育、いかなる価値観を持つ者であっても、互いの自由を侵害しない相互承認の精神を培う教育の実現をお願いしたい。

そのためには、我々大人自身も、「親ならこうして当然」などといった特定のモラルを他者に押し付けてPTA自動加入を是認するような行為は断じてしてはならないのです。

 

以上

 

JUGEMテーマ:PTA役員・委員会

ざっくりPTA裁判

  • 2018.02.14 Wednesday
  • 15:51

以前私は熊本PTA裁判は「和解」で決着という記事でこう書きました。

 

信者たちは、勝ったか負けたかだけを見る。

その内容なんて知ろうともしないし、理解もしない。

 

そして現実にそのようなことが起きてしまっていました。

 

熊本地裁の判決文等をお読みになられたのでしょうか?

熊本PTA裁判 判決文

 

ここでも私が少し言及していますが、

「本件冊子の交付をもって入会の申込みと捉えることができるかはさておくとしても」

と判決文にあるよう、それが合法か違法かはそもそもの争点ではないんですよね。だから合法か違法かは結局結論出てない。

 

原告が会員であったかどうかという事実認定の問題であって、

誤解だろうがなんだろうが、いかなる入会方法であったとしても、原告が会員として会費を納めたってこと。

だからお金は返せないよって結論を導き出しているだけであって、

入会方法の合法性とかは本題じゃないわけよ。

 

もし道端で、何かの団体のパンフを受け取り(受け取ったら入会と書いてある)、寄付のつもりで「会費納入箱」と書かれた箱にお金を入れて、はいあなた今からうちの団体の会員だから、証拠として会費も払ってるしね、奉仕活動してね!って言われたらそれに従うんですかね?

 

ざっくりと裁判内容を説明すると、

(ニュアンス違ったらごめん)

 

「え、PTAって任意だったの?知らなかったよ!不当利得だ!会費返して〜」

「でもさ、あなたPTAの腕章つけて防犯パトロールしてるし、会費納入袋って書いてある封筒でお金納めてるじゃん。しかも退会届とか出してるけど、退会ってことは入会してたってことじゃん。つまり誤解だろうがなんだろうが会員としての認識あってお金納めたのよね。だから不当利得にはならないから、お金返せないよ〜ん」

 

このあと控訴して和解するわけだけど、ちゃんと任意入会であることを周知しましょうねってことになったよね。

 

 

入会してないと主張する人は、退会という言葉を使ってはいけません。

親切心でうっかり活動に参加してはいけません。

寄付をするときは、ご仏前とか書いてある封筒にでも入れましょう。

 

 

JUGEMテーマ:PTA役員・委員会

話がかみ合わない

  • 2018.01.29 Monday
  • 15:53

久しぶりにPTAの話を書きます。

メルカリアッテというアプリでも相談にのっているんですが、最近ツイッターでもなにやら賑わっていて?相変わらず信者さんたちとは話がかみ合わないなぁと思った次第です。

 

やりとりを見てて、勉強になるなと思ったので、自分なりにまとめておきたいと思いました。

どんな感じでかみ合わないのかってとこね。

(便宜的に信者と非会員の会話として書きますね)

 

信者A「会費払ってないんだから、非会員の子を訝しげに見るのはしかたないよね」

非会員1「児童はもともと会員ではないですよ。教師と保護者が会員であり、入会するかどうかは自由です。」

信者A「だったら自由にしたらいいじゃない。あなたが入会しようがしまいが私には関係ありません」

 

という流れでブロックされて対話が終わるパターンです。

 

まず、信者さんは何を指摘・批判されたのかが理解できてません。

ここでは任意入会を論点にしているわけでなく、「差別はダメ」それを注意したいわけです。

けれども信者には差別してる自覚はなく、なぜ差別になるのか理解できていないわけです。

非会員のほうは、そういう考えは差別的であると認識しており、なぜ差別になるのか理解しているので、そこを説明しようとしています。

 

理解力ある人なら、説明を聞いて、あぁそうか確かに差別になってしまうなと理解するのですが、

そこまでの理解力が無い方だと、上記のような説明では任意入会についての話だと勘違いし「任意?知ってるし。それがどうした?」としかならないわけです。

 

なので、ズバリ「それは差別ですよ」と問題点を明確にしてあげないとダメなわけです。

「それは差別的な考えです、なぜなら・・・」と懇切丁寧に説明するか、ですね。

(まぁブロックされて終了という結末は同じでしょうけど)

 

とにかく論点がずれないよう、問題点を明確に、順序立てて、丁寧に説明することを心がけようと思いました。

相手が、どの程度PTAについての知識を持っていて、どのようなスタンスでPTAと関わっているのかとか、そういう情報把握もしながら対話していかねばならないと勉強した次第です。

 

 

あと、こういう感じのも。

信者B「自分の子も世話になっているわけだし、お互い様なのにねー」

非会員2「PTAは互助会ではないんですよ」

信者B「は?わたし互助会だなんて言ってないけど」

 

こういったかみ合わなさもよく見かけますね。

 

あなたは互助会という言葉を使いましたよね、いいえ使っていません、という話ではないんですよ。

あなたはPTAを互助会のようなものだと勘違いしていますね、はいそうですね、という話なのです。

 

