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- 2023.12.12 Tuesday
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先日、うちの子だけ私服で集合写真を撮影したら、保護者から「なぜみんなに制服を着せないのか」といったクレームがきたという話を書きました。
そして、生まれつき茶髪の女子高生に学校側が黒髪を強要したというニュースが世間を騒がしております。
それをきっかけに、ネットでは似たような話がうじゃうじゃ出てきていて、私の幼稚園の制服問題なんてすごくちっぽけ過ぎる感ありますが、根っこは同じ問題ですね。
みんな一緒教がこんなに蔓延してるとは。
改めて驚きです。
このニュースに関しては、真相はよくわからないですが、
テレビに出てた教頭先生が、白髪混じりチリチリM字ハゲでノーネクタイで肌着見えてる、というお姿だったので、髪型にも服装にもかなりゆる〜い学校に見えてしまいましたね。とても生徒を不登校になるまで追い詰めた厳しい学校とは思えないような。
確かに見た目の印象って大事ではありますね。
でも最も大事なのは人権でしょう。
この学校では、例え金髪の外国人留学生であろうと黒に染めてもらう、そうですが、完全に狂ってる。ヤバすぎですよね。
髪の毛の色についての私の考えは、
地毛だろうが染めてようが、髪色はなんでもよい
です。
市役所行って受付の人の髪の毛がピンク色でも別にかまいませんね。
とにかく、人権感覚に乏しい社会なのだということがよくわかりました。
保育園でもクレヨンのうすだいだい色のことを「これは肌色です」と教えている先生います。
もう、肌色と言わず、うすだいだい色とかペールオレンジなどと呼ぶようになって何年も経ってると思うのですが、現場では今でもこうなんです。
まぁクレヨンの色などは、私もたまに肌色と言ってしまうんですが、
教える場では絶対使わないようにしています。
時代はどんどん変わっていきます。
子供に関わる人たちは特にですけど、時代感覚、人権感覚を磨いていかないといけないわけですよ。
私も常に勉強です。
今回のニュースを機に、
学校のおかしな校則や、社会のおかしなルールを見直していけたらいいですね。
↓以下雑談。
以前にもどこかで書いたけど、
外国の先生から「日本人はほとんど同じ肌の色、黒髪、黒い目で生まれてくるから、人間は生まれつき違うのだということが感覚的に理解しづらいのではないか」と言われたという話。
金髪から黒髪、目の色も肌の色も様々な人が暮らす国では、髪の色なんて何色だろうがどうでもよい話でしょうね。
全員黒髪にしろとか、実にくだらない、そして大変な人権侵害であることは明白ですよね。
髪の色によって、真面目そうだとか不真面目そうだとか、それってそう思う側の思い込みでしょ。
歯のない人は信用するな。という言葉をむかしよく言われました。
歯がない=身なりを気にせず生活習慣が乱れている=性格がだらしない=金銭にもルーズ
という連想ゲームのような感じです。
刺青とかでもそうなんだけど、
あの人刺青してるから怖いヤクザかしら?とか。
本人はただのファッションのつもりでも、周囲がそういう目で見てしまう。
私がお水業界にいたころは、化粧しろ、髪は明るくしろなどと言われましたが、
私は薄化粧に黒髪ストレートで押し通しましたね。
そしたら性風俗のスカウトマンによく声をかけられるようになり、なぜ私に声をかけるのか聞くと、
「黒髪は貴重。真面目そうに見えるので業界で人気がある」というのです。
意外な自分の商品価値に気付くwww
そういう目で見る人がいるから、自分はこうしよう、
または、
そういう目で見る人もいるけど、自分はこうしよう。
どちらでもいいけど、
自分を表現することは自由であるべきよね。
最後にひとこと、
学校は、髪の色なんかより、
頭ジラミの流行をどうにかしろ!
