スポンサーサイト

  • 2023.12.12 Tuesday

一定期間更新がないため広告を表示しています

  • 0
    • -
    • -
    • -

    なぜ教師は世間知らずと言われるのか

    • 2021.06.27 Sunday
    • 19:55

    世間知らずな人なんて、どんな職場にもたくさんいる。

    教師がそのように言われることが多いのは、単に世間知らずであることが露呈しやすい環境にあるからではないか。

    公立学校には本当に様々な職業や生活環境の保護者がいて、教育を通してその人たちと深く関わることも多いので、それぞれの「世間」とぶつかるのは当然だと思う。

     

    世間知らずとは、単に知識的なことではなく、世間とは、社会とはどういうものか、どうあるべきなのかという「認識」の問題であると思う。

     

    「社会経験が乏しい」からとよく聞くが、そうじゃない。

    「社会認識が浅い」んだと思う。

     

    世間知らずと言われて、これまでの職歴などドヤ顔で披露される方もいらっしゃるようだけど、そういった社会経験そのものはどうでもよく、そこからどのような知見を得て、価値観を築いてきたのか、それらをどのように子供たちに還元していくのか、ということが最も重要なわけです。

     

    どんなにいろんな職業体験をしてきたとしても、そこから学んだことが浅ければ意味がないわけです。

    逆に、多様な職業経験がなくとも社会認識の深い方というのもいらっしゃるわけです。

     

    ちょっと一般とは違う家庭環境にある子供や、社会的に困難を抱える子供を目の前にしたときなどに問われるのがその教師の「社会認識」であり、力量を試されるときじゃないでしょうか。(学習指導ももちろんですが)

     

    なので、画一的な人間観とか家庭観しか持ち合わせてない教師だと、とんでもない人権侵害を平気でやっちゃったりとか、心無い言葉を平気で使ったりしちゃうんだよね。

     

    最近も「挨拶や返事をしない子」について「学校はそういった極例を育てるところではない」などという薄っぺらい発言をしている教師を見かけましたが、そういうところが私は「世間知らず」だと思うんです。

    これについては場面緘黙の話をまたいつかしようと思うので、その時にでも。

     

    多様な子供や家庭を相手にする職業だからこそ、社会認識の深さが必要となる。

    とは言え、最初からいきなり思慮深く知見が広い教師なんていないと思います。プロ意識があれば、教師というのは十分に社会認識を深める機会に恵まれた職業であると思います。なんせ様々な子供や保護者を知ることができるのですから。そこから見える社会の姿をどう捉え、何を学んでどう還元するか。

     

    教師とは、教える職業ではありますが、実は「学ぶ職業」であると思います。

     

    同窓会会長から返事がきました。

    • 2021.06.24 Thursday
    • 17:26

    先月、入会してもないのに同窓会入会費を引き落とされることについて、学校に意見しました。

    卒業アルバム購入と同窓会入会も任意です

     

    その返事がきました。

    そもそも、同窓会会長の意見など必要はなく、校長が「入会の意思確認をしてから会費を請求してください」と同窓会に言ってしまえばよいことなのだけどね。

     

    で、会長さんの「お子様の意思を尊重なさってください」というお言葉。

    尊重していないのは、あなたたちなんですけども(笑)

     

    以前から思うことですけど、善良な方々って、指摘されても自身の加害行為には気付かないんですよね。もしくは認めない。

    善良な自分がまさか加害側だなんて微塵も思わないの。

    私は善良ではありませんが(笑)、気付かないうちに誰かを傷つけたり、他人の権利を侵害したりしてるかもしれない。そういうことはいくらでもある。

     

    間違いを指摘されて、まとな感覚なら「そうだったんだ!だよね!ごめんね!今後気を付けるね!」って流れになると思うんですよ。麻痺した感覚の人はそこが違っていて、おかしな返答してくるでしょ。なぜかポエム付きだったりとか(笑)

     

    この会長さんも、校長も、入会してもいない同窓会の会費を引き落とそうとしたことを謝りもしないでしょ。100円だしね、大したことではないと感じているんでしょうね。わかるよ、私自身、細かいことかもしれないけどって思うもん。いちいち意見するの疲れるしね。

     

    でも、そんな細かいひとつひとつのことが積み重なって、大きな問題につながっていく。

    小さなことからひとつひとつ解決していかないといけない。

    私にできることは、地方の一学校に意見するくらいだけど、それでも、それがすごく大事なんだと今はわかる。

     

    話変わるけど、

    この会長さん、市議会議員でした。また議員かい(-_-;)

    でも、以前から知ってはいる人で(知り合いではない)、すごく気のいい近所のおじちゃんといった感じです。

    人はいいんでしょう。

     

    PTAの中の人だって、善良な一般市民なんですよね。

    その善良な人々が善良でいられるのは、村の掟に守られたコミュニティの中だけ。

    掟を破るものが現れたとたんに豹変する。

     

    この会長さんは、豹変しなかっただけ良識のある方なんだとは思うけど、今後の動向次第ではまたお手紙を書くことになると思います。

    令和3年度ブラック校則の情報公開請求

    • 2021.06.22 Tuesday
    • 18:16

    鹿児島市内の中学校の校則が届きました。

    令和2年度の校則と今年度の校則を比較しました。

    県議会でも話題になっていましたし、教育委員会青少年課も頑張ってくれたみたいで、「下着は白」という表現はほとんどの学校で削除されていました。

     