これもまた、すごく理解力のある信者さんなら「あなたはPTAを互助会のように考えているようだが、実はそうではないのですよ」と言葉を補ったり脳内変換できるのかもしれませんが、理解力そこそこだと、今まで出ていなかった単語がポンと出てきたら「は?」となるわけです。

 

なので、まずこちらで、信者さんの理解していることを別の言葉で置き換えたりして、自分の考えを客観的に捉え直せるよう手助けしないといけないのではないかと思いました。

 

この例だと、信者さんは「PTAはお互い様の組織」と考えています。それはつまり、会員同士で助け合う互助会のシステムなわけです。

なので、「あなたの考えは、互助会という組織の考えです。PTAというのは、互助会とは違う考えに基づく組織なのですよ」と教えてあげることから始めないといけないですね。

 

 

私は、理解力があるとかないとか書きましたが、

実のところ、だいたいみなさん普通レベルの理解力はあって、きっと普段の会話ではこんなかみ合わなさは少ないと思うんですよ。

推測なんですが、ツイッターとかで、顔も知らない、これまで関わったこともない人から突然に批判的なコメントされたり、間違いを指摘されたりしたら、まずムカっとなるんじゃないかな、と。

 

「なんであなたにそんなこと言われないといけないの!」

それでもう売り言葉に買い言葉状態になっちゃう。

しまいにはバカだのハエだの、クソリプだの子供のケンカかいって感じ。(おもろいんだけど)

 

ネットでのやりとりは、リアルで信者さんとやりとりする時のための参考になります。

そういう意味で、すごく勉強になります。

 

JUGEMテーマ:PTA役員・委員会

続きを読む >>

あけましておめでとうございます。

  • 2018.01.04 Thursday
  • 15:03

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

 

さて、今年はですね、

いろいろとやりたいことが多いんですけど、

まずは職場の労働環境の改善に取り組むことになりました。

ていうか、しました。

 

組織の中から何かを大きく変えるって、本当に大変ですよね。

変えようとする人が一人だと、まず何もできない。

 

幸い、今の保育園には、現状を変えたいと思っている仲間、行動しようとしている仲間が数人はいます。

私一人だと、もう職場を変えた方が早いじゃんとなったけど、

そういう仲間がいるので、やろう!ということになりました。

 

 

そして今、わたしは強く思うことがあります。

我が子たちが健康で元気で毎日を笑顔で過ごしてくれたら、こんなに幸せなことはないな、と。

 

今年もまた、みんなが元気に過ごせますように。

オムツ持ち帰り問題

  • 2017.12.17 Sunday
  • 15:32

保育園のオムツ持ち帰り問題。

簡単に言えば、うんち付オムツを持ち帰らせる保育園VS負担が大きい、衛生上問題あるだろう派、な感じかな。

詳しく知りたい方は以下のページなどを参考にどうぞ。

 

なぜ、オムツを保育園から持ち帰らなくてはいけないのか?

おむつは不要、手ぶらで登園。少子化を克服したフランスの保育園事情とは。

 

ついでに、私も時々読み返しちゃうのですが、この本もとても参考になる話満載です。

フランスはどう少子化を克服したか(盧蟒膸卉)

 

 

この問題に絡んで、私が言いたいことは、

結局はお金の問題である。なのでオムツ処理への補助金は必要。

オムツの仕分け作業は負担が大きい上、感染リスクも高い。

「保護者への支援」という視点が決定的に欠けている。

ということです。(現場職員にそのような視点がないということではない)

 

使用済みオムツ、臭いです。

うんちをよくする子だと、もう本当に通園カバンそのものまでが臭くなって、園で洗濯したこともあります。

 

さらにその使用済みオムツが複数入ったビニール袋とともに、お箸セットも同じカバンにそのまま入れるんですよ。

もう個人的にはかなりあり得ないです・・・。

 

オムツをそれぞれの子の袋に仕分け、洗濯室で保管しておくんですが、常に臭いが充満してますね。

保護者もオムツやそれを入れるビニール袋にいちいち名前を書かないといけないし。

 

臭いや保育士の負担の問題はもちろん、感染リスクが高まるようなことを、なぜあえてしなければならないのでしょうか?

 

もっともらしい意見として、

「子どもの体調管理として、排泄物を保護者に確認してもらうため」なんてのがあります。

 

持ち帰った使用済みオムツを開けてみる親がどれだけいることやら。

私はこれまで一度も開けたことないです。

異常な便が出たら、先生がちゃんと教えてくれます。

そして、血便などで保護者に確認してもらったほうがよいと思われるものは、お迎えのときに見てもらったりしたことはあります。

 

専門知識のある保育士が排泄物の異常を注意深く見ていますから、保護者がわざわざ帰宅後に確認する必要性はないと思います。

もちろん、「私は自分で確認したい」という保護者さんがいらしたら、個別に対応するということは可能にしておくべきです。

 

 

うちの子が通っているこども園は、最初はオムツを園で処理してくれていましたが、処理費がかかるということで、途中から持ち帰りになりました。

要するに、お金の問題なんです。

園によっては、処理費用を保護者から徴収しているところがあります。

 

私は、保護者に負担を強いることはあまり望ましくないと思うので、やはり処理費用として補助金を国や自治体が出すべきだと考えています。

 

と同時に、自分たちでどうにか費用を捻出できないものかな、とも考えています。

ゴミ処理に一体どれだけのお金がかかるのか?業者といくらで契約しているのか?今ちょっとそれらが不明なんですけど、自己搬入すれば安上がりじゃないの?などと思ったり。

 

ちなみに、鹿児島市では、自己搬入の事業ごみは10キロ70円です。缶びんペットボトルなどの資源ごみは無料ですって。

処理場は車で20分くらいのところです。

最近、燃えないゴミは一袋600円となったんですが、めちゃめちゃ發ない?