教師の厳しすぎる叱責により、尊い命が失われました。
お悔やみを申し上げます。
私はこのニュースを聞いて、自分の長女のことを思い出しました。
もしや、自殺した中学生は発達障害の疑いがあったのでは?と思っていたら、やはりそのような記述がありました。
私の長女も、発達障害なのでは?と疑っています。
携帯電話や家の鍵をなくす、かばんをバス停に置き忘れる、間違って他人のかばんを持ち帰る、大事なテストの日を間違える、買い物行って買ったものを忘れて帰る、手先の不器用さ・・・などなど。
こんなことがしょっちゅうで、警察沙汰になったことも二度あり、さすがの私もキレることしばしば。
そして長女が高校生のとき、彼女は部活の顧問の先生から非常に厳しい叱責を受けました。
叱責というか、ただ怒鳴り散らしているだけ、という印象でしたが。
大部分は忘れてしまいましたが、とにかくボロカスに言われたということは覚えてます。
「みんな迷惑しているから部活をやめろ」
「あなたは人とかかわらないような職にしか就けない」
というような内容だったんですが、人格攻撃が激しいものだったと記憶しています。
そのため、長女は「じゃ、やめます」と言って部活やめてきました。
好きで入部した放送部で、周囲からの推薦もあって部長を務めていたのですが、「そこまで言われて続ける気はない」とあっさりしたものでした。
当然、私はショックだったので、すぐさま学校へ電話するわけですが、
その顧問の先生は電話に出るなり、
「すみませんでした、まさか本当にやめるとは思わなくて、励ますつもりで・・・」
どこが励ましなのかさっぱりです。
将来の進路のことまでボロカスに言われて、指導でも励ましでもなんでもありませんでしたよ。
でも、先生を擁護する気はまったくありませんが、
発達障害なのではと疑っていた長女が何かやらかしたのだ、ということは容易に想像できました。
部活でのスケジュール管理のできなさがきっかけだったようです。
あ〜と思いましたね。そういうの、できないんです、彼女。
そういう人が部長なんて、そりゃ無理だわと内心思いました。
そして、この際はっきりさせよう!と思い立ち、
発達障害支援センターに相談し、小児精神科で検査してもらいました。
ところが、結果は「診断名をつけるほどではない、そういう性格です」
またこうも言われました。
「その子と親をみて、診断名をつけるかどうか決めることもある」
ボーダーにある場合は、その子の困り度次第で支援が必要かどうか決めるそうです。
確かに、長女本人は困ってないんです・・・困ったことに。
まぁ私自身も、もう彼女の特性を受け入れている頃でしたから、どっちでもいいやという感じでした。
そしてそこで心理カウンセラーの先生からこう予言されます。
「こういう子は、入れるからと選んでも(看護科志望でした)、実習でつまづいてやめる子が多い」
長女は成績は良かったので、難関大の医学部に合格し、看護師を目指すのですが、
実習が始まり、周囲から厳しく叱責される日々が続き、「やっぱり私おかしいかも、もう一度検査しようと思ってる」と連絡があり、それがいいと私も賛成したのですが、しばらくして、「精神的にもう限界だから大学やめさせて欲しい」とメールしてきたのです。
予言通りの結果となりました。
私が驚いたのは、私や顧問の先生があれだけキレても、ケロッとした表情で気にもしないタイプの子だったのに、そんな子が「精神的に限界」と言ってきたことでした。
もう二十歳の大人になっていたし、本人がそう言うならしょうがないと退学を承諾しました。