    言われたからとりあえず消した感がすごいです(笑)

    新たに「マスクは白」という決まりが増えてる学校もあり、全然わかってなくてもう苦笑。

     

    多くの学校が「華美でないもの」「透けないもの」といった表現に変えていました。もう下着のことにあれこれ口出して欲しくないです。気持ち悪さしか感じません。

     

    髪型のほうでも変化がありました。「ツーブロック禁止」という表現がかなり減っていました。一方で女子の「ポニーテール禁止」「耳の下で結ぶ」という校則は変わらず残っていました。

     

    そして、長田中の「県下で最初に中学生らしい髪型を制定しました」と自慢げに書かれていた文書がなくなっていました。あらら(笑)賢明なご判断ですね。黒歴史でしかないですからね。

     

    さて、青少年課に電話するか(笑)

    卒業アルバム購入と同窓会入会も任意です

    • 2021.05.29 Saturday
    • 14:51

    先日、中学校から学年費の内訳プリントが届きまして、見ると「卒業アルバム代」と「同窓会入会費」がありました。どちらも申し込んだ記憶がありません。

     

    学校のHPにお問い合わせ用のフォームがあったので、そこから問い合わせました。

    「アルバム購入と同窓会入会は任意だと思うのですが、意思確認はされたのでしょうか」と。

    数日後に学校からメールで返信がありました。

    良いですね。回答も早いですし、今後は意思確認するとのこと。

     

    ただ、同窓会会長と協議中というのは気になります。

    意思確認方法について協議ということならわかるのですが。

     

    後日、どのような連絡がくるか楽しみです。

    ブラック校則の情報公開請求

    • 2021.05.25 Tuesday
    • 18:17

    ホント気まぐれ更新だな〜(笑)

     

    昨年度、全鹿児島市立中学校の服装規定に関する校則の情報公開請求をしました。

    Twitterのほうを参考にどうぞ。

    で、今年度もまた請求しました、昨日ね。

    昨年度のものと比較し、どの学校がどの程度変わったのか報告したいと思ってます。

     

    昨年度はいろいろと県議会や教育委員会に動きがあり、「下着は白」の校則は廃止する流れとなっています。

    あと、男女混合名簿になったりね。

    かなり良い展開が続いています。

    でも問題はまだまだ山積みです。

    この調子でどんどんいこう。

     

    以上です。

     

    JUGEMテーマ:学問・学校

    学校にクレーム入れるときは文書で

    • 2019.05.08 Wednesday
    • 10:19

    まずはこの大久保准教授の一連のツイート、各方面からのリプも読んでもらいたい。

     

     

     

    私自身はリプの隅々まで読んだわけではないが、非常に面白いやり取りだと思った。

    ちょっと簡単に説明しちゃうけど(微妙に違ったらごめん)

     

    大久保准教授のお子さんが、担任から手を叩かれた。

    校長先生へ内容証明で(実際は書留だったみたい)でお手紙を書いた。

    内容は、体罰ダメだよね、事実確認お願いね、事実だったらどう対応するのか教えてね。って感じ。

     

     

    この行動について、教員からの批判がすごく興味深かったの。

    担任すっ飛ばしていきなり管理職へ文書を送るとは!ってやつ。

     

    え?それの何がダメなの?

    悪さを保護者に報告されたクソガキが「いきなり父ちゃんにチクるなんて!」っていうのと同じ感じ?

     

    どうやら、「子どもと担任との信頼関係にヒビが入る」という理由らしい。

     

    ぷwww

    それマジで言ってんのー?って思わず言いたくなりましたが、

    本当に真剣にそう考えて言ってる方をバカにしてはいけませんね。

     

    信頼関係をぶち壊したのは先生でしょ。

     

    親と子供はまったく別の人間ですよ。

    親の行動次第で子どもへの対応が変わる、と脅してるわけですね。

    子どもと良好な関係を維持してほしくば、おとなしくしてろ、と。

     

    教員の本性というものが見えた気がして、恐ろしくなります。

     

     

    この他にも、的外れな批判が数々ありました。

    問題とされた点を整理します。

     

    ○いきなり管理職に

    ○内容証明で

    ○子どもが嘘をついている可能性

    ○叱られるようなことをした子どもの非

     

    誰に対して、

    どういうやり方で、

    が論点でした。

     

    子どもの嘘もしくは事実誤認の可能性については手紙でも言及されており、そのための事実確認のお願いなのです。

    そして、叱られるようなことをした子どもの行為については論点ではなく、体罰の是非とは無関係です。子どもが悪いことをしたなら適切な方法で指導する、それだけのこと。それについても手紙内で言及されていますね。

     

    賛否両論でしたが、私の考えはこうです。

    「いきなり管理職」は間違っていません。

    内容証明でも、そうでなくても別にかまいません。

     

    伝えたい内容が、伝えたい人に伝わればよいですし、

    体罰は組織として対応すべき重大な人権侵害行為です。

     

    なぜ、やり方や段取りなどにそこまでこだわるのでしょうか?