燃えないゴミも自己搬入のほうが安いのでは?

 

 

ところで、先日、うちの子が珍しく幼稚園でうんちをもらしてしまいました。

もうオムツはしていませんので、オムツの持ち帰りはありません。

ですが、先生がおしりを拭いてくれた時に使用した使い捨てゴム手袋を持ち帰ってきました。

 

新聞にくるまれ、ビニール袋に入れてありました。

最初、何かわからなかったのですが、まぁゴミかと思い捨てようとしたら、うちの子が「先生からもらったんだよ」と言って捨てるのを拒否!(ウケるんだけどw)

え?と思って中身を確認すると・・・そのゴム手袋が入っていたんですよね。

ゴミじゃん。

しかも、どう考えたってこれ事業ごみやろ!!

 

ゴム手袋って、職員が使うものだし、園の消耗品でしょ。

うちの子のおしりふいたからって、それが仕事だし、業務によって生じた園のゴミやん。

 

と思ったけれど、もしかして、間違えて入れちゃったのかな?とも思えたので、後日それを入れた先生に確認。

わたし「何かわからなかったから、開けちゃいましたよ〜」

先生「あはははは」

あ、間違えたわけじゃないんだ。

 

おめぇのガキのケツふいてやったんだから、それ捨てといてなっ。

ってことなんですよね。

 

はい、すみません、ありがとうございます。


で、他の先生に確認したところ、

「えーっ、私は捨ててるけど??」ってことでした。

先生によって違うようです。

 

まさか、ゴム手袋までも家庭で捨てさせようとしてるわけじゃないですよね。

 

 

JUGEMテーマ:保育士

ルールを破ってよいとき

  • 2017.12.04 Monday
  • 18:28

熊本市議がルールを破って赤ちゃんを議場に連れてきたニュース、

ルールを決める場でいきなりルール破りとかヤバイでしょ、と思ったのだけど、

ネットではルール破りを正当化する意見でいっぱい。(もちろん反対の意見もいっぱい)

 

その中で、唯一納得できた意見は、

『緒方議員は一人会派なので、議会のルールを変更する場に出ることができない立場であり、事前に相談などしたが個人的な問題として取り合ってもらえなかったので今回のような手段で訴えた』

 

ホントにこれだけ、これだけだよ、私がそれなりに納得できる意見だと思えたのは。

その他の海外がどうだとか、それをいうのは卑怯だとか、次元の違う話だとかはルール破りを正当化する理由にはならないじゃん?

 

なるほど、ルール変更できる手段がない場合はルール破りもOKか。

確かにね、緒方議員はそれまでにいろいろと交渉してきたようで、詳しく経緯を知れば、いきなりルール破りというわけでもなかったようだし。

議論するために存在するはずの議員が、議会のルール変更の議論ができないなんて、もうパフォーマンスだろうがやるしかなかったんですね。

 

何事にも例外というのはありますからね。

本当に別のやり方はなかったのかな?という疑問は残りますが…。

社会的に許容できる範囲であり(人によるけど)、目的の方向性は大いに認められるものなので、こうも支持者が多いのだと思います。

 

私の意見はこうです。

 

まず、民主的な方法で決められたルールは守るべきである。

そして、ルールを変更するルールもまた民主的に、だれもが主張しやすく、議論されやすくなるよう整備するべきである。

 

そしてもちろん、子連れ会議OK派ではあります。

これは何もみんな子連れで仕事しようよと言ってるわけではないですよ、危険な職場だってあるし、子連れだと支障のある場合だってたくさんありますもんね。ま、いちいち言わなくてもわかることだろうけど、言っておかないと、そういうところつっこんでくる人いるから。

 

選択肢はたくさんあったほうがよい、ということです。

子連れ会議OKなだけでなく、託児所や保育園をだれもが気軽に利用できるようにすることが大事だと考えます。

 

今回の件は、単に「ルールに不備があった」ために起こったことではないでしょうか。

なのに、「ルールは守るべき」派と「子連れで仕事できるような社会を」派とで対立しているのは非常におかしなことで残念に感じました。どちらも間違っていなく、対立するようなことではないのでは?だからだろうね、「どちらも理解できる」とか「モヤモヤする」って感想や意見をけっこうみかけたのは。

 

赤ちゃん連れに厳しいのではなく、ルールを守ることに厳しい。

赤ちゃん連れを排除しようとしているのではなく、ルールを守ることの大切さを訴えている。

その違いを理解していないと危険なのではないかという気がしました。

 

まぁ私はルールを守ることに厳しいタイプなのかもしれませんね。

普段、PTAに対してルールを守れよと言ってるのに、どうしてこの件だけルール破りOKと簡単に言えましょうか。

 

私はルール破り正当化の理由をすごく考えて、一番最初に述べたような理由ならOKなのでは、という結論に達しましたが、どういうわけか、いわゆる著名人とか発言力のある方々がこぞって「海外は〜」とかその他納得いかない理由をガンガン発信してるんですよね。

 

なんかもう、赤ちゃん連れママの破壊力すごい、としか言えないような。

子連れ時代キターーー今だ〜突撃〜!的な。

 

ネット上では普段は憲法守れだのルールを守れだのという主張があれだけ多いのに、赤ちゃん連れ市議がルール破ったら途端にルール破りOK・・・どうなってるんですかね。←個人的に受けた印象ですけど。

 

おらおらどけどけ赤ちゃん連れが通るぞこらぁ〜的なのは誰も望んでませんよね?

