出来事
朝からしっかり雨だったので、うちのチビは長靴で登校した。
雨が止んだので、先生は屋外で体育の授業をすることにした。
チビが体操服に着替えて外に出ると、「長靴だから見学ね」と言われた。
これについて、何やらモヤモヤするものがあります。
「授業に参加させてもらえなかった」ということは、
教育を受ける権利に関わる大変重要なこと。
(見学も授業参加という考えは除外)
私の人権アンテナがピピっと反応しました。
そこで、頭にぽんぽん浮かんでくるフレーズをだらだらと書き連ねて、自分の思考を整理した結果、次の結論に至りました。
児童が授業を受けられなくなるという重大事態が発生する可能性が容易に予測できる状態にあっては、教師はそれを回避するための策を講じるべきである。
それをまったくなさずに安易に教育を受ける権利を侵害することがあってはならない。
以下、この結論に至るまでの独り言をメモ。
まず、この日に「長靴でも授業受けさせるべきだった」とまでは言わない。
この日に、先生が安全上の理由で見学にしたことは、間違っているとは思わない。
よって、先生のこの日の判断を批判し責めるものではない。
単純に疑問。
「何の落ち度もない子供が、なぜ授業を受けられなかったのか」
このような事態が生じた原因を探っていきたい。
怪我や病気での自己都合で見学希望したのとはワケが違う。
長靴だと見学になるとは知らず、意気揚々と体操服に着替えてみんなと外に出た途端、先生から「あっちで見学」と言われた小学2年生の心中を察すると親としてはつらい。
靴がないからやろ。
そう、なぜ靴がなかったのか。
靴を忘れたのではない。
そもそも雨の日でも持って来いとは言われていない。
この学校では下駄箱に長靴が入らないため、長靴で来る子供は確かに少ない。
他の授業では、忘れ物があったからという理由で授業が受けられなくなることはない。
必要な物は事前にプリントで知らせているが、それでも忘れ物は先生も想定内。
毎日使うような箸ですら忘れる子は必ずいる。
それは想定内なので割り箸が用意されている。給食が食べられなくなることはない。
借りたりもらったりできるものは忘れてもそこまで支障がない。
靴や水着は借りられない。
絶対忘れないようにしなければならないものは、前もって先生からしっかり注意喚起される。
この日、靴を忘れたわけではない。
水着を忘れたら水泳学習ができないのは明白。
そして水泳学習は、「雨の日でも雷さえ鳴っていなければ行われる」としっかりお知らせしている。
それは、「雨の日だと水泳学習は中止になるだろうと思う子どもや保護者がいる」と予測されるから。
前日は雷雨、この日も天気予報で一日中降水確率90パーセント、朝からしっかり雨。
長靴だと見学になるということは親も子も知らなかった。
外での体育で運動靴が必要なことはわかる。
こんなお天気とぬかるみの中、体育が外であることを親は容易に想定できたか。
自分の経験では、長靴でも体育の授業に参加はできた。
「長靴=見学」と知っていたら、登校する前に考えたはずだ。
先生は、授業内容は遊具遊びだから、雨さえ止めばできると考えていた。(電話でそう聞いた)
校庭がぬかるんでいようが、遊具遊びならできる。
安全上、長靴で遊具遊びができないのは納得できる。
ぬれた遊具で遊ぶのも安全上問題があるのではないか?
長靴でも何かできることはなかったのか。
鉄棒くらいはできたのではないか。
雨の日に長靴で来る子供がいることは容易に予測できる。
「雨が降ってるから長靴で登校した」子供が、そのせいで「遊具遊びの授業を受けられなくなる」ということは、先生にとっては容易に予測可能であり、簡単に防げることだった。と私は考える。
一言、時間割プリントに、
「雨の日でも外で体育をする場合があります、長靴で登校される方は、運動靴を持参してください」と書けばよかったのではないか。(今後そうするとのこと)
そして、そう書いたとしても、忘れてくることを想定して、長靴で体育の授業に参加させるにはどうしたら良いかについても考えておくべきではないか。
それが、仕事じゃないかと。
例えば、子どもに落ち度があって、懲罰で授業を受けさせないとすると、大問題になる、というか禁止だ。
それほどまでに、教育を受ける権利というものは大事にされている。
それなのに、何の落ち度もない子供を安易に「隅へ追いやる」行為は問題とならないのか。
これはもはや教師の技量と意識の問題になってくる。
この教師は、長靴である子供に対して学習させることを何も思いつかないレベルの教師なのだ。
しょうがないのである。まぁ普通レベルなのだろう。
先生は、私に、「次回から週報でお知らせするようにします。気付かなかったことを教えてくださりありがとうございました」とおっしゃった。謝りはしなかった。
これの意味するところは、
先生は、自分の意識の低さ、スキルのなさに起因した人権侵害行為だという認識はない。