    馬鹿馬鹿しいと思います。

    そんなにやり方にこだわるなら、民間企業のように、お客様相談室みたいなクレーム受付窓口を設置し、専門の相談員を配置したらよいでしょう。

     

    私が以前小学校で、担任に司書教諭へのクレームを伝えたときは、担任は管理職にきちんと報告してくれました。

    そのときは私は担任に手紙を書きました。別に校長でもよかったのです。どちらでもよかった。

     

    ちなみに、体罰の事実があれば、

    私なら、

    容赦なく警察へ届け出ます。

    例え受理されなくともね。

     

    って、前回の記事でも書きましたね。

     

    腕を引っ張る、

    服を引っ張る、なども暴行罪です。

     

    とあるニュースで言っていましたが、

    体に触れなくても、大声で相手を威圧する行為は刑法208条の「暴行罪」に問われる可能性がある。

     

    え?それって体育会系教師とかヒステリック教師とかがよくやってません?

     

    手を叩くなどは紛れもなく暴行罪。

    そう体罰などと言っているが、暴力である。

     

    傷など残れば傷害罪。

     

    そんな認識もなく、

    学校は治外法権状態。

     

    問答無用で警察でいいです。

    話し合い?何のための?

    警察沙汰は勘弁してくださいという示談交渉ですか?

     

    教育公務員に教育的配慮など無用です。

    過激なことをするヤバイ保護者と感じる人もいるでしょうが、

    公務員が違法なことをするのがヤバイのです。

     

    公務員が違法なことをしなければいいだけなんですよ。

     

     

    さて、警察へ届け出るというのは、あくまでも私ならば、というお話です。

    他人に助言するとしたら、

    やはりまずは学校へ文書で伝えることをお勧めしますね。

     

    相手は担任でも、校長でも、教育委員会でもかまいません。

    書いた文書はコピーをとっておきます。

     

    電話でもきちんと録音し、記録をとっておくことが大事です。

     

    私が考えていることはこういうことです↓

    その外部機関が現状では警察であるということです。

    ま、実際には、手を叩くや腕を引っ張る程度の暴行では警察も被害届を受理しないと思われます。特に鹿児島県警は。

     

     

    教師というのは職業です。親は職業ではありません。

    親と教師を同列に語る人がたまにいますが、

    親子の信頼関係と、教師と児童の信頼関係は比べようもありません。

    教師との信頼関係が壊れようが、警察でかまいません。

    教師は自らの違法行為に対し潔く責任をとる姿を、教え導くプロとして身をもって示しましょう。

     

    中には親子関係が破綻していて、教師のほうが親より信頼できるという子もおろうかと思います。

    親が信頼できない場合は往々にしてあることであり、次に身近な大人である教師が信頼に足る人物でなければいけません。

    学校は子どもを守る機関として機能せねばなりません。

     

     

    最後に、教員垢の発言を少し紹介します。

    この方はまだプロ意識がおありのようです。

    努力はしたけどやっぱりできませんでした、なんてことはダメですよ。

     

     

     

    だそうです。教師は子どもを見なくなるそうです。そりゃダメ教師ですね。

    ですがダメ教師の割合は少ないそうです。(私もそう思います)

     

    体罰って、普通の教師の失敗とかいうレベルの話じゃないです。

     

    どうやら、以前もどこかで書いた気がするけど、

    「教師だって人間なんだから失敗もする」という言い訳が共通して出てくるようです。

     

    教師も人間、失敗もする。その通りです。

    最初から人権意識がハイレベルな人なんてそういません。その都度学んで成長していくんです。

     

    ですが、体罰は明確に禁止されている行為であり、

    自分の意思で、確実にやめられる行為です。

    感情のコントロールがきかず、衝動的に暴力をふるう人は教師の資質以前の問題ですね。精神科行ってください。

     

    JUGEMテーマ:学問・学校

     

    登校拒絶

    • 2018.09.25 Tuesday
    • 15:30

    今日からうちの小学6年生の次女が、学校へ行くのをやめます。

    不登校とは少し違うかも、「絶対行かない」という強い意志があり、登校拒絶です。

     

    これは、怒りの抗議です。

    先週末、うちの子はすごくショックを受けて帰ってきました。

    やってもいない罪で先生から叱られた、というのです。

    それが原因で、「もう学校へは行きたくない」と言いだしました。

     

    なぜそうなったかというと、友人二人に陥れられたのです。

    罪を被せられたのです。

    私が親だからうちの子が正しいと思い込んでいるわけではなく、これまでの情報から客観的に判断して、冤罪なのです。でも情況証拠にすぎません。

     

    その友人二人とは、ここ数年ずっとトラブルが絶えず、うち一人とはプライベートでの付き合いを一切断っていました。学校でも、うちの子から話しかけることはありませんでした。

     

    低学年の頃から、繰り返し繰り返し私に相談してきては何度も関係修復を図ろうと頑張ってきました。

    もう限界でした。本人も私も。

     

    これが友人トラブルだけで終わらず、先生が真実を確かめようともせず、うちの子をやってもいない罪で人前できつく叱った、ということがどうにも許せません。

    信頼関係とは、一瞬で崩れるものですよね。私も気を付けよう。

     

    今となってはもう真相などわかってもらおうとは思わないし、どうでもいいです。

    みんな我が子を信じたいでしょうし、先生もみんなを信じたかったのでしょうし。なぜかうちの子のことだけ先生は信じなかったようですが。

     

    例えうちの子が許しても、私は許しません。

    彼らを嫌いになることはないし、憎みもしないし、責めたりもしませんが、許しはしません。

    私は牧師でも神父でもないし、罪を許したりはしません。

    許せない人たちと共存していく、それだけです。

     

    校長先生は、「イヤな人間関係はこれからもたくさんある。それから逃げないことを学ぶのも学校です」とおっしゃいました。確かにそうかもしれません、そういう学びもあるでしょう。