逃げたいときに逃げられるっていうことは、良いことだとも思いました。
もしあのとき、発達障害であると診断されていたら、また結果は違ったのではないかと思っています。
国立大学では、発達障害者への配慮義務があるので。
まぁ長女は発達障害ではなく単なる性格、という診断だったのですが。
そしてもう一例。
昨年、小学生の次女が帰宅するなり「先生が怒鳴ってすごく怖かった」と言ってきたことがありました。
この件についても学校に電話し(他にも用があったので)、「うちの子がすごく怖がってました」と伝えました。
次女の友達で、近所の子なのですが、何度も何度も宿題を忘れる子がいます。
何度注意されても宿題をやってきません。
なので先生がついにキレたようです。
普段とても優しい先生なので、よほど腹が立ったのでしょうね。だからといって感情的に怒鳴っていいわけではないですが。
その子は宿題だけでなく、友達との約束も守れません。
うちの子も何度も約束をすっぽかされ泣きながら帰ってきたことがあります。なのでその子とは約束をせず、たまたま遊べたら遊ぶというルールを作っています。
先生も家庭訪問を何度かしているようですが、まったく改善されません。
私は発達障害の可能性ありなのでは、と気にかけてます。
学校ではすでに問題児として「有名人」だそうです。
中学生になればもっと厳しい先生はいそうだし、心配してます。
なんでもかんでも発達障害で片づけようというのではなく、
もしかしたらそういう可能性もあるかもしれない、ということを念頭に置いて指導にあたるべきではないかと考えます。
その前に教師に発達障害についての知識がないとダメなんですけど。
(感情的にキレたり怒鳴り散らしたりは論外)
どうか、学校が誰にとっても安全で安心できる場所になりますように、心から祈ります。
先日から話題になってますが、
「保育士は誰でもできる仕事だから給料が上がらない」説。
「保育士は誰でもできる仕事」が事実としても、
「だから給料が上がらない」のは違うと思う。
なぜ給料が上がらないかについては、駒崎さんがズバリ書いてる通りだと思います。
以下、くだらん愚痴です(^o^)
同じ仕事内容の保育士でも、公立の保育士は給料高いじゃん。公務員だから。
そんなん言ったら、公務員だって、誰でもできる仕事じゃん。
なんか、
「保育士は誰でもできる仕事」って言葉に反応する人多すぎと思ったんだけど、
ぶっちゃけ、そこ、どうでもいいです。
そんなの人によって違っていいところでしょ。
能力高い人からしてみたら、どんな仕事だって「誰にでもできる仕事」でしょうから。
そんな人に「ためしに一か月保育士やってみろ」と言ったところで、実際やったらそつなくこなしちゃうかもですよ。
まぁバカにされたように感じるのはわかりますが。
世間では、保育と育児(誰もがやってきた)を混同してる人は多いだろうし、そこを変えていくのが今後の課題だね。
育児の延長程度の保育士だって実際いるし、でもどんな職場でも個人のレベルには差があるもんでしょ。
昔、水商売やってたときも、
「キャバ嬢なんて誰にでもできる仕事」って感じがありましたよ。
中卒の女の子多かったですし、「バカでもできる仕事」みたいな感じで見下す人たくさんいました。
実際、学歴なくても資格なくても、お酒飲めなくても、オッサンとお話できればいいので、保育士よりもはるかに「誰にでもできる仕事」になるんじゃないですかね。やりたいかどうかは別として。
簡単な面接受けて即採用されちゃいますしね。
働いてる人口も、保育士より水商売人のほうが多いんじゃないですか?