今後二度とこのような事態が生じないようにしようという意識はまったくもっていなかった。
つまり、先生は、教育を受ける権利を無意識的にしろ、軽視している。
それでも先生は悪くない。
「雨の日に長靴で来る子供がいることを予測できず、前もって注意喚起するということができないレベルの教師」であっただけなのだ。別に悪くはない。
そして私も、
「雨の日に遊具遊びの授業があるとは予測できず、長靴だと即見学だというルールを知らないレベルの保護者」なのだ。
PTAの自動加入問題や、連絡網への許可なし掲載問題、さてはいじめ問題などにも通じる
「教師の時代感覚の鈍さと人権意識の低さ」が、最も弱い立場の子供をいともあっさり、時に深く傷つけることがある。そして、学校という閉鎖空間の中では、そのことに気が付きにくいということの恐ろしさ。
一見、些細な出来事のように思える今回の事件から、いずれ大きな問題につながってしまうかもしれない重大な問題点が垣間見える気がしてしまう。わたし考えすぎー。
ともすれば、「嫌いな授業だから見学でラッキー」と子供が思って終わり、な話だったかもしれない。
たまたま、うちのチビは帰宅して一番に「見学になって悲しかった」と伝えてきたのでいろいろ気付くことができた。
以前、
隠れたカリキュラムという記事を書いた。
再度同じ説明を書く。
隠れたカリキュラムとは、
「学校のフォーマルなカリキュラムの中にはない、知識、行動の様式や性向、意識やメンタリティが、意図しないままに教師や仲間の生徒たちから、教えられていくといったものをいう」
もし、この教師の人権に対する意識やメンタリティが高ければ、きっと前日に「明日は雨でも外で体育あるかもしれませんから、運動靴を忘れないように」と注意しただろう。
極力、「児童が授業を受けられなくなる事態」を回避するよう最善を尽くしたのではないか。
っていうか、そんな大げさなものでもない。
他の授業と同じく、「靴忘れないでね」というだけだ。
人権の大切さを伝えるなら、まずは人権を大切にする行動を強く見せていくべきだろう。
検索してみると、私と同じようなことを感じた人がいる。
「習字セットを忘れた小学生の娘が、授業中何もせずに一時間過ごしました。これって…」
このお嬢さんとお母さんの気持ちを考えると、胸が痛い。
このケースでは、子供側に、持ってくるよう言われた道具を忘れたという明らかな落ち度がある。
それでも、教育を受ける権利を侵害して良い理由にはならない。
ここでの回答を読んでみる。
「忘れたほうが悪い、ペナルティーを受けて当然」
これが現在の一般レベルの人権感覚。残念ながら。
「いじめられる側にも原因がある」というのと大差ない。
この手の話題では定番の、「義務と権利」の話をしている方がいるが、
義務を果たさないことと、権利を有することは独立した問題。
他人の権利を侵害したわけではないのに、この児童の教育を受ける権利が侵害されることがあってはいけない。
そして、
懲罰として授業を受けさせないことは、明確に禁止されている。
さらには、
忘れ物は権利を侵害するほどの懲罰対象になるのか?という疑問もある。
道具がなかったので、他の子供とまったく同じような学習は無理だったかもしれないが、可能な限り関連する学習をするよう努めるべきだったと考える。そんなに難しいことではないと思われる。
さらには次のようなケースもある。
これって「教育的懲戒」ですか?
(忘れ物をした児童に、その授業時間中グラウンドを走らせた)
こちらはまだわかりやすい「体罰」なので、人権侵害行為であると気付く人が多い。
ここのベストアンサーが本当にベストで素晴らしい。引用します。
子どもは、教育を受ける権利を持っています。授業を受ける権利は学校教育で犯してはならない一番大切な子どもの権利です。義務教育である小学校中学校でこの権利を無視できる状況は、ほんの少しの場合を除けばおそらくほとんどないと言って良いでしょう。
例えば、他の子の授業を受ける権利を著しく妨害するような行為をするような場合、校長の判断の下、教育委員会がその子どもに「出席停止」を求めることができます。
また、殺人など大きな犯罪を犯した場合もそれに当たるかも知れません。
子どもの教育を受ける権利は、かくも厳密に守られるべきものです。
さて、うちのチビの体育見学のケース、
子どもに落ち度はない。
懲罰で見学になったわけでもない。
重ね重ね言うが、この日に安全上の理由で見学にしたことは間違った判断ではない。
容易に防げたことだったのに、それがなされなかった、ことが問題。
なぜなされなかったか。
先生の人権感覚が、教師としてはいささかお粗末なものだった。
習字の見学とは違い、体育の見学というのはありふれた光景なので、違和感を感じにくい。
他の学校では、置き靴をしているところもあるようだ。
このようにして、忘れ物をしないよう働きかけ、工夫し、子供の教育を受ける権利を守るための努力をしなければいけない。
以上。