    でも、そのような正論が弱っている人間をどれだけ追い詰めるのか、考えてみて欲しいです。

     

    逃げてもいい。助けを求めてもいい。関係を絶ってもいい。

    嫌な人間と無理に仲良くする必要などない。

    そのような学びが今のうちの子には必要です。

    学校に行きたくなくなるほど何年も頑張ってきたのですから。

     

    制服制度

    • 2018.07.10 Tuesday
    • 19:24

    ちょっと前に、私、こんなつぶやきをしたんですよ。

    下着の色指定や、体育時には肌着つけないなどのブラック校則について。

    そしたらですね、とんちんかんな脳内変換をされる方がおられて、

    どうやら「制服制度を否定している」と思われたんですね。

     

    否定も何も、制服が実は任意なのは私の個人的見解ではなくて、事実なんですよ。

    で、ツイッター上ではただの一度も私の制服に対する考えは述べたことない。

    (幼稚園で制服強要された事実だけは話したけど)

     

    そこで、私が学校の制服についてどう考えているかを一度述べておこうと思います。

     

    私は制服不要派ですが、必要と考える人も多いでしょうし、私が反対したところで学校の制服制度がなくなるわけではありません。なので、制服制度を以下のようなものにすればベストだと考えています。

     

    ○制服か私服かを選べる。(本来は選べるんだけども)

    ○制服のデザインが豊富。(男子もスカートはけたりとか)

    ○無駄な刺繍など要らないので、安くすべき。(ブラウス等は市販品でもよい)

    ○靴下や靴など小物まで指定しない。

     

    私立でしたらアルマーニ制服が自慢の園や学校があってもいいわけです。

     

    制服あってもいいかな〜と思うのは、やっぱり貧乏だと、ダサい服とか親戚のお下がりとかしかないから、制服のほうが余計なこと考えなくてすむかな、って個人的な体験からです。

     

    ま、制服ないならないで、私なら毎日ジャージ登校してただろうな。実際に中学の頃は体操服登校していたし。(怒られたけど)

     

    あってもなくてもいいけど、誰かに制服を強制するのはダメなんですよ。

    今のところ、ほとんどの中高生諸君は誰かに強制されて制服着てるなんて認識はないんじゃないの?

    別に苦痛じゃなければ着ればいいさ。

     

    あの海外のピアスして髪染めてる子供たちへのインタビュー見ましたか?

    「なぜ?学校は勉強するところよ。着るものやファッションなんて関係ないじゃない」

    そ、そうですね・・・おっしゃる通りです。

     

    とにかく、制服なんて、「毎日着るものに悩まなくていい」「仲良しさんと毎日お揃いの洋服♡」程度のメリットしかないですね。

    帰属意識とか規範意識とか、制服でそれほど効果あるとは思えませんが、探せばきっと何かしらの教育的根拠がみつかるのではないかな?制服ある学校のほうがない学校よりもなんちゃらかんちゃら〜とか。

     

    どのみち子供に制服着用を義務付けてもよいという法などないので、結局は「個人の自由」でどうぞ、となりますね。

     

     

    私が勤める保育園に、神村学園の実習生さんが来たんですけど、私好みの可愛い制服着てるんですよ。

    「うわ〜可愛い〜」って同僚の先生に言ったら、その先生も神村学園の出身だったそうで、「可愛いですよね、私はあのデザインは買わなかったけど」って言われて、思わず、え???

     

    デザインを選べるんですかぁ〜〜〜???

     

    調べてみたら、なんと、想像以上に選べたw

    すごい。私立って、どこもそんな感じなんですか?

     

    神村学園の制服コレクションを眺めながら、うーん、もう少しバリエーション増やして欲しいな、男子もスカートはけるようになってたらいいな、とかいろいろ欲が出てきましたw

     

     

    制服もPTAも任意。この事実が「制服なくせPTAなくせ」に聞こえるのは一体なぜなんでしょうね。

     

    JUGEMテーマ:学問・学校

    制服強制事件

    • 2018.05.19 Saturday
    • 22:53

    17日朝、私はなんとも言えぬ感情に襲われた。

    これは怒りなのかわからぬほどの怒りで身体が震えた。

    私は何に対してこんなにも怒っているのか?

     

    これまで幼稚園の先生の言動や対応におかしいなと思っていたことはいくつかあった。

    例えば、

    先生から「制服着なさい」と息子が言われたこと。

    先生から「わたしじゃなくてボクでしょ」と息子が一人称を直されたこと。

    承諾なしのテレビ撮影。

     

    給食の無理強いもありましたね。

     

    そして今朝、息子のクラスの集合写真を見て、フォーマル私服を着せたはずの息子が幼稚園の制服を着て写っていることに気付いた。

     

    手が震えた。

     

    それのどこが?そんなことで?と思われるかもしれないが、そもそも私は制服が大嫌い。

    私にとっては、イスラム教徒に豚肉を食べさせるくらいのあり得ないことで、個人の尊厳を著しく傷つけることだった。

     

    ここに至るまでにはちょっとした経緯がある。

    まず、この認定こども園では、制服は1号認定児のみで、2号3号には制服はない。強制できない。

    これは市の保育課でも確認したが、2号3号には制服を強制しないようにと指導しているそうだ。

    1号認定は自らの希望でその園に通っているが、2号3号はそうとも限らないからだ。

    (認定の違いについて知らない方は他で調べてください)