そんなのは、ただの「弱者の横暴」ですから。

子育てしながらでも働きやすく、生きやすく、そんな社会を望んでいるんですよね。

多くの人が望むところは同じなのに、不要な対立が起きているようで、また言うけどホント残念。

 

ここぞとばかりにあの場にいた男性議員を汚い言葉で罵っていた人もいて不快に思いました。

緒方議員がおっしゃってましたが、通りがかった議員さんで、赤ちゃんににこっと微笑んでいかれた方もいらしたそうですし。

応援したいという気持ちを持っていた議員さんもいたんじゃないでしょうか。

 

あと、『ルールを破った人を全員許容するのか、というのは極論、0か1かではなく、0.1とか0.2とかを目指して議論するきっかけになればよい』という意見も、まったくそうだな、と感じました。

そうそう、これだよこれ、今回のことが議論するきっかけになって、早く赤ちゃん連れ会議OKになることが大事なわけですよね。

別にルール破りすべてOKだよって話じゃない。

 

 

ってことなんだけど、今回のルール破り正当化についての考えは少し整理しておきたいです。

 

ルール破りOKを正当化する理屈として納得いかなかったものを、なぜ納得いかないのか整理してみました。

まず、「ルールが悪いかどうか」と「ルール破りは正しい行為か」は分けて考えるべきと思う。一見、ルール悪けりゃ破ってもいいじゃんと思えるんだけど、じゃあその悪いって誰がどう決めるのよってちょっとややこしくなるんで。

 

◆海外では子連れ会議OKである〜の類。

だって海外はもう子連れOKのルールになってるんだよね。

で、それは時間かけて話し合ってそう決まったことなんでしょ。見習うならそこじゃない?

 

「海外で良さそうなことやってるよ、日本でもできそうじゃない?」ってのなら共感できるけど。

PTA問題でもこれくらい「海外では強制なんてないよ」とガンガン主張してもらいたいものですね。

 

◆「やり方が〜と言う人は卑怯だ」とかなんとかの類。

私にはまったく意味不明でした。

主張内容の正しさと、それを表明するための手段の適切さは別問題なのだから、後者の部分だけを批判しても何もおかしなことではないのでは?

やり方がまずいと指摘する人の中には、主張そのものは支持している人がたくさんいた。

卑怯と言う人がそこで思考停止させている点において卑怯であると思うのだけど、私は。

そんな人格攻撃的なこと言われてもね。

 

それとも、正しい主張を押し通すためには手段を選ばなくて良いということでしょうか?

PTAは本来は素晴らしいボランティア組織であるはずなのに、ズバリやり方が非常にまずいと私は常々思っています。

 

◆他人の生命の安全や財産を脅かすことがないなら、主張する手段がルール破りであっても良い。

これは、相模原事件のような場合を例として、ルールを破っての主張はダメだとする意見に対する反論。

程度の問題なんですかね?

迷惑レベルが低ければルール破りは正当化される?わけないじゃん。

 

でもまぁ、今回のは「この程度」だったから世間に受け入れられたってのがありますよね。

これが「私の主張を受け入れないから反対意見の議員を皆ぶっ殺した」という話だったら、世間はまったく違った反応でしょう。

なので、この意見はルール破りの正当化にはならないけど、ルール破りが世間に受け入れられた(大目に見てもらえた)理由としてはありだな、という感じです。

 

◆議会が40分遅れることより働く母親の立場が何十年も停滞していることの方が大変。

わたしは常々、他人の時間を無駄に使うことに鈍感であってはならない、と思っている人間です。

なぜって、自分の限られた時間をとても大切にしているから、他人の時間も大切にしたいと思うからです。

 

議会が遅れることも、ワーキングマザーの立場が停滞していることも、どちらも大変なことだよね。私はそう思う。

議会では、女性子育て問題だけを話し合うわけではないですよね。他にも長年停滞している問題はあるかもしれない。

議会の時間と、取り上げる問題の重要さ、って同列に比較できるものなんですかね?

問題の大小と、時間の長短を理由にしてのルール破り正当化はできないですよね。

 

「私の問題のほうが重要なんだから、私のために議会の時間をつぶしてもいいんです!」とならないでしょ。

 

でも、今回の件により議会が遅れたことで、ワーキングマザーの立場が少しでも良くなるのなら、無駄な時間にはならないことでしょうね。

「議会が40分も遅れるなんてとても大変なこととさも正しい事のように言っていたが・・・」という意見があった。

正しいでしょう。大切な議会の時間ですから。

 

自分だけの時間ではない、多くの人のための、大切な時間なのだから。

 

◆女性不可、黒人不可のルールがあった時代を持ち出す人。

なぜに女性排除、黒人排除を目的とした差別ルールと同列に語れるんですかね。

「議場に議員以外の者は入れない」というルールは特段おかしなルールとは思いません。赤ちゃん排除目的で作られたルールではありません。単に想定してなかっただけでしょう。

 

また、過去に正しい主張のためにルール破りをして社会を変えることに成功した事例があるからといって、じゃあ僕もやって大丈夫だよね、となるわけではないですよね。

 

差別された人たちが差別ルールと闘う、議会で話し合う権利を有する議員が議会のルールを破る、次元が違うというのはこういうことを言うのでは?