誰でもできる仕事だけど、
給料とっても高いです!イェーイ♪
頑張り次第でどんどん上がっていきます♪
(仲間内では「我々の時給が高いのは慰謝料込だから」なんて言ってましたが)
客単価高いからね、良い女の子集めるためにも時給は高くなくちゃね。
保育士だって、補助金増やして人件費に充てればいいのよ。
こんな頑張ったのに給料これっぽっち・・・そりゃ心折れるわ。
あとさ、
「子ども好きでないとできない!」ってのも、なんか違うと思う。
大して子供好きじゃなかったけど保育士やってる人もいるから。でも保育士として無能なわけじゃない。
あれだね、良い母が良い保育士になれるわけでもない、良い保育士が良い母になれるわけでもない、ってやつ。
そもそも、それこそ「誰でも子供好きじゃん」と言えちゃう。
大体、好きなことを仕事にしてる人って世の中どれだけいるんですかね。
で、「子ども好きなだけじゃできない!」ってのは、その通りなんだけど、
それはつまり、子供が好きかどうかに関わらず、別の能力が求められてるってことなのよね。
子供が好きかどうかのレベルの話じゃなくて、「保育士の専門性とは?」みたいなことがもっと話題にならなくちゃいかんよね。
ホリエモンの以下の発言には激しく同意するわー。
「当たり前のこれまでをなんら改善しようとしないからダメなんだよ。例えば壁の装飾とか本当に必要?とかね。IT化も遅れてるしな」
ホントにそう。
働き始めたころから同じこと思ってた。
保育園って、やることなすことアナログ、ローテク、時代錯誤なことだらけなんですよ。
最新なのはパソコンだけ。
とにかく非効率的で無駄な仕事の多いこと多いこと。
そして変えようと思っても、上司がイエスと言わなければ、なーーーーんにも変えられないw
(新しい事提案してもすぐ否定から入るから物事進まない)
この前、雑巾手縫いさせられましたよ。
そして雑巾足りないから来年度から各家庭に雑巾提出してもらうって。おーーい。
ダイソーで雑巾3枚108円ですよー。
タイムカードもないし、シフト作成もパソコン使わず地道に手作業。
とにかく書類仕事は手書きが基本。
ハイスペックなパソコン置いてるのに、宝の持ち腐れ。
ってこと書いてたら、てぃ先生がいいこと言ってた。
これまた書いてる通りだわ〜。
あ、でも給料も不満ですから。
ホント、めちゃくちゃ安いですよ。
常勤、非常勤の時給はすき家のバイトと同じです。
非常勤の私ですらたまに持ち帰り仕事ありますからね。
少しでも担任の先生の負担を軽くしてあげたいから、休憩時間も無給で働きます。
私はまだ休日に本を読んだりする時間がありますが、正職の先生たちはそんな時間なんてないでしょうね。
そういう状況なので、知識や専門性を高めるなんて二の次になってると思います。
次から次へとくる行事やイベント。日々の業務をこなすのでいっぱいいっぱい。
みんなで声をあげて、このような状況を早急に改善すべきだと思います。
先日読んだ雑誌二冊に、偶然、似たような話が載っていました。
いやテーマは違う話なんだけど、結論が同じって感じです。
面白かったので、簡単に紹介します。
「地域連携というけれど」(こころの科学5月号)
『家庭と地域社会、さらには学校が、同じ価値観を共有するということ自体が、もはや無理な時代になってきているのかもしれない。むしろ、異なる価値観をもった人たちが、それでもしあわせに共存できる社会のあり方を考えるべきなのでは、と思う。』
「道徳ってなに?」(教員養成セミナー10月号)
『本当に重要なのは、相手の価値観や道徳観がどうであろうが、それが人の自由を侵害しない限り「承認し合う」ことである、と。その意味で「相互承認」とは、道徳の一番根っこの本質である以上に、異なるモラルを持った人たちが共存するための「社会ルール」の本質なのです。そのため私は、現代の民主主義社会において必要なのは、特定のモラルを教える「道徳教育」ではなく、異なるモラルを持った人たちが共にルールを作り合う「市民教育」だと考えています。』
「道徳の本質は相互承認である」というのはヘーゲルの言葉だそうです。
ヘーゲルはまた「徳の騎士」についても述べています。
徳の騎士とは、例えば「不平等は絶対に許されない」などと主張し「徳」に燃える人のことだそうです。
あ〜いるいる、そういう人、ある組織にはいっぱいいるんじゃないですか?
そのような人は、不平等の元凶とされる人びとに対する攻撃を、かえって正当化し、ひどい暴力にもつながります。
徳の騎士のその心意気は立派なんだけど、「自分こそが正しい」と主張するひどく独善的な人でしかない。
ヘーゲルは言います、
道徳とは、そのような独善的な善を主張することでは断じてない。
どのような価値観や感受性や道徳観を持っていようが、それが他者を侵害するのではない限り、まずは承認することである。
この相互承認の精神こそが、道徳の本質である。
というようなことが書かれており、
大変共感しているところです。
私は「徳の騎士」に立ち向かう「元凶とされる人びと」の一人でありますw
先日書いたんですけど、
「親を選んで生まれてくる」という話。
どんなひどい親でも、「あなたが選んだ親でしょ」と言えてしまう冷酷さ。
仮にですよ、仮に百歩ゆずって、そんなひどい親を選んだのが自分だとします。
ひどい親だとわかってて選んだんですか?