     

    うちは貧乏なので制服は買わないと決めている。

     

    昨年、うちの子が年少のとき、写真撮影の日は普段着で行った。

    先生には「制服ない子はこのままでいいんですかね?」と尋ねたが、「どうですかねぇ?」とわからない様子。

    「まぁ持ってないんだからしょうがないですよね、このままでいいですね」という軽い感じだった。

    実際、そのまま私服姿で写真は撮影された。

     

    ところが修了式の日に、息子は先生から「制服着なさい」と言われたそう。

    息子は先生から注意のようなものを受けたことで怒っていた。

    私も腹が立ったが、まぁ先生も任意とは言えやはり制服着せたいんだろうなと思った。

     

    息子はこれまで一度も制服を着たいなどと言ったことはなく、毎日好きな服を自分で選んで着て行っている。

    我が家では、自分の身につけるものはほぼ全て買うときから自分で選ばせるようにしている。(これには理由があるがここでは割愛する)

     

    そうは言ってもやはり式とか集合写真はフォーマルなものが良いとは考えていたので、春休み中に息子と二人で本人の気に入るフォーマル風な洋服を買いに行った。

    幸い気に入るものがあり、息子もそれを着るのをすごく楽しみにしていて、当日もすごくうれしそうに着て行った。

    先生からも「かっこいー」などと言われ嬉しそうにしていたのを覚えている。

     

    なのに、撮影はなぜか制服だった。

    出来上がった写真を見た息子曰く「○○先生が大好きな洋服をとった。○○くんの制服を貸してくれた」と。

     

    なななななんてことをしてくれたんだぁーー!!!

    子どもの権利条約を読んで理解しているのか!!

    改訂された認定こども園教育・保育要領は読んでいるのかぁーー!!!こらぁ!

    日本国憲法を理解しているのかぁーーー!!

     

    直観的に私の脳内をそのような言葉が駆け巡り、怒りのあまり手が震えだしたのだ。

     

    普段着ないような洋服を着て行ったのだから、普通の人間なら「あ、この洋服を着て撮影をする気なんだな」と一目でわかるだろう。私もそれなりに配慮して、全体の雰囲気を壊さないよう色味を押さえたシンプルなものを買ったつもり、ていうかフォーマルなものって大体そんな感じ。

     

    でも、教員がその意思をいともあっさり無視し、個人の価値観なのか園の方針なのか知らないが、「制服を着ねばならぬ」という価値観を押し付けたのだ。子供に。私に。

     

    こちらの意向を無視したのだ。無視。ここが一番の怒りポイントだったのかもしれない。

     

    ものすごく厳しく言うと、

    このようなことが無自覚に平然と行われ教員の誰もが疑問に思わないということは、不勉強や権利意識の低さの現れである。

    えらそうに言ってごめん。

     

    ただ、現場の先生方は非常に善良な方々です。本当に。人間的には信頼してる。

    普通の感覚で、「みんなが着てるんだから一緒に着ようね」程度のことで着せたのでしょう。まさか個人の尊厳を傷つけるとまで言われるような重大事案だとは予測できなかったでしょう。それは無理もない。

     

    その後、園と話をしたときに、副園長先生が「ひとりだけ私服だと可哀想だと思ってやったことなので」とおっしゃった。

    え?流行りの忖度ですか???

    悪意がないことはわかる。悪意があってしたなら訴訟ものだ。

     

    実際には可哀想なことではない。本人は大好きな洋服をとられたことを訴えてきたのだから、そのことの方が可哀想なことだったのだ。

    子どもの気持ちに寄り添うとは、難しいとは思うが、それがこの専門職の仕事なのだ。

     

    なぜみんなと同じものを着ないと可哀想なのか?

    中にはそういう子もいるだろう。みんなと同じものを着て喜ぶ子もいるだろう。だが現時点でのうちの子は違うのだ。

    まぁ「みんな一緒教」についてはひとまず置いておいて、理屈の話をしたい。

     

     

    制服の法的根拠、憲法、権利条約、人権についてはこの弁護士さんのページが参考になる。

    どうなってるんだろう?子どもの法律 学校で制服を着ないといけないのが嫌だ

     

    しかし,学校の生徒の制服は,法律がありません。


    日本は,子どもの権利条約という世界との約束で,

    「子どもの表現の自由を制限するときは,きちんと法律を作らないといけない」

    と確認しています。

    制服については,その法律がないのです。


    法律がないのは,服装の自由を制限しなければいけない「よっぽどの理由」じたいが,ないからです。

     

    制服のルールは,それぞれの学校が決めています。

    学校は,みんなが安心・安全な学校生活を送るためのルール,いわゆる「校則」を作ることができます。

    でも,学校は,何でも好き勝手に校則を作れるわけではありません。

    憲法がとてもだいじにし,法律でも奪っていない生徒の服装の自由を,

    学校生活のためという名目(めいもく)で学校が簡単に奪ってしまうことは,許されません。

     

    みんなが制服と呼んでいるものは、実は「標準服」といって、「これを着ることが望ましい」とされている、単なるお願いレベルのものなのです。着たくなければ着なくてよいのです。義務でも強制でもありません。

    ただし、他人の権利を侵害したり迷惑になるような服装はいけませんよ、ということです。

     