 

◆議論してルールを変えるべきという奴は、それにどれだけの労力と時間がかかるかわかってない。

ここまでくると、もはや緒方議員を本当に応援してるのかどうかわからなくなっちゃう。

「話し合いなんか時間かかるだけだから、強行突破だ!」え、乱暴ですね。

 

なんかもう、議会って何だろう?的な次元に突入しちゃってますよね。

議会において、時間と労力かかるって理由で話し合いすっ飛ばしていいわけないでしょうが。

日常的にそういう場面はあるかもしれないけれど。

 

それに緒方議員だって話し合いすっ飛ばそうっていう気はないですよね。妊娠中から相談し、いろいろ話をしたけど取り合ってもらえなかったっていう経緯があるんだし。

 

それに、「議論してルール変更」と主張は何も間違っていないし、労力と時間がかかるのもわかった上で主張しているんだと思いますけどね。

 

労力と時間を費やして、議会民主制を築いてきたのだよ。

人権とか選挙権とか民主主義だって、やっとの思いで手に入れたものじゃないんですかね。

それだけに、議会でルールを破るって、すごいことですよ。それだけの想いがあって必死に訴えたんですよね、緒方議員は。

 

『議論するのが仕事である議員が、議会のルール変更を議論することすらできなかった』それだけの理由じゃないですか、今回のルール破りを正当化できるのは。

 

 

そろそろ考えるのに疲れたので、このへんで終わります。

 

緘黙症により挨拶できない子

  • 2017.11.15 Wednesday
  • 15:39

ちょっと前に話題になっていた二つの話。

 

見た目ではわからない病気を抱えた女子高生。

体調悪くバスの優先席に座っていたら、

「ここはお前ら学生が座るところと違う!」と怒鳴られた。

 

聴覚過敏の子供に防音具としてイヤマフをつけていたら、

「小さい子にヘッドフォンで音楽聴かせて!会話しなさい!」と叱られた。

 

とにかく何かしらここぞとばかりに他人を批判したい人っていますよね。

優先席に女子高生が座っていたら、体調悪い人かな?としか私は思いません。

さすがに私も聴覚過敏については気が付かなかっただろうと思います。でも、見知らぬ他人にいきなり「会話しろ」と叱るなどという発想にはならないですね。あ〜音楽聞いてるのかな〜程度にしか思わない。

 

聴覚過敏の子とイヤマフ。

ひとつ勉強になりました。

本当に、知るということは大切ですね。

 

私はこの話を聞いて、自分の子供のころを思い出しました。

以前も書いたと思いますが、私は子供の頃、場面緘黙症でした。

家では普通に話せるけど、学校などで話せなくなる情緒障害です。

 

とにかく、毎日挨拶もできないものですから、

近所のおじさんにはよく叱られました。

挨拶もしない、しつけのなっていない、非常にマナーの悪い子扱いでした。

 

当時、場面緘黙症なんて言葉を知ってる人は周囲にはまったくいなかったと思います。

今でも、知らない人がいると思います。

 

だから、また言いますね。

しつけの問題ではありません。

話したくても話せない、言葉が出てこないんです。

自分でもどうしてそうなるのかわからずに怖くて苦しんでいるんです。

 

もし、緘黙症の疑いのある子に出会ったら、適切な対応をお願いします。

 

JUGEMテーマ:場面緘黙症

JUGEMテーマ:保育士

 

トイレへ行ってもいいですか?

  • 2017.11.09 Thursday
  • 13:24

もう就職したときからの違和感、

子供たちが皆「トイレへ行っていいですか?」といちいち許可をもらいにくること。

 

トイレくらい、好きに行きなさいよ、生理現象なんだから。

 

許可をとるように先生からしつけられているのだ。

小さい子が「せんせいトイレ〜」と言えば

「先生はトイレじゃありません、トイレに行きたかったら、トイレに行ってもいいですか?でしょ」と教える。

 

さらに驚いたことがある。

ある女の子が朝の会の時間に「先生トイレへ行ってもいいですか?」と言うと、

先生は「今はトイレに行く時間じゃありません」

 

え?

本気で言ってるのそれ?

先生は本気でした。

 

まだオムツだから別にもらしたっていいと思ってるんでしょうか。

確かに保育園では決まった時間に行きますが、それはその時間にするようにしつけているわけではなく、トイレトレーニングを進めるためじゃないですか?