もしかしたら、最初はそんなことわからずに、なんとなく選んだだけかもしれないじゃないですか。
最初から虐待するために産む親なんてほぼいないと思いますが。
とにかくまぁ、生まれる前にまで遡って自己責任で片づけちゃうなんてもう論外なんですけど、
例えば、離婚によってシングルマザーになった人。
どんなに生活苦しくても、「自分で選んだ道でしょ」と自己責任で片づけられちゃいますよね。
私も、未婚シングルになって、妊娠中から一人きりで大変な思いをしましたが、
自分で決めた道だからと弱音吐くことなく、家族を頼るでもなく、頑張ってきました。
で、今年お盆に実家に帰省したときのことです。
叔母から、「いやぁ〜みきちゃんは一人で子ども育てて大変でしょう?」と言われたので、
何か手助けでもしてくれるのかと思いきや、
「うん、まぁ大変だけどもう慣れたね、出産から一人きりだからね」と返したら、
叔母は一言、
「まぁ自分で選んだ道だからしょうがない」
と冷たく言い放って終わりだったんですよね。
どうして冷たく聞こえたかというと、
なぜ未婚で産むことになったのか理由を聞かれたこともなく、
なので私も一度も話したことなく今に至るわけです。
理由も経緯も何も知らないのに、「自分で選んだ道」と決めつけて片づけてしまうのは、
あまりにも冷たく聞こえるわけですよ。
他の家族だったらどうするのかはわかりませんが、
例えば私なら、娘がそのような事態になったなら、まず「なぜ?どうして?」
それから「何かできることがあれば手伝うよ、いつでも頼って」となるでしょう。
自分で選んだ道だから自分で解決しなよ、って他人に言われたくないです。
自分自身がそう思って頑張るぶんにはいいんだけど、
この言葉って、安易に他人に言うべき言葉じゃないなと思いました。
なので叔母にも、
「それは一番言っちゃいけない言葉だよ」と言い返してしまいました。
叔母はきょとんとしてました。
「母子家庭の人はね、言われなくてもそう思ってるから誰にも頼ることができずに無理しちゃうんだよ」
一般論的に言ってしまいましたが、そのまんま、私自身のことなんですよね。
私の例ですが、
1.ある男性とお付き合いしました
2.妊娠しました
3.堕胎してほしいと言われました
4.別れました
5.一人で出産しました
3以外は確かに自分の判断が入って決めたことですね。
この人と付き合おう、この人の子供を産もう、この人と別れよう、一人で産もう。
そして3のような事態になったのは、1でそのような男性を選んだ私に責任があるということでしょうか?
DV被害にあう人もすべて自己責任で、そのような相手を選んだのが悪かったのでしょうか。
どこまでが自己責任なのか?
交通事故にあったのは、そんな道路を通ってしまった自分が悪かったんですかね。
不倫するしないは完全にリスク予測可能で選択できることなので、家庭崩壊してもそれは自己責任と言えるかもしれませんね。
あの時ああすればよかった、こうすればよかったと思うことはいくらでもあります。
でも私自身は、今がとても幸せなので、特に後悔するようなことはありません。
みんながみんな、常に正しい判断をし、正しい選択をし続け、人生うまくいけばいいですよね。
でもそんな人ってどれだけいるの?
そもそも正しい選択ってなんなの?
「あなたが選択を間違った」と言うのはたやすいです。
でも、大事なのは、これから先の未来なわけですから、
じゃあこれからどうするのか、
どうしてあげることがあなたのためになるのか、
そういう視点をもって言葉かけをしなければ、と思いました。