    そして、昨年度改訂された「幼保連携型認定こども園教育・保育要領」には次のように書かれています。

    第4章子育ての支援

    第1 子育ての支援全般に関わる事項

    1 保護者に対する子育ての支援を行う際には、各地域や各家庭の実態等を踏まえるとともに、保護者の気持ちを受け止め、相互の信頼関係を基本に、保護者の自己決定を尊重すること。

     

    「保護者の自己決定を尊重すること」これが最重要句なわけですが、「子育ての支援を行う際には」と書かれているので、制服強要は別に子育て支援とは関係ないしーという反論が考えられますよね。

     

    さて、我が家は貧困家庭に入りますので、経済的支援という観点から制服購入の強制はしないという方針は子育て支援にもなるかと思われます。

    では、集合写真撮影時の制服拒否はどうでしょうか。

    私は、経済的理由で制服購入をしませんが、自分の育児観や信念で制服撮影拒否をします。幼児期に人と同じ服装をすることに教育的意義をあまり感じませんし、人と違うことを認め合う価値観を育むことが目的であり、協調とはそのような異なる価値観を持つもの同士が共存するためのルール作りをしていくことであって、決して多数派に合わせて妥協するということではありません。それはただの同調ね。

    子育てに直結する信念である以上、それを尊重することはこれもまた子育て支援であると考えます。

    親の精神安定、幸福感が子供の情緒安定に影響することは自明の理です。

     

    副園長先生はこうもおっしゃいました。

    「園の教育方針と岩元さんのお考えが合わないことが今後あるかもしれませんが」

     

    これまで、園の教育方針とか理念については特に何も問題に感じたことはありません。

    先生個人のやり方に疑問をもつことはあれども、園の教育方針を捻じ曲げてまで自分の要求を通そうなどという気は毛頭ない。

     

    いまいち理解されておらぬのが残念なのだが、私が今回園に対して指摘した問題はすべて、普遍的な「人権の尊重」というテーマに結びつくことばかりなのだ。ズバリ人権の問題なのだよ。

     

    ただ、副園長先生にとっては、そのような問題意識ではなく、園独自の方針で決める問題であるようでした。

    「撮影時は制服を着てもらう方針でよいか」と言われたので、今後そのようなルールを園の教育方針として定めようとされているのでしょう。

     

    これについては私も一定の理解は示したいと思います。

    市役所の保育課にも「撮影時に制服着用を拒否したらどうなるのか」という質問をしており、そのような場合の指針がないので検討すると現在回答待ちである。

     

    ここでひとつの疑問が生じるわけです。これが公立園なら話は簡単で、上記の弁護士さんのお話のように、制服を着る着ないは完全に個人の自由、ということで決着するわけだけど、この認定こども園は私立であって、その教育方針については自由裁量が認められているわけですもんね。

    弁護士さんもおっしゃるように『ただし,公立ではなく私立の学校では,「その学校のルールをわかったうえで,自分から希望して入学した」ということが重視されるので,校則で決められている制服を着なければ,停学や退学などの懲戒処分を受けてしまうことがありえます。』ってことなんだよ。

     

    私立学校の校則と個人の権利が衝突した場合はどうなるかっていうと、裁判での結論を簡単にいうと「憲法は直接的には国や地方公共団体が守るべき約束だから、私人同士のお約束には適用されるものではなく、社会通念上合理的であるお約束ならOKだよ」って感じね。

     

    まぁ制服着用義務のルールは私立学校では社会通念上合理的であると言えるかな。

    幼児教育においても日本では制服のある園など一般的ですし、それなりに合理的な理由があるのでしょう。教育的効果や意義があるかというと個人的には疑問ですが。その後入学する小学校には制服ないしさ。単なる大人の都合でしかないように思える。

    とにかく「その学校のルールをわかった上で自分から希望して入学した」ことが重視されるわけで、納得できます。

     

    我が家、2号認定で、第1に希望して入ったわけではありません。制服強制されない理由はここにあります。ただ、いくつかの希望にこの園を書いたことは間違いなく、入ったからにはそれなりに園の方針に従うものかなと思ってはいます。

     

    じゃ素直に従えよ、って話なのですが、

    理屈で考えることは私にとって非常に大事なことでして、ホントややこしい性格でごめんなさい。

     

    そして、本来一番重要な、子ども自身の気持ち。

    彼は望んでもないのに制服を着せられたものの、なんかわからんけど先生が言うからしょうがないやという感じで従ったのではないかと推測されます。写真は楽しそうに写っております。

     

    なので本人がそこまで嫌がるものでもないなら、撮影時は制服でもいいかと考えてはおります。

     

    これまでただの一言も「制服着たい」などと言ったことはありませんが、そんなことを言うとすぐ「それは大好きなお母さんの気持ちをくみ取って望まれる通りにふるまっているだけだ」などと他人の子のことをよく知る超能力者が現れるので、今回の話し合いでは子どもの気持ちはどうかということはあまり論点にしませんでした。

    子供が先生の顔色をうかがって、先生の望む行動をとることもよく知られていることであり、「園では制服着たいと言ってましたよ」と言われようものなら、「それは本心ではない可能性があります」と結局水掛け論になりますしね。

     

    今回の園との話し合いでは、父母会の負担についても話しました。これについてはまた別の機会に書けたら書こうと思います。

     

    JUGEMテーマ:幼稚園

    ルールを破ってよいとき

    • 2017.12.04 Monday
    • 18:28

    熊本市議がルールを破って赤ちゃんを議場に連れてきたニュース、

    ルールを決める場でいきなりルール破りとかヤバイでしょ、と思ったのだけど、

    ネットではルール破りを正当化する意見でいっぱい。(もちろん反対の意見もいっぱい)

     

    その中で、唯一納得できた意見は、

    『緒方議員は一人会派なので、議会のルールを変更する場に出ることができない立場であり、事前に相談などしたが個人的な問題として取り合ってもらえなかったので今回のような手段で訴えた』

     

    ホントにこれだけ、これだけだよ、私がそれなりに納得できる意見だと思えたのは。

    その他の海外がどうだとか、それをいうのは卑怯だとか、次元の違う話だとかはルール破りを正当化する理由にはならないじゃん?