せっかく自分から排泄したいと言えるようになったのに、行かせないってどういうことよ。

 

ただ、先生にも言い分はあって、

その女の子はいつもトイレで遊んでしまう子で、朝の会の前にトイレへ行ったばかりなのに、また行きたいというのはただ遊びたいだけなんじゃないか、と判断したようです。

 

でも、本当に排泄したいかどうかなんてわからないじゃないの。

 

トイレなんて好きに行けばいいとは言え、

子供の居場所を把握しておく必要はありますから、

トイレに行くときは「先生トイレへ行ってきます」と言ってほしいと思います。

 

 

先日、ある小学校教師が「トイレへ行ってもいいですか?」と言う児童に「ダメです」と言い、児童の困った顔を見て楽しむということが問題になっていました。

 

そもそも、トイレへ行くのに許可とる必要ないよ。

大人の社会では、状況によっては許可の必要な場合もあるかもしれませんが、まずダメということはないでしょう。

子供にそんな許可をとるよう教えて、何の教育的効果があるんですかね?

 

とはいえ、常識的に育てば、このようなしつけをされてきた子供たちも、大人になれば普通に「ちょっとトイレ行ってきます」と自由にトイレに行ける人間になるんでしょうけど。

 

 

余談ですが・・・、

私は三人目の出産のときに、助産師さんが出かかってる赤ちゃんの頭を押さえながら「ダメダメ、まだ出さないで〜!先生まだきてないから!我慢我慢!」と言われました。

 

無理ですから!!!

 

 

JUGEMテーマ:保育園

JUGEMテーマ:保育士

 

みんな一緒教

  • 2017.10.30 Monday
  • 12:39

先日、うちの子だけ私服で集合写真を撮影したら、保護者から「なぜみんなに制服を着せないのか」といったクレームがきたという話を書きました。

 

そして、生まれつき茶髪の女子高生に学校側が黒髪を強要したというニュースが世間を騒がしております。

それをきっかけに、ネットでは似たような話がうじゃうじゃ出てきていて、私の幼稚園の制服問題なんてすごくちっぽけ過ぎる感ありますが、根っこは同じ問題ですね。

 

みんな一緒教がこんなに蔓延してるとは。

改めて驚きです。

 

このニュースに関しては、真相はよくわからないですが、

テレビに出てた教頭先生が、白髪混じりチリチリM字ハゲでノーネクタイで肌着見えてる、というお姿だったので、髪型にも服装にもかなりゆる〜い学校に見えてしまいましたね。とても生徒を不登校になるまで追い詰めた厳しい学校とは思えないような。

確かに見た目の印象って大事ではありますね。

でも最も大事なのは人権でしょう。

 

この学校では、例え金髪の外国人留学生であろうと黒に染めてもらう、そうですが、完全に狂ってる。ヤバすぎですよね。

 

髪の毛の色についての私の考えは、

地毛だろうが染めてようが、髪色はなんでもよい

です。

市役所行って受付の人の髪の毛がピンク色でも別にかまいませんね。

 

とにかく、人権感覚に乏しい社会なのだということがよくわかりました。

保育園でもクレヨンのうすだいだい色のことを「これは肌色です」と教えている先生います。

もう、肌色と言わず、うすだいだい色とかペールオレンジなどと呼ぶようになって何年も経ってると思うのですが、現場では今でもこうなんです。

 

まぁクレヨンの色などは、私もたまに肌色と言ってしまうんですが、

教える場では絶対使わないようにしています。

 

時代はどんどん変わっていきます。

子供に関わる人たちは特にですけど、時代感覚、人権感覚を磨いていかないといけないわけですよ。

私も常に勉強です。

 

今回のニュースを機に、

学校のおかしな校則や、社会のおかしなルールを見直していけたらいいですね。

 

 

↓以下雑談。

 

以前にもどこかで書いたけど、

外国の先生から「日本人はほとんど同じ肌の色、黒髪、黒い目で生まれてくるから、人間は生まれつき違うのだということが感覚的に理解しづらいのではないか」と言われたという話。

 

金髪から黒髪、目の色も肌の色も様々な人が暮らす国では、髪の色なんて何色だろうがどうでもよい話でしょうね。

全員黒髪にしろとか、実にくだらない、そして大変な人権侵害であることは明白ですよね。

 

髪の色によって、真面目そうだとか不真面目そうだとか、それってそう思う側の思い込みでしょ。

 

歯のない人は信用するな。という言葉をむかしよく言われました。

歯がない=身なりを気にせず生活習慣が乱れている=性格がだらしない=金銭にもルーズ

という連想ゲームのような感じです。

 

刺青とかでもそうなんだけど、

あの人刺青してるから怖いヤクザかしら?とか。

本人はただのファッションのつもりでも、周囲がそういう目で見てしまう。

 

私がお水業界にいたころは、化粧しろ、髪は明るくしろなどと言われましたが、

私は薄化粧に黒髪ストレートで押し通しましたね。

そしたら性風俗のスカウトマンによく声をかけられるようになり、なぜ私に声をかけるのか聞くと、

「黒髪は貴重。真面目そうに見えるので業界で人気がある」というのです。

意外な自分の商品価値に気付くwww

 

そういう目で見る人がいるから、自分はこうしよう、

または、

そういう目で見る人もいるけど、自分はこうしよう。

 

どちらでもいいけど、

自分を表現することは自由であるべきよね。

 

最後にひとこと、

学校は、髪の色なんかより、

頭ジラミの流行をどうにかしろ!

 

 

教師の厳しい叱責により

  • 2017.10.21 Saturday
  • 21:11

教師の厳しすぎる叱責により、尊い命が失われました。

お悔やみを申し上げます。

 

私はこのニュースを聞いて、自分の長女のことを思い出しました。

もしや、自殺した中学生は発達障害の疑いがあったのでは?と思っていたら、やはりそのような記述がありました。

 

私の長女も、発達障害なのでは?と疑っています。

 

携帯電話や家の鍵をなくす、かばんをバス停に置き忘れる、間違って他人のかばんを持ち帰る、大事なテストの日を間違える、買い物行って買ったものを忘れて帰る、手先の不器用さ・・・などなど。

こんなことがしょっちゅうで、警察沙汰になったことも二度あり、さすがの私もキレることしばしば。

 

そして長女が高校生のとき、彼女は部活の顧問の先生から非常に厳しい叱責を受けました。

叱責というか、ただ怒鳴り散らしているだけ、という印象でしたが。

 

大部分は忘れてしまいましたが、とにかくボロカスに言われたということは覚えてます。

「みんな迷惑しているから部活をやめろ」

「あなたは人とかかわらないような職にしか就けない」

というような内容だったんですが、人格攻撃が激しいものだったと記憶しています。

 

そのため、長女は「じゃ、やめます」と言って部活やめてきました。

好きで入部した放送部で、周囲からの推薦もあって部長を務めていたのですが、「そこまで言われて続ける気はない」とあっさりしたものでした。

 

当然、私はショックだったので、すぐさま学校へ電話するわけですが、

その顧問の先生は電話に出るなり、

「すみませんでした、まさか本当にやめるとは思わなくて、励ますつもりで・・・」

 

どこが励ましなのかさっぱりです。

将来の進路のことまでボロカスに言われて、指導でも励ましでもなんでもありませんでしたよ。

 

でも、先生を擁護する気はまったくありませんが、

発達障害なのではと疑っていた長女が何かやらかしたのだ、ということは容易に想像できました。

 

部活でのスケジュール管理のできなさがきっかけだったようです。

あ〜と思いましたね。そういうの、できないんです、彼女。

そういう人が部長なんて、そりゃ無理だわと内心思いました。

 

そして、この際はっきりさせよう!と思い立ち、

発達障害支援センターに相談し、小児精神科で検査してもらいました。

ところが、結果は「診断名をつけるほどではない、そういう性格です」

 

またこうも言われました。

「その子と親をみて、診断名をつけるかどうか決めることもある」

 

ボーダーにある場合は、その子の困り度次第で支援が必要かどうか決めるそうです。

確かに、長女本人は困ってないんです・・・困ったことに。

まぁ私自身も、もう彼女の特性を受け入れている頃でしたから、どっちでもいいやという感じでした。

 

そしてそこで心理カウンセラーの先生からこう予言されます。

「こういう子は、入れるからと選んでも(看護科志望でした)、実習でつまづいてやめる子が多い」

 

長女は成績は良かったので、難関大の医学部に合格し、看護師を目指すのですが、

実習が始まり、周囲から厳しく叱責される日々が続き、「やっぱり私おかしいかも、もう一度検査しようと思ってる」と連絡があり、それがいいと私も賛成したのですが、しばらくして、「精神的にもう限界だから大学やめさせて欲しい」とメールしてきたのです。

 

予言通りの結果となりました。

 

私が驚いたのは、私や顧問の先生があれだけキレても、ケロッとした表情で気にもしないタイプの子だったのに、そんな子が「精神的に限界」と言ってきたことでした。

 

もう二十歳の大人になっていたし、本人がそう言うならしょうがないと退学を承諾しました。

逃げたいときに逃げられるっていうことは、良いことだとも思いました。

 

もしあのとき、発達障害であると診断されていたら、また結果は違ったのではないかと思っています。

国立大学では、発達障害者への配慮義務があるので。

まぁ長女は発達障害ではなく単なる性格、という診断だったのですが。

 

そしてもう一例。

昨年、小学生の次女が帰宅するなり「先生が怒鳴ってすごく怖かった」と言ってきたことがありました。

この件についても学校に電話し(他にも用があったので)、「うちの子がすごく怖がってました」と伝えました。

 

次女の友達で、近所の子なのですが、何度も何度も宿題を忘れる子がいます。

何度注意されても宿題をやってきません。

なので先生がついにキレたようです。

普段とても優しい先生なので、よほど腹が立ったのでしょうね。だからといって感情的に怒鳴っていいわけではないですが。

 

その子は宿題だけでなく、友達との約束も守れません。

うちの子も何度も約束をすっぽかされ泣きながら帰ってきたことがあります。なのでその子とは約束をせず、たまたま遊べたら遊ぶというルールを作っています。

 

先生も家庭訪問を何度かしているようですが、まったく改善されません。

私は発達障害の可能性ありなのでは、と気にかけてます。

学校ではすでに問題児として「有名人」だそうです。

中学生になればもっと厳しい先生はいそうだし、心配してます。

 

なんでもかんでも発達障害で片づけようというのではなく、

もしかしたらそういう可能性もあるかもしれない、ということを念頭に置いて指導にあたるべきではないかと考えます。

その前に教師に発達障害についての知識がないとダメなんですけど。

(感情的にキレたり怒鳴り散らしたりは論外)

 