     

    なるほど、ルール変更できる手段がない場合はルール破りもOKか。

    確かにね、緒方議員はそれまでにいろいろと交渉してきたようで、詳しく経緯を知れば、いきなりルール破りというわけでもなかったようだし。

    議論するために存在するはずの議員が、議会のルール変更の議論ができないなんて、もうパフォーマンスだろうがやるしかなかったんですね。

     

    何事にも例外というのはありますからね。

    本当に別のやり方はなかったのかな?という疑問は残りますが…。

    社会的に許容できる範囲であり(人によるけど)、目的の方向性は大いに認められるものなので、こうも支持者が多いのだと思います。

     

    私の意見はこうです。

     

    まず、民主的な方法で決められたルールは守るべきである。

    そして、ルールを変更するルールもまた民主的に、だれもが主張しやすく、議論されやすくなるよう整備するべきである。

     

    そしてもちろん、子連れ会議OK派ではあります。

    これは何もみんな子連れで仕事しようよと言ってるわけではないですよ、危険な職場だってあるし、子連れだと支障のある場合だってたくさんありますもんね。ま、いちいち言わなくてもわかることだろうけど、言っておかないと、そういうところつっこんでくる人いるから。

     

    選択肢はたくさんあったほうがよい、ということです。

    子連れ会議OKなだけでなく、託児所や保育園をだれもが気軽に利用できるようにすることが大事だと考えます。

     

    今回の件は、単に「ルールに不備があった」ために起こったことではないでしょうか。

    なのに、「ルールは守るべき」派と「子連れで仕事できるような社会を」派とで対立しているのは非常におかしなことで残念に感じました。どちらも間違っていなく、対立するようなことではないのでは?だからだろうね、「どちらも理解できる」とか「モヤモヤする」って感想や意見をけっこうみかけたのは。

     

    赤ちゃん連れに厳しいのではなく、ルールを守ることに厳しい。

    赤ちゃん連れを排除しようとしているのではなく、ルールを守ることの大切さを訴えている。

    その違いを理解していないと危険なのではないかという気がしました。

     

    まぁ私はルールを守ることに厳しいタイプなのかもしれませんね。

    普段、PTAに対してルールを守れよと言ってるのに、どうしてこの件だけルール破りOKと簡単に言えましょうか。

     

    私はルール破り正当化の理由をすごく考えて、一番最初に述べたような理由ならOKなのでは、という結論に達しましたが、どういうわけか、いわゆる著名人とか発言力のある方々がこぞって「海外は〜」とかその他納得いかない理由をガンガン発信してるんですよね。

     

    なんかもう、赤ちゃん連れママの破壊力すごい、としか言えないような。

    子連れ時代キターーー今だ〜突撃〜!的な。

     

    ネット上では普段は憲法守れだのルールを守れだのという主張があれだけ多いのに、赤ちゃん連れ市議がルール破ったら途端にルール破りOK・・・どうなってるんですかね。←個人的に受けた印象ですけど。

     

    おらおらどけどけ赤ちゃん連れが通るぞこらぁ〜的なのは誰も望んでませんよね?

    そんなのは、ただの「弱者の横暴」ですから。

    子育てしながらでも働きやすく、生きやすく、そんな社会を望んでいるんですよね。

    多くの人が望むところは同じなのに、不要な対立が起きているようで、また言うけどホント残念。

     

    ここぞとばかりにあの場にいた男性議員を汚い言葉で罵っていた人もいて不快に思いました。

    緒方議員がおっしゃってましたが、通りがかった議員さんで、赤ちゃんににこっと微笑んでいかれた方もいらしたそうですし。

    応援したいという気持ちを持っていた議員さんもいたんじゃないでしょうか。

     

    あと、『ルールを破った人を全員許容するのか、というのは極論、0か1かではなく、0.1とか0.2とかを目指して議論するきっかけになればよい』という意見も、まったくそうだな、と感じました。

    そうそう、これだよこれ、今回のことが議論するきっかけになって、早く赤ちゃん連れ会議OKになることが大事なわけですよね。

    別にルール破りすべてOKだよって話じゃない。

     

     

    ってことなんだけど、今回のルール破り正当化についての考えは少し整理しておきたいです。

     

    ルール破りOKを正当化する理屈として納得いかなかったものを、なぜ納得いかないのか整理してみました。

    まず、「ルールが悪いかどうか」と「ルール破りは正しい行為か」は分けて考えるべきと思う。一見、ルール悪けりゃ破ってもいいじゃんと思えるんだけど、じゃあその悪いって誰がどう決めるのよってちょっとややこしくなるんで。

     

    ◆海外では子連れ会議OKである〜の類。

    だって海外はもう子連れOKのルールになってるんだよね。

    で、それは時間かけて話し合ってそう決まったことなんでしょ。見習うならそこじゃない?

     

    「海外で良さそうなことやってるよ、日本でもできそうじゃない?」ってのなら共感できるけど。

    PTA問題でもこれくらい「海外では強制なんてないよ」とガンガン主張してもらいたいものですね。

     

    ◆「やり方が〜と言う人は卑怯だ」とかなんとかの類。

    私にはまったく意味不明でした。

    主張内容の正しさと、それを表明するための手段の適切さは別問題なのだから、後者の部分だけを批判しても何もおかしなことではないのでは?

    やり方がまずいと指摘する人の中には、主張そのものは支持している人がたくさんいた。

    卑怯と言う人がそこで思考停止させている点において卑怯であると思うのだけど、私は。

    そんな人格攻撃的なこと言われてもね。

     

    それとも、正しい主張を押し通すためには手段を選ばなくて良いということでしょうか?

    PTAは本来は素晴らしいボランティア組織であるはずなのに、ズバリやり方が非常にまずいと私は常々思っています。

     

    ◆他人の生命の安全や財産を脅かすことがないなら、主張する手段がルール破りであっても良い。

    これは、相模原事件のような場合を例として、ルールを破っての主張はダメだとする意見に対する反論。

    程度の問題なんですかね?

    迷惑レベルが低ければルール破りは正当化される?わけないじゃん。

     

    でもまぁ、今回のは「この程度」だったから世間に受け入れられたってのがありますよね。

    これが「私の主張を受け入れないから反対意見の議員を皆ぶっ殺した」という話だったら、世間はまったく違った反応でしょう。

    なので、この意見はルール破りの正当化にはならないけど、ルール破りが世間に受け入れられた(大目に見てもらえた)理由としてはありだな、という感じです。

     

    ◆議会が40分遅れることより働く母親の立場が何十年も停滞していることの方が大変。

    わたしは常々、他人の時間を無駄に使うことに鈍感であってはならない、と思っている人間です。

    なぜって、自分の限られた時間をとても大切にしているから、他人の時間も大切にしたいと思うからです。

     

    議会が遅れることも、ワーキングマザーの立場が停滞していることも、どちらも大変なことだよね。私はそう思う。

    議会では、女性子育て問題だけを話し合うわけではないですよね。他にも長年停滞している問題はあるかもしれない。

    議会の時間と、取り上げる問題の重要さ、って同列に比較できるものなんですかね?

    問題の大小と、時間の長短を理由にしてのルール破り正当化はできないですよね。

     

    「私の問題のほうが重要なんだから、私のために議会の時間をつぶしてもいいんです!」とならないでしょ。

     

    でも、今回の件により議会が遅れたことで、ワーキングマザーの立場が少しでも良くなるのなら、無駄な時間にはならないことでしょうね。

    「議会が40分も遅れるなんてとても大変なこととさも正しい事のように言っていたが・・・」という意見があった。

    正しいでしょう。大切な議会の時間ですから。

     

    自分だけの時間ではない、多くの人のための、大切な時間なのだから。

     

    ◆女性不可、黒人不可のルールがあった時代を持ち出す人。

    なぜに女性排除、黒人排除を目的とした差別ルールと同列に語れるんですかね。

    「議場に議員以外の者は入れない」というルールは特段おかしなルールとは思いません。赤ちゃん排除目的で作られたルールではありません。単に想定してなかっただけでしょう。

     

    また、過去に正しい主張のためにルール破りをして社会を変えることに成功した事例があるからといって、じゃあ僕もやって大丈夫だよね、となるわけではないですよね。

     

    差別された人たちが差別ルールと闘う、議会で話し合う権利を有する議員が議会のルールを破る、次元が違うというのはこういうことを言うのでは?

     

    ◆議論してルールを変えるべきという奴は、それにどれだけの労力と時間がかかるかわかってない。

    ここまでくると、もはや緒方議員を本当に応援してるのかどうかわからなくなっちゃう。

    「話し合いなんか時間かかるだけだから、強行突破だ!」え、乱暴ですね。

     

    なんかもう、議会って何だろう?的な次元に突入しちゃってますよね。

    議会において、時間と労力かかるって理由で話し合いすっ飛ばしていいわけないでしょうが。

    日常的にそういう場面はあるかもしれないけれど。

     

    それに緒方議員だって話し合いすっ飛ばそうっていう気はないですよね。妊娠中から相談し、いろいろ話をしたけど取り合ってもらえなかったっていう経緯があるんだし。

     

    それに、「議論してルール変更」と主張は何も間違っていないし、労力と時間がかかるのもわかった上で主張しているんだと思いますけどね。

     

    労力と時間を費やして、議会民主制を築いてきたのだよ。

    人権とか選挙権とか民主主義だって、やっとの思いで手に入れたものじゃないんですかね。

    それだけに、議会でルールを破るって、すごいことですよ。それだけの想いがあって必死に訴えたんですよね、緒方議員は。

     

    『議論するのが仕事である議員が、議会のルール変更を議論することすらできなかった』それだけの理由じゃないですか、今回のルール破りを正当化できるのは。

     

     

    そろそろ考えるのに疲れたので、このへんで終わります。

     

    PR

    calendar

    S M T W T F S
         12
    3456789
    10111213141516
    17181920212223
    24252627282930
    31      
    << March 2024 >>

    selected entries

    categories

    archives

    recent comment

    profile

    search this site.

    others

    mobile

    qrcode

    powered

    無料ブログ作成サービス JUGEM