どうか、学校が誰にとっても安全で安心できる場所になりますように、心から祈ります。

保育士は誰にでもできる仕事かもね

  • 2017.10.19 Thursday
  • 14:09

先日から話題になってますが、

「保育士は誰でもできる仕事だから給料が上がらない」説。

 

「保育士は誰でもできる仕事」が事実としても、

「だから給料が上がらない」のは違うと思う。

 

なぜ給料が上がらないかについては、駒崎さんがズバリ書いてる通りだと思います。

保育士は「誰でもできる仕事」か

 

 

以下、くだらん愚痴です(^o^)

 

同じ仕事内容の保育士でも、公立の保育士は給料高いじゃん。公務員だから。

そんなん言ったら、公務員だって、誰でもできる仕事じゃん。

 

なんか、

「保育士は誰でもできる仕事」って言葉に反応する人多すぎと思ったんだけど、

ぶっちゃけ、そこ、どうでもいいです。

 

そんなの人によって違っていいところでしょ。

能力高い人からしてみたら、どんな仕事だって「誰にでもできる仕事」でしょうから。

そんな人に「ためしに一か月保育士やってみろ」と言ったところで、実際やったらそつなくこなしちゃうかもですよ。

 

まぁバカにされたように感じるのはわかりますが。

世間では、保育と育児(誰もがやってきた)を混同してる人は多いだろうし、そこを変えていくのが今後の課題だね。

育児の延長程度の保育士だって実際いるし、でもどんな職場でも個人のレベルには差があるもんでしょ。

 

昔、水商売やってたときも、

「キャバ嬢なんて誰にでもできる仕事」って感じがありましたよ。

中卒の女の子多かったですし、「バカでもできる仕事」みたいな感じで見下す人たくさんいました。

実際、学歴なくても資格なくても、お酒飲めなくても、オッサンとお話できればいいので、保育士よりもはるかに「誰にでもできる仕事」になるんじゃないですかね。やりたいかどうかは別として。

簡単な面接受けて即採用されちゃいますしね。

働いてる人口も、保育士より水商売人のほうが多いんじゃないですか?

 

誰でもできる仕事だけど、

給料とっても高いです!イェーイ♪

頑張り次第でどんどん上がっていきます♪

(仲間内では「我々の時給が高いのは慰謝料込だから」なんて言ってましたが)

客単価高いからね、良い女の子集めるためにも時給は高くなくちゃね。

 

保育士だって、補助金増やして人件費に充てればいいのよ。

こんな頑張ったのに給料これっぽっち・・・そりゃ心折れるわ。

 

 

あとさ、

「子ども好きでないとできない!」ってのも、なんか違うと思う。

大して子供好きじゃなかったけど保育士やってる人もいるから。でも保育士として無能なわけじゃない。

あれだね、良い母が良い保育士になれるわけでもない、良い保育士が良い母になれるわけでもない、ってやつ。

そもそも、それこそ「誰でも子供好きじゃん」と言えちゃう。

 

大体、好きなことを仕事にしてる人って世の中どれだけいるんですかね。

 

で、「子ども好きなだけじゃできない!」ってのは、その通りなんだけど、

それはつまり、子供が好きかどうかに関わらず、別の能力が求められてるってことなのよね。

 

子供が好きかどうかのレベルの話じゃなくて、「保育士の専門性とは?」みたいなことがもっと話題にならなくちゃいかんよね。

 

ホリエモンの以下の発言には激しく同意するわー。

「当たり前のこれまでをなんら改善しようとしないからダメなんだよ。例えば壁の装飾とか本当に必要?とかね。IT化も遅れてるしな」

 

ホントにそう。

働き始めたころから同じこと思ってた。

 

保育園って、やることなすことアナログ、ローテク、時代錯誤なことだらけなんですよ。

最新なのはパソコンだけ。

とにかく非効率的で無駄な仕事の多いこと多いこと。

そして変えようと思っても、上司がイエスと言わなければ、なーーーーんにも変えられないw

(新しい事提案してもすぐ否定から入るから物事進まない)

 

この前、雑巾手縫いさせられましたよ。

そして雑巾足りないから来年度から各家庭に雑巾提出してもらうって。おーーい。

ダイソーで雑巾3枚108円ですよー。

 

タイムカードもないし、シフト作成もパソコン使わず地道に手作業。

とにかく書類仕事は手書きが基本。

ハイスペックなパソコン置いてるのに、宝の持ち腐れ。

 

ってこと書いてたら、てぃ先生がいいこと言ってた。

ちょっと待って。保育士の不満は"給料ではない"。

 

これまた書いてる通りだわ〜。

あ、でも給料も不満ですから。

 

ホント、めちゃくちゃ安いですよ。

常勤、非常勤の時給はすき家のバイトと同じです。

 

非常勤の私ですらたまに持ち帰り仕事ありますからね。

少しでも担任の先生の負担を軽くしてあげたいから、休憩時間も無給で働きます。

 

私はまだ休日に本を読んだりする時間がありますが、正職の先生たちはそんな時間なんてないでしょうね。

そういう状況なので、知識や専門性を高めるなんて二の次になってると思います。

次から次へとくる行事やイベント。日々の業務をこなすのでいっぱいいっぱい。

 

みんなで声をあげて、このような状況を早急に改善すべきだと思います。

PR

calendar

S M T W T F S
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
<< May 2018 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

recent trackback